国王の思惑
お待たせいたしました。
豪奢ではないが上質の物だけで統一された国王の執務室で一人、この部屋の主であるレジアスが一枚の紙面を眺めながら執務机に向かっている。
(これで、ひとまず必要な事は揃ったか)
レジアスが眺めている紙面――ラジェス王国国王からの親書である――には、以前から極秘裏に話を進めてきた案件の最終的な合意が記されていた。
「ここからどう動くか、だな」
頬杖をつき、考える。この状況を最大限有効に利用するにはどうすべきか。早苗とディスファルトが街から戻ってくる前に何とかなって良かったと思うと同時に、もう少しあの二人に時間を与えたかったとも思う。
(サナエにはどうにかしてディスファルトの嫁になってもらいたいんだが……)
ディスファルトは早苗を気に入っているのは間違いない。それが親愛なのか友愛なのか庇護欲なのか、もしくは義務感からくるものなのかは定かではないが。
レジアスが早苗をディスファルトの妻にと考えているのは大部分が私情なのだ。出来れば無理強いすることはしたくない。勿論様々な状況からそうなってくれる事が国としても利になるので、早苗が還ってしまわない限りはそうなるように進めていく予定なのだが、出来る事なら王命より本人たちの意思でそうなって貰いたいと言うのが本音だ。
レジアスがそこまで考えるのは、大部分が私情とは言え、思いがけずリリナの案と情勢によりラジェスの協力を得る事が出来た事が大きい。
今しか切る事の出来ないカードをリリナが咄嗟に切ったのだ。リリナは個人的にメラリア公国とのパイプを持っているお陰で、誰よりも早くメラリアとラジェスの情勢を知る事が出来る。
レジアス直属の諜報部隊も居るのだが、僅差でリリナの方が早く正確な情報を得ているのだ。彼女が咄嗟に早苗をラジェス王国シルヴァ侯爵家の養女にすると言い出したのは他でもない、今なら借りを最小限で済ませられるからだ。
平時ならそう簡単に使える手ではない。ただ、今はカデスがラジェス国との国境付近できな臭い動きを見せている。戦争がいかに不毛なものかを身を持って知っているはずなのだが、カデスはいくつかの部族が集まって出来た連合国の様な国であり、未だ部族間の覇権争いが行われいるので、国としての足並みは揃っていないのだろう。
なので、ルファ国側から圧力をかける事を引き換えに早苗の件に了解を取り付けたのだ。早苗のことがなくとも多少のプレッシャーは与えるつもりだったので、お互いに大して痛むところがなく国交を深くさせる事が出来た。
(しかし……タイミングが良すぎると言えば良すぎるか)
気にならないとは言い切れないのだが、神託がある以上『神』が絡んでいるのだろう。人間の常識なんて当てはまりはしない。こちらにとって利点の方が大きいのならば問題ないだろう。
(それに万一の事を考えた上でディスファルトに任せるんだ)
レジアスが最も信頼している人物、それが幼馴染でもあるディスファルトとシスなのだ。早苗自身にその気はなくとも、誰がどのように利用しに来るかも分からない。王として何よりも優先すべきは国の安寧であり、国民の生活である。
民の全てが幸せに暮らせるように――例えどれほど実現困難だろうと、理想論だと言われようと、それを目指して行く事で、少しでも良き国になる様にしなければと思うのだ。せめて、精一杯懸命に生きている者たちが報われる国にして行かなければならない。
「道は果てしなく長いな」
思わず自嘲めいた台詞が零れ落ちる。
その時、控え目に扉がノックされた。
「入れ」
そうして入ってきたのは諸々の政治的背景が無かったとは言えないが、ほぼ自身の我儘で相当強引に妻にした真理だった。
「どうした?マリが執務室に来るのは珍しいな」
「そうね、ここには余り頻繁に来ない方がいい気がしてるから」
「マリ?」
「私はこの国の王妃ではあるけど……『神子』の肩書きが消えてなくなった訳じゃないでしょう?」
「そうだな」
聖教の政治への不干渉。例え象徴としての存在だとしても神子である真理が王妃になるのに最も反対された部分である。勿論利権や自身の欲の為に反対する者も多かったのだが、『神子』の肩書きと異世界人だと言う事を表向きの反対理由にする者が殆どだったのだ。
この世界とは別の世界が存在している事は神話にもあるが、正直そんなものが存在すると本気で信じている者は殆ど居なかったのではなかったのだろうか。異世界人が来た前例なんてものもなかったのだ。だからこそ、真理が本当は異世界から来たのではなく、何処かの間者ではないのかと随分疑われたのだ。
(真理がこの世界の人間だったら、それこそ大問題になりそうな登場の仕方をしてたんだがな)
何しろ魔法が存在しないこの世界で、光に包まれながら突然寝室の、それもベッドの上に落ちてきたのだ。ご丁寧な事に夜だと言うにも拘らず、はっきり肉眼で確認できる光り輝く虹が空に懸かったその時に。その時の事を思い出してふと笑いが漏れる。
「レジアス?」
「ああ、マリが来た時の事を思い出したんだ。随分色々あっただろう?」
そう言うと当時の事を思い出したのだろう。真理は心底不快そうにその愛らしい顔を歪ませる。当然だろう。言いがかりや難癖としか言いようのないものが殆どだったのだから。
「レジアスのお陰でとしか言いようがない気がするけど?王太子妃になんてしないで大人しく神殿に入れておいてくれてたら、あんな目に合わずに済んだんだし」
「いやだね」
「まあいいけど。今更だし」
「で?普段は来ない執務室まで来たのは何かあったのか?」
「うーん、あったと言うか……ちょっと邪魔されずに話をしておきたかったのよ。そこそこ真面目な」
真理はそう言って口元に人差し指を当てる。これは何かまだ迷っている時の真理の癖だ。恐らく本人は気付いていないだろうが。レジアスがそれに気付いた時、案外分かり易い所もあるのだと驚いたのだ。
「そうか。なら、ゆっくり話せばいい。俺はいつでもマリの話はちゃんと聞くから」
「………………」
真理は心底疑わしそうに眉間に皺をよせたのだった。