二度目の
フェリオール伯爵領を出て、アンザット公爵領に着いた日の夜の事だった。
いつか見た真っ黒な世界。ふわりふわりと漂う感覚。
(ああ、夢だ)
真っ先にそう思って。視線の先にゆっくりと今は夢でしか会えなくなった人の姿が浮かび上がることで確信を持った。
「早苗?」
この夢を見るの二度目だ。まるで本当に弟がそこにいるようで、近況を報告して急に行方不明になったであろう自分の罪悪感を減らす。
勿論自主的なものでもなければ自分に非があったとも思わない。それでも家族や友人に心配をかけ、職場に迷惑をかけてしまっていることには違いないだろう。
(本当に、これが夢じゃなかったらいいのに)
「陽介」
心配して体を壊していなければいい。自分はいい人に保護されて人並み以上の生活をさせてもらっているのだ。家族が体を壊してしまっていては申し訳ない。
「どうした?真面目腐った顔して」
(……前言撤回。陽介はきっと本物もこんな感じで過ごしてるわ。きっと)
「なんでもない。お母さん、元気?」
「大分心配しとったけどな。この前夢で会うた話したら泣きもうて“うちの娘やさかいええ男つかまえてるやろ”言いやったわ」
「えー。期待に添えないで悪いけど、捕まえてないから」
「婚約したんやろ?」
「うん。それが一番私を不自然なく保護できるんだって」
そう答えると陽介は少し眉間に皺を寄せ、右手の親指を唇の下にあてる。これは昔から考え事をしている時の弟の癖だ。
「早苗はその人の事、どう思っとるん?」
「いい人だよ。色々と気遣ってくれてるし」
「好きなん?」
「ん?」
妙な質問が飛んできた。そう言われて改めて考えてみる。
「人としては好きだねぇ。間違いなく」
「恋愛感情は?」
「……正直わかんないなぁ。見た目が好みすぎて」
そうなのだ。今まで特に考えなかったのだが、よく考えてみるとディスファルトは見た目が早苗の好みに嵌まりすぎているのだ。最近漸く慣れてきたのだが、実は最初の頃顔を見るとどうしてもどぎまぎしてしまっていたのだった。
(見た目が好みすぎるのも考えもの、かもなぁ)
「見た目が嫌すぎるよりずっとええと思うけど」
「そりゃそうだけどねぇ。中身どうこういう前に見た目が好みすぎなのもね」
「そこまで真面目に考えんでもええんちゃうの?」
「だから普段は考えないよ。私は還りたいんだし、結果好きになっちゃったら辛いでしょ」
「婚約までしといて」
「だよね。うん、でも向こうの立場もあるし結婚しなきゃいけないならすると思うよ?お世話になってるし、今生きてるのもその人に保護してもらったお陰だし」
「早苗……いくらなんでも流され過ぎちゃうん、それ」
「お見合い結婚みたいなものだ思えばいいかなーって」
「まあ、早苗がそれでええんやったらええよ。我慢してるとか嫌々とか騙されてそうやったら反対するけど。そんなんでもなさそうやし。早苗言い出したら聞かんし」
陽介はそう言って笑い、話題を変えてきた。若干気になる物言いではあったが、早苗としてもこの話題はあまり長引かせられたところで答えは変わらないし、自分でも追求するつもりもないので話題転換は有難い。
「そうや! あの二人にも早苗と夢で会うたて言うといたよ」
「……怒ってた?」
陽介があの二人と言うのは幼馴染み二人以外には考えられない。少しばかり早苗に対して過保護ではないかと思う言動も多かったが、二人は地元で就職したので就職してからは会う機会が格段に減っていた。
それでも定期的に連絡しあい、早苗が地元に帰った時や長期休暇を利用して会いに来てくれたりもしていたので、決して疎遠と言う訳ではない。
「一番縁のないとこついたなぁって。泣き笑い」
「やっぱり心配かけてるよね」
「そらまあ、なっちゃんは特になぁ」
なっちゃんーー藤代奈緒は早苗の幼馴染みで親友で、京都へ引っ越す前から祖父母宅へ長期休みに遊びに行く度に一緒に遊んでいた仲である。
引っ越してから人見知りに拍車がかかってしまった早苗をいつも気にして、もう一人の幼馴染みと一緒に構い続けてくれたのだ。
「奈緒に伝言、頼んでいい?」
「ええよ。何?」
夢なのは解っている。届かない伝言に違いないだろう。それでも、万に一つの奇跡にすがるような思いで言葉を託す。
「私は元気にしてるよって。皆良くしてくれるからちゃんと頑張るよって」
「りょーかい」
(私の罪悪感が減るだけなんだけどね。この夢変にリアルだからちょっと期待しちゃうんだよね)
そう思った時、何故か少しずつこの夢の世界が解けていっているのが解った。目覚めが近いのだろう。それは陽介にも解ったらしい。
「もうか」
「みたいだね。じゃあ、元気で」
現実ならこうあっさりと別れは告げられないだろう。だがこれは夢だ。二度あることは三度あるとも言うし、また近いうちにひょっこり夢で会えるかもしれない。
(贅沢言えば奈緒とお母さんにも会いたいけどね)
「おう、早苗もな」
「ありがとう。伝言よろしくね」
場が急激に解けていく。ゆっくりと互いの姿も朧気になっていっていく。その時不意に陽介が口を開いた。
「そう言えばなんで早苗ずっと標準語擬きなん?」
「はい?」
その質問の真意を問う前に世界は終わり、早苗は目を覚ました。
「……あれ? 陽介最後何言ってたんだっけ……?」
どれだけ考えても最後に陽介が何を言ったのかだけが全く思い出せなかった。
一方、早苗と同じように夢の世界が終わったのと同時に目が覚めた陽介は、この夢がただの夢ではないのではないかと言う思いを深めていた。
ただの夢なら早苗はあんな標準語擬きで話さないだろう。何しろ自分と話す時はいつも関西弁、訛りは必ず出ていた。それが殆どなかったのだ。自分の願望が見せる夢なら早苗の口調が標準語擬きのままとはいかない。
「まー、それも勝手な俺の願望なんかも知れんけどー?」
伸びをしながら動き出す準備を始める。
「さて、なっちゃん今日は会えるかなー?」
一先ず伝言を頼まれたので奈緒にメールを送っておく。例え夢でも引き受けた以上は伝える。付き合いの長い彼女なら自分の気持ちも察してくれるだろう。
「なっちゃんだけだったらしーちゃんが拗ねへんか…?」
もう一人の幼馴染みを思い浮かべる。
「拗ねる。分かりにくく拗ねるわ。面倒やから一緒に呼んどこ」
後は二人の連絡待ちだ。今日の予定を頭のなかで組み立てながら着替えていく。
「よーちゃん独り言多いよー」
ドアの外から呑気な母親の声が届いた。こうして陽介の変わらないようで大きく変わってしまった日常が今日も始まる。
関西弁は違和感があってもスルーしてください。