宰相と王妃・1
今回はディスファルト視点です。
光と共に現れた彼女は、驚くほど鮮やかに心の深い部分に滑り込んできた。
その日のその時間、ディスファルトが自分の私室に居たのは本当にたまたまで、とても珍しい事だった。
突然強い光が部屋に満ち、その光の発生源と思われる場所に黒髪の女性が蹲っていた。
普通に考えてこんな現れ方をする人間は居ない。ならば普通でないのだろう。たった一つ、心当たりが無いわけではないが。
話してみると彼女はサナエと名乗り、やはり此処とは違う世界、所謂異世界から来たようだった。ただ、余りにも非常識な状況の割に随分落ち着いているように見えた事が少し心配だったが。
サナエもディスファルトが彼女の言い分をあっさり信じた事を随分戸惑っていた様だったが。
(まあ、普通はそうそう信じられる内容ではないからな)
以前のディスファルトなら相手の言葉だけでは信じなかっただろう。そう、前例さえなければ。
近いうちにサナエを会わせられるようにしておかなければならない。
そんな話をしている時だった。けたたましい音と共に扉が開けられ件の人物が駆け込んできた。
恐らく廊下を全力疾走してきたのだろう。その姿にサナエは完全に固まってしまっていた。
(あれ程廊下を走るなと言ったのに……)
丁度いいのでマリ-王妃様にサナエを紹介する。そうするとマリは凄い勢いでサナエに詰め寄っていった。
どうやら昼寝中、夢に黒外套が現れたらしく飛び起きて此処まで走ってきたらしい。
その上サナエはマリと同郷の人間らしく、それを聞いた時のマリの瞳はこの上なく輝いていた。
その後、サナエはマリに引き取られ、ディスファルトは国王であるレジアスに報告に行く事になったのだが、報告すれば仕事を放り出してマリの所へ行きかねないので、正直気が重い。
(仕方ないか……せめて今日の分の政務を終わらせてもらわないとな。)
そんな事を考えながら王の執務室へ向かう。
国王は決して愚王ではない。寧ろルファ国始まって以来の賢王として国内外にその名を轟かせている。
その国王が唯一全てを投げ出しかねない相手-それが王妃であるマリなのだ。
マリはある日突然現れた。それも当時王太子だったレジアスの寝室に。
マリもサナエと同じ様に何も無い空間を通ってこの世界へ来たらしい。その時、黒外套に会ったと言っており、その直後神殿へ異世界より使者を送ったと信託が下った。
マリはそのまま神殿が後見につき、神子として扱われた。
そのお陰でマリは何の罪にも問われなかったのだが、レジアスに目を付けられた。
(俺はそういった事には疎い方だとは思うが……あれは多分一目惚れだったな)
マリの見た目はそれこそ童話に出てくる妖精の様なと表現される事が多いが、性格は見た目に反してなかなか一筋縄ではいかない。
レジアスも素直に想いを告げれば良かったものを、いつもの笑顔で周りを説き伏せ丸め込み、外堀を埋めてマリを半ば騙すような形で婚約者に仕立て上げた。
しかもそれをマリが来て一月程でやってのけたのだから、有能ではあるが始末に負えない。
(その後のマリのこの国への貢献を考えれば、俺たちにとっては有り難い事だったが、マリからすればいい迷惑だっただろうな)
ルファは歴史ある大国だ。それが、先々代の王の頃から徐々に崩れ始めていた。
不正・横領・癒着……悪政が王宮を蝕み、地方は領主の重税に苦しめられていったそうだ。
先々王が亡くなり、先王は何とか国を建て直そうと奔走したが、国が崩壊しないように押しとどめるのでで精一杯だった。
レジアスも王太子として、国の為に生きていた。何にも執着せず、ただこの国を良くする為に。
そのレジアスが突然現れたマリに驚くほどの執着を見せた。
例え神殿の後見が付いた神子と言えど、普通は反対されるが、マリはとても頭の回転が速かった。元の 世界では学生だったと言っていたが、相当高度な勉強をしていたのだろう、この国の問題点・改善点を 次々と上げていった。
もちろんそれまでも変えようとしてきた所も多くあったのが、マリは明確な改善案、きちんと筋が通った理論。反対派の貴族達もすぐに反論できない物を用意してきた。
そして何よりマリの神子としての立場がたくさんの事を後押しした。
そして改革が始まった矢先、即位から碌に休むこともせず働き続けた先王が改革をレジアスとマリに託して崩御された。
それからのレジアスの動きは周囲が戸惑うほど早かった。
それまで溜まった膿を掻き出すように改革を推し進めた。マリと共に。
当初は混乱もあったが、それもこちらが想定している範囲内で済んだ。
(今では一部を除いて随分とまともに機能するようになったからな)
そして色々な事が少しずつ落ち着いてきた矢先、マリの帰還騒動が起きた。
その頃ある貴族の娘を側室として迎え入れる動きがあった。レジアスにその気は全くなかったのだが、マリに何事か吹き込んだ者が居た。
(実際何を言われたのかマリは言わないが、どうせ碌でもない事なんだろうがな)
ルファでは一応側室は認められている。何代か前の王が非常識な規模の後宮を作り、後継者争いで多くの血が流されて以来、少数に限られているが。
貴族たちの権力のバランス、近隣国との友好関係を考えて婚姻が最も適切と判断された場合などは側室を迎える。
マリももちろんその事を知っていたし、価値観の違いはあると言えどルファの王妃として生きていく事を決め、子を成したのだ。
(俺は詳しくは聞かなかったが……それまでのマリとどうしても何かが違う気がしたな……)
その時まで誰も、マリが元の世界に還る事が出来る事を知らなかった。そしてなにより還ろうとするなんて思わなかったのだ。たった一人を除いて。