王妃様とのお茶会
そうして訳がわからないまま連れてこられたのは、ディスファルトの私室から結構離れた所にある王妃-真理の私室だった。
(王妃様がこれだけの距離走って来て誰も何も言わなかったの……?)
案内された部屋に着き、早苗がまず最初に思ったのがそれだった。
「さ、どうぞ」
室内には真理が言っていた様にお茶の準備が整い、侍女らしき女性と見た感じ女官長の様な女性が傍に控えていた。
室内に入り、控えていた二人に頭を下げ、勧められるままに椅子に腰かける。
真理が向かいに腰を下ろし、目の前に紅茶とクッキーと思われる焼き菓子が置かれる。
「ゆっくりでいいの。聞きたい事、思っている事を話せるだけ話して」
「え、と」
先ほど-ディスファルトの前と今の真理では雰囲気が違う。早苗が戸惑いを隠せずにいると、真理はそれに気付いたようにふわりと微笑みを浮かべた。
「ねえ、早苗さん。すごく強引で人の話を聞かない人を相手にする時って、どうしたらいいと思う?」
「強引で、人の話を聞かない人……ですか?」
「そう」
「そう…ですね。聞いてくれるまで根気よく話すとかですか?」
「そうね。解り合いたいならそうするのが一番かも知れないわね。でも、とにかくこっちの意見を通したい時はね、相手よりも強引に笑顔で押し切るのが一番手っ取り早いのよ」
「はあ……」
正直、話の意図がよくわからない。だが、何だか聞いておかなければいけないような気がするので、余計な質問は挟まずに聞いておく。
「早苗さん。この国にはね、強引だわ人の話は聞かないは自分は絶対に正しいと思い込んでるわ思い込みで決めつけるわっ……とにかくそんな人がごろごろ居たのよ」
真理は余程嫌な思いをしたのだろうか、肩で息をしながら可愛らしいとしか表現しようのない顔を忌々しげに歪めた。笑顔のままで。
(どうやったらそんな表情を作れるんですか!?)
「居た……って事は今は居ないんですか?」
微妙に怯えつつ、話を進めるべく質問を挟む。真理も表情を元のふんわりした笑顔に戻した。
「いいえ。随分減ったんだけどまだ居るのよ。それで私も割とあんな感じになっちゃっうのよね。ディスファルトは違うんだけど、ついね」
そう言いながら真理は苦笑するように笑った。
(何に戸惑ったか、気付いてくれたんだ……)
戸惑っている事には気付いたとは思ったが、何に戸惑ったのかまで正確に把握していた-
「真理さん……」
先ほどもそうだったが、早苗が呼びかけると真理の瞳が嬉しそうに輝く。
「ありがとう」
「何が、ですか?」
「名前で呼んでくれて」
そう言って真理は少しさびしそうに笑う。
「名前ですか」
「そう。名前。この世界に来てから本当の意味で“真理”って呼ばれた事は無いから」
「マリーさんって名乗ってるからですか?」
「それもあるけど……この世界の、少なくともこの国と交易がある国に漢字が使われる国は無いのよ」
「漢字……」
「ええ。私も曲がりなりにも日本人だしね。私ね、此処に来る前はイギリスに居たの。それで、イギリス
も英語圏だし最初はそんなに気にしてた訳じゃなかったのよ。でも、イギリスにも日本語を勉強してる人が居たし、日本人もいた。漢字やひらがなが全く通じないなんて事なかった。同じ世界なんだもの、当然よね。でも、この国には漢字がないから。“真理”って呼んでくれる人はいなかったの。……感傷でしか、ないのかもしれないけど……ね」
「……」
何も言えなかった。確かに真理の言うように感傷でしかないのかも知れない。でも、ディスファルトは彼女がこの世界に来たのが五年前だと言っていた。……五年。還る術があるのかどうかは解らないが、彼女は王妃だ。その立場は軽くないのだろう。例え還る術があったとしても、そう簡単には還る事は選べないだろう。その間、それこそ色々な事があったのだろう。自分と同じ立場の人間が表れたと聞いて、立場も外聞も関係なく結構な距離を走ってくるほどに。同郷の人間に名前を呼ばれただけで、傍目に解るほど瞳を輝かせるほどに-
「早苗さん!?」
真理の驚いた声に我に返ると、頬に涙が伝っていた。
「あ……」
誰よりも自分がその事に驚いた。突然知らない場所に放り出された事に動揺しきっていて、まともに感情が機能していなかったのかも知れない。それが真理の話を聞いていて箍が外れた。
(もし、真理さんが此処にいなければ、私はどうなっていただろう)
そう思うと真理の感傷も他人事ではない。
そんな事を考えていると、すっと目の前にハンカチが差し出された。
「ありがとうございます」
「いえ、ぶしつけな質問でございますが、王妃様-マリ様と同じ国の方なのでしょうか?」
ハンカチを差し出してくれた、女官長の様な女性は優しげな声音で尋ねてくれた。
「はい。来る前は真理さんは別の国に居たそうですが……」
「そうでございますか」
厳しそうな外見をしていたが、女性はそう言って優しく微笑んでくれた。
「申し遅れました。私はこの城の女官長をしております、マーロウ・バッティと申します。あちらの侍女
は王妃様の専属を仰せつかっておりますエルミアでございます」
そう言ってマーロウとエルミアはお辞儀をした。
「こちらこそ、名乗りもせず失礼致しました。私は真木早苗と申します」
思わず立ち上がって深く頭を下げる。
「ふふっ先に紹介しておけばよかったわね。早苗さん、彼女達は私がここに来てからずっと支えてくれていたのよ」
真理が笑顔で告げると、マーロウは申し訳なさそうな顔をする。
「とんでもございません。御話中、申し訳ございませんでした」
「いえ、ハンカチありがとうございました」
早苗はもう一度頭を下げる。
「マーロウ、気にしないで。さあ! 早苗さん座って。お話の続きをしましょう?」
笑顔の真理に言われて椅子に座り直す。そっとマーロウとエルミアを見ると、二人とも笑顔だ。
その事が早苗の心を少し軽くした。知らず緊張していたのだろう。
「そういえば、早苗さんはいくつ?」
「今年25になります。真理さんは?」
「私は27よ」
(…!!! 見えない!! 20歳くらいかと思ってた!!)
「ふふっびっくりした?」
「はい」
「じゃあ、お仕事は?」
「公認会計事務所で会計士補をしていました」
「会計士補?」
「はい。来年には公認会計士の登録資格が出来たんです……」
言いながら少し悲しくなる。
「公認会計士……」
「はい! 子供の頃からの夢だったんです!」
「じゃあ、目前まで来てたのにねぇ」
「はい……」
そう肩を落とすと、真理も苦笑しながら告げた。
「私は大学の卒業まであと1年くらいの時だったわ」
「……嫌がらせですかね?」
「本当にね」
そうして二人で笑いあう。早苗の中の不安と混乱が解けていく。
(きっと、真理さんはそのために私をここへ連れてきてくれたんだ……)
それから二人でたくさんの事を話した。他愛無い話も、大事な話も。
その中で真理が言うには、世界に呼ばれた人間は、呼ばれた理由がある。少なくともそれをしないと還れないらしい。そしてそれは恐らく、私の仕事に関係あるだろう事も。
なのでしばらくはここで生活しなくてはいけない。ならばやるしかないだろう。還るために。
そうして早苗の異世界での生活は始まるのだった-
現在「会計士補」と言う制度はなくなり、「公認会計士試験合格者」となっていますが、
・会計士試験合格者と比べ会計士としての資格を持っていないと言う事を視覚的に印象付けたかった為
・少し前に知名度が会計士補の方があるのではないかと言う意見を目にし、検索してみた結果、会計士補は検索候補に出てくるのですが、会計士試験合格者は出てきてくれなかった事
以上の点から、随分悩んだのですがフィクションですので、会計士補を名乗らせました。
ご了承頂けると幸いです。
真理さんはルファ国に来てから相当色々ありました。そのせいか初登場から作者の想定外の動きばかりしてくれます。