塔の独り言
その塔は広大な麦畑の中にポツンと建っていた。
一年が過ぎる中、麦はあれよと伸び、そして秋には刈られていく。塔は変わり行く畑の中でただ一つ普遍の存在としてあった。塔は吹く風に揺れる麦を見守り、育っては去っていくのを何百も見送る。
――さらばだ、子どもたちよ
――さらばだ、友よ
流れ行く時の中で塔はまどろむ。一瞬の命の麦は普遍の塔の姿を見て安心し、去っていった。
塔の中には螺旋状の階段が存在した。しっかりとした骨組み以外、何も変哲もない階段だ。しかしそこは塔の知識のすべてが記憶されていた。その階段こそが塔の本質とも言えた。少し階段の石を動かせば、そこには決して届けられることのない恋文があったし、すりへったくぼみは何百年にも渡って鳥たちの一番の巣であった。
塔は多くの思い出を繋ぐことによって塔自身の歴史を作ってきた。しかし、それらは恐ろしく雑多で、しかも複雑に絡み合っている。まったく関連がないと思ってもどこかで繋がっているし、まるで訳が分からない。
また、それは塔の主観的な歴史であり、他から見たら塵当然にすぎず、何の役にも立たないだろう。誰にも理解されず、また塔自身すらどうしていいか分からない。
――けれども、その何が悪い?
すべてはこの世に生まれ、消えていく。塔はそのことを良く知っていた。生まれては去っていく麦達が周りにいたからだ。彼らは旅立てば決して戻ってこない。死んで残るのは、無。けれど、塔は自分が存在したこの世界と少しでも繋がりたかった。自分がこの世に生まれてきた理由を少しでも知りたかったのだ。
塔は他の物に比べ長い命だ。だから、他の物は塔を見ると安心し、自分の痕跡を託すのだ。自分の生きた証が永遠に残ると信じて。
――きっとそれが私の使命だ
複雑に絡み合う皆の命を繋ぎ、塔の真ん中に位置する螺旋に刻み込む。それは塔が存在する限り残る。
そこで塔はハッとまどろみから覚めた。誰かがやってきたようだ。軽い足音に尖った耳を持つ者。エルフだ。
塔はエルフが嫌いではなかった。彼らは詩や歌を好み、それらは塔にとっても価値があるものであった。彼らの命は長い。そのため人生の中で何度も反芻した言葉には当然重みがあった。その言葉の繋がり
を聞いているだけで、まるで異国の地に立っている気分になれた。
塔はその黒髪のエルフを快く迎え入れた。
エルフはその紅い唇に限りなく言葉を乗せる。それらは流ちょうで大地を流れる川のように不変の美しさを持っている。
――雨が降るぞ
聞き惚れていた塔に風はそう伝えてくれた。やがてぽつりぽつりと雨は降り始める。
と、麦達の奇妙な感情に気が付く。
――おや
麦達が踊っている、と。歌に合わせて身を翻し、つかの間の喜びに身を委ねている。その旋律を唱えているのは。
――人間
麦達の間を歩く少年は、風をまとい唇から言葉を紡ぎ出す。それらの言葉は塔やエルフの持たない一瞬の初々しさが感じられた。一晩のみ華麗に咲き、無惨に落ちる運命。麦や人間達はそうだ。塔が知らないことだ。麦達は少年の詩に共鳴して彼の指にまかせてその身体を踊らせているのだ。
面白い、そう塔は思った。見上げると雲は塔に覆い被さらんばかりだ。雨は更に強くなるだろう。
――私の元へおいで。歓迎しよう
人とエルフは決して交じり合わない。それは彼らが全く両極端にいるからだ。永遠と一瞬。水と油がどう混じり合うだろうか。更にもしも彼らが出会ったならば詩や歌どころではなく、互いに警戒しあい、殺し合いを始めるかもしれない。けれども。
――私は知りたい。もしも彼らが出会ったらどのような言葉が紡ぎ出されるのか
そして、塔の歴史のたった一切片を構成する、主観と偏見と少しの希望の物語が始まる。




