街へ
レジアスに街に行くように言われた翌日、相変わらず全力で早苗を飾ろうとするルッティアに、なるべく質素に、出来れば動きやすく汚しても気にならないようにしてほしいと頼み込み、何とかドレスと言うよりは上等な外出着と表現できるワンピース型の服を出して貰った。
勿論生地はいつも通り上質な物の様なので、汚しても気にならないという点はクリアされなかったのだが。お互いが妥協した結果だったので仕方ない。
(でも……この服たちは誰が買ってるんだろう?いつか返せるかなぁ)
返せとは言われないだろうが、貰いっぱなしと言うのも気が引けてしまう。自分が早く使いものになるしかないのだろうが、それでも受けた厚意はきっとそれ以上だ。
(頑張らないと)
街に向かう馬車の中で窓の外を眺めながら、早苗は溜息を零す。
「どうした?」
向かいで何かを読んでいたディスファルトがそれを聞きつけ、早苗を見つめながら問いかける。彼もまた普段と違い、シャツとズボンと言うラフな格好をしている。普段はこれに上着やら早苗にはどうなって付いているのかよく解らない飾り等がひっついているのだ。
「あ、いえ何でもないんです。……服、汚さないようにしないとなって」
「気にしないで大丈夫だ。いつもより随分簡素だろう?お互い」
早苗と自身を見比べるようにしてディスファルトが言う。
「でもやっぱり素材がいいんで汚したくないんですよね」
「気にするな。そうだな、万一汚れたとしても……公爵邸の洗濯係は優秀だ」
そう言って穏やかに微笑む。何か別の事を言おうとして咄嗟に言い変えた――早苗はそんな雰囲気を感じたのだが、ディスファルトは生粋の貴族だと言う事を考えれば、汚れたら新しく買えばいいとでも言おうとしていたのかもしれない。
(きっと、私が気にするから言い変えてくれたのかな。洗濯係が優秀なのも本当だろうけど)
大貴族として生まれ育っていればそれくらいは普通の感覚だろう。早苗も身分が決まってから“貴族の令嬢”としておかしくない様学んだのだ。それと同じ様に、ディスファルトも少しずつ、早苗の感覚に合わせようとしてくれているのを感じていた。
世間から見ておかしくない程度の事だが、それでも早苗が少しでも早く馴染む事が出来るように気遣ってくれている事が解る。そんな心遣いがとても嬉しいのだ。
「じゃあ、思いっきり楽しんでも大丈夫ですね!」
だから早苗は思い切り笑顔でそう答えた。ディスファルトも釣られたように表情が緩む。それは彼女が今まで見た中で一番楽しそうな笑顔だった。
そのまま街の中央広場で馬車を降り、ディスファルトと散策に出発する。積んできた荷物は先に公爵邸に運んでおいてくれるそうだ。
目の前に広がる異国情緒溢れる光景に、心が浮き足立つ。
「うわー、本当に昔のヨーロッパみたい!」
「ヨーロッパ……確かマリが居た辺りの事だったな」
「あ、はい。そうです! 行った事はないんですけどね」
「遠かったのか?」
「そうですね、海の向こうなので」
「以前マリに聞いた事があるな。空を飛ぶ乗り物に乗って行くんだと。確かヒコウキ、だったか?」
「そうですね。船でも行けますけど、飛行機の方が早いですね」
王都のメインストリートに当たる道を、二人で歩きながら軒を連ねる店を冷やかす。王都と言うだけあって、それなりに人通りが多い。
話と周囲を見て回る事に夢中になってしまい、向かいから歩いてきた男性と肩がぶつかる。お互いに謝罪してまた歩き出したのだが、すっとディスファルトに右手を取られた。またもや恋人繋ぎだ。
「え!? あ、あのっ」
「どうした?」
早苗が焦って声をかけるが、ディスファルトは不思議そうな顔をする。
「あの、手……」
「ああ、こうしていた方が良いだろう?」
「え!? いや、でも」
「嫌か?」
「いいえ!」
少し困ったように首をかしげて問われてしまい、咄嗟に否定する。本当に嫌ではないのだ。ただ、年齢の割に男性に免疫が少なすぎるので、恥ずかしさのあまりどうしていいか分からなくなってしまうだけで。
「ならば、いいだろう。エスコートだ」
「え、だから、これはエスコートって言うよりっ」
解っていてやっているのかいないのかよく判らない笑顔を浮かべ、ディスファルトは早苗の手をしっかりと握り歩き出す。離すつもりはないようだ。
「さて、何処へ行きたい?」
「あ、え? そのっ」
「見たいものはないか?」
自分だけが慌てているのは何だか悔しい気がして、恥ずかしいのはどうしようもないが勤めて取り乱さないように深呼吸をする。
「じゃあ、ルッティにお土産を買いたいです」
「土産は最終日で良いんじゃないのか?」
「はい。だから何にするか今から探しておくんです!」
「そうか、なら自分の物を見て回るついでに良い物があれば目をつけておけばいい」
大真面目に言った早苗に、笑いながらそう答える。
「あ、そうですね。じゃあ、雑貨屋さんとかってありますか?」
「そうだな……確かこの通りにあったはずだ」
難しい顔で答えるディスファルトを見て、男性とはあまり縁のない店であった事を思いだす。弟は何の躊躇いもなく一緒に来てくれていたので、すっかり失念していたのだ。
「あの、男性は余り雑貨屋さんって行きませんよ、ね?」
「まあ、余り行かないな。私室で使っているインクが切れそうだったから丁度良かった」
「普段から自分で買いに行くんですか?」
「いや、行商の人間が城に来た時に纏めて買っているんだが、次に来るのが二週間後辺りになりそうでな。持つかどうか、と言ったところだったんだ」
「支給制ではないんですね」
「執務室の物はな。私室の物は自分の気に入った物を使っているんだ」
(インクなんてどれも大して変りないと思ってたよ……)
慣れの問題もあるのかもしれないが、はっきり言って早苗には違いなんて大して判りはしない。
そんな事を考えながら、ディスファルトに案内され雑貨屋で心行くまで楽しんだのだが、その間彼は特に苦痛に感じる事まなかったようで、早苗の買い物に付き合ってくれた。
その後、丁度いい時間になったので広場付近のちょっと小洒落たオープンカフェで昼食を取ったのだが、そこも若い女性の好みそうな店だったことから、彼が早苗に合わせてくれている事が感じられた。
(なんか、本当にデートみたい)
うっかりそう思ってしまい、顔に熱が集まってくる。
「どうかしたか?」
「いえ! 何でもありません!」
「そうか? それならいいが」
「えーと、ここって、その、街に来たらよく来るんですか?」
「いや? 侍女たちに勧められたんだ。デザートと紅茶が絶品だと」
「そうなんですか? 楽しみです!」
デザートが美味しいと言われて楽しみにならない女性は少ない。そしてそれは王宮務めの彼女たちが勧めるだけあって、文句なしの美味しさだった。
昼食の後、またしっかり手を取られ、広場から続くあちらこちらのエリアを見て回って行く。王都と言うだけあって、何処か洗練された上品さがそこかしこで感じられた。そして夕暮れと共に迎えにやってきた馬車に乗って公爵邸へと向かったのだった。
そんな美しい光景はほんの一部にすぎないと言う事を、これから早苗は何度も目にしていく事になる--