アンザット公爵領
二度目の夢を見た翌朝、アンザット公爵夫妻との朝食を終え早苗の為に用意されている客室へと戻る。アンザット公爵領には昨日の夕方到着した。予定より少し遅れてしまい恐縮する早苗に、公爵夫妻はこの旅程でこれだけの遅れで済んでいるの珍しいと気にした様子も無かった。
時間通りーー寧ろ時間前ーーに行動するのが当たり前の日本人の早苗にとっては慣れないが、交通手段も限られているこの世界では長旅になるにつれ遅れが大きくなる事は想定されているらしい。
「それにしても紹介たい人って誰だろうね?」
朝食の時、是非紹介しておきたい人物が近くに来ているので急遽息子を迎えに向かわせていると公爵夫人に言われたのだ。
側に控えていたルッティアを妙に気にしている風だったので、心当たりがないかと思い尋ねてみる。
「普段は此方にいらっしゃらない方でしょうね。これだけ急に迎えに向かっていらっしゃるんですから、昨日今日近くにいらっしゃったか、いらっしゃる事がわかったか……だと思いますが」
「そうだよね。親戚とか?」
「どうでしょうか。宰相閣下に何かしら接触を持ちたい方と言う可能性もありますし」
「アンザット公爵は私の素性って知らないんだよね?」
「はい」
「じゃあ密かに居た同じ境遇の人とかもないだろうね」
「恐らくは」
以前幼馴染みに薦められた小説に、出会うはずのない同郷の人物との奇跡的な出会いのシーンがあったことを唐突に思い出したのだが、やはりそうそうないのだろう。
真理との出会いがあったので、どうしてもまだ何処かに隠れているんじゃないのか等と思ってしまう。
「まあ夕方には到着するって言ってたし、夜には分かるか」
考えたところで答えが出ない事は置いておくことにして、今日の予定を考える。変わりがないのであれば、街中を見て回る筈だ。
「今日は街の散策、でいいんだよね?」
「はい。昨日のうちに公爵に御挨拶も済ませましたし問題はありませんわ」
「じゃあ早速着替えて準備しよっか」
今着ているのは映画で見るような中世ヨーロッパの貴族令嬢が着ていそうなーー早苗も肩書きだけなら今は貴族の令嬢だがーードレス姿だ。旅の途中と言うことで可能な限り簡素な物にしてもらってはいるのだが、エルクロード公爵家、そして何よりシルヴァ家の体面等もあり、どうしても外歩きには向かない物となってしまっている。
なので街へ出掛けるときには質素なワンピースに着替えているのだ。
(正直こっちの方がまだしっくり来るなぁ)
王宮でも部屋着のワンピースで過ごしているのだ。豪華なドレスにはなかなか馴染めないでいる。
ルッティアとシスと共に街にやって来たのだが、先日滞在したフェリオール領と似た雰囲気なのだろうと思っていたのだが、アンザット公爵領はフェリオール領と比べると随分活気があるように見えた。勿論王都ほどでは無いが。
「意外と賑やかなんだね」
「そうでございますね。わたくしてっきりお隣のフェリオール領と似た感じなのかと思っておりましたわ」
「私もだよ」
「もしかすると領主様のお人柄も影響しておられるのかも知れませんね」
「あー、伯爵は物静かな感じでアンザット公爵は気さくで朗らかな感じだもんね」
(実際領主の性格で街の雰囲気が変わるのかどうかは分からないけど、案外そんなものなのかもしれないし)
そんな早苗とルッティアのやり取りをシスはただ静かに見つめていた。
「そうだ、ラーシャの実ってここでも売ってるかな?」
「そうですね……あれはアルンブルの森でしか採れない果実ですので、運が良ければ青果店に並んでいる可能性もありますね」
それまで黙っていたシスがそう答えて少し歩いた先にある青果店と思われる店舗視線を送る。
「そっか、じゃあ覗くだけ覗いてみようかな」
のんびりと街を見て回って、夕方に領主館へと戻る。夕食までの時間に部屋へと戻って今日の出来事を日記帳に記録していく。
(どう書いておこうか)
少しだけ気になっていることがあった。引っ掛かっていると言う訳ではなく、早苗の好奇心のなのだが。
(輸送費ってどうなってるんだろう?)
あの後覗いた青果店にラーシャの実はあった。三つで30アーリ。一つあたりの単価はフェリオール領と同じである。フェリオール領の領主館がある街からこの街まで馬車で約一日かかる。ラーシャの実はアルンブルの森でしか採れない事を考えると同じ値段と言うことが少し不思議に感じたのだ。
(おまけしてくれたのに気づかなかったんだったら、何だか申し訳ない気がするんだよね)
商人達の努力の成果か、それともどこで販売しても同じ値段に設定されているのか。はたまた店の主人自ら森まで実の収穫に向かっているのか。考え出すと妙に好奇心を刺激されてしまったのだ。
そんなことを考えながら記録を書いていく。これを元に王宮に戻ったら報告書を書かなければならないので、なるべくありのままを記しておく。
丁度書き終わったとき、部屋の扉がノックされルッティアが入ってきた。
「サナエ様、そろそろ支度をしていただくお時間ですわ」
「ルッティって本当にタイミング良いよね」
彼女はいつも丁度いいタイミングで動く。別の場所に居るときでも、まるで見ていたんじゃないかと言うタイミングで現れるのだ。
「専属侍女になろうと思えばこれくらいは当然の事ですわ」
さらりと笑顔でそう返され、そのまま早苗に着替えるよう促す。
そして訪れた夕食の席で、公爵夫妻と共に二人の青年がいた。一人は夫妻の子息でソルシャス・アンザット。彼は夫人とよく似た顔で、公爵と同じ藍色の髪にエメラルドの瞳をしている美丈夫であった。
(この世界なのかこの国なのかは分かんないけど、無駄に美形率高すぎだよ。それともあれか、公爵家だし王家の血なのかな?)
そしてもう一人の青年に目を向ける。明るめの茶色い髪に澄んだ空を連想させるスカイブルーの大きめの瞳、可愛らしいと表現したくなる顔の青年である。
「紹介させていただいます、彼はエルト・マルセイ、マルセイ伯爵家の次男で今は外交官としてあちこち飛び回っておりますの」
夫人に紹介された青年は人好きする笑顔で口を開いた。
「初めましてレディ。エルト・マルセイです。実家は伯爵家とは言いましても私は一介の外交官に過ぎませんが」
(レディなんて言われる歳じゃない気がするんだけど)
余りに馴れない呼ばれ方で早苗は少し笑顔が引きつっている気がしないでもないのだが、この国では独身の女性は幾つであろうと最初はレディと呼び掛ける習慣があるらしいので、耐えた。
「初めまして。サナエ・マキ・シルヴァと申します」
(ルッティと同じくらいかと思ったけど、外交官として各地を飛び回ってるって言うならどう低く見積もっても二十代前半よね)
以前教えてもらった国の教育制度を思い返す。
その時やはり公爵夫人が期待に満ちた瞳でルッティアを見ているのに気が付いたので、早苗もルッティアに移す。すると、どこか青ざめた彼女が判りにくく硬直していたのだった。