前日
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課題の期限まであと一日と迫った日の午後、何とか形にする事が出来た。後は明日、レジアスに提出し説明するだけだ。
「あー、結構ギリギリだったなぁ……」
部屋のソファで肘置きに背を預け、ぐったりしながらルッティアの淹れてくれた紅茶を啜る。
「まあまあ、サナエ様。お茶を零してしまいますよ?」
ルッティアが心配そうに言っているが、どうにもこうにも姿勢を正すのも億劫なのだ。徐々にずり落ちてきているのは気付いているが、座り直す気力が湧いてこない。
早苗は基本的に部屋で過ごす事が多いので、部屋着として着られる黒くない修道服の様な服を着る事が殆どだ。今日もクリーム色のそれを着ているのだが、踝が隠れる辺りまでスカートの丈があるので、多少おかしな格好をしていてもスカートが捲れあがる心配もない。
(お茶、早く飲まなきゃ……)
座り直す気がないので早く飲んでしまわないと、ずり落ちて寝そべってしまう事になればお茶をかぶってしまう可能性が高い。
(私一人余裕で寝ころべる広さあるんだもんなぁ……あぁ、このまま寝ちゃいたい……)
昼寝をしてしまえば夜寝られなくなる方なので、なるべくならリズムを崩したくない。明日は最初の大仕事なのだ。うっかり寝坊しましたなんて事になっては洒落にならない。
早苗がいよいよ零れそうになってきたお茶を啜りながら、睡魔と戦っていると不意に部屋のドアがノックされた。
「はーい! どちら様でございますかー?」
そう言いながらルッティアが扉を開け、相手を確認する。
(前にあれやって陽介にえっらい怒られたっけなぁ……)
一人暮らし始めて間もない頃に訪ねてきた四歳下の弟に、相手を確認せずにドアを開けた事を随分怒られた事を思い出した。こちらに来る前から暫く会っていなかったが、元気にしているだろうかと望郷の念に駆られる。
(元気にしてるかなぁ……真面目に大学行ってるといいんだけど……)
父が亡くなってから、母も仕事があったので弟の面倒は殆ど早苗が見てきた。なのでどうも必要以上に心配になってしまう。周りには弟の方が世渡り上手だと言われていたので大丈夫だとは思うが、どうしても心配になってしまう。
「サナエ様?宰相閣下がお見えですが……お通ししてもよろしいでしょうか?」
弟の事を考えていると、ルッティアが傍まで戻ってきて尋ねた。普段は早苗に支障がなければ確認なしで通されるのだが、今日は様子を窺うように問われる。
「ディルが?いいよー?」
「でしたらせめてお身体を起こして下さいね!」
にこやかに言いながら再びドアへと歩いて行く姿を見て、自分の状態を思い出し、大慌てで居住まいを正す。
「うあ!?っと、と」
慌てて起き上ったせいでお茶が少し跳ねてしまったが、手にかかったお陰で服やソファに零さずに済んだ。お茶も淹れられてから時間が経っていたので熱くなく、火傷の心配もない。
「突然すまないな」
「いえ、大丈夫です!」
近くに置いてあったハンカチで手に零してしまったお茶の雫を拭いながら、苦笑を浮かべるディスファルトに答える。
「終わったか?」
「はい。さっき何とか終わりました」
ルッティアが二人分のお茶を淹れ直してくれているので、早苗はディスファルトに向かいのソファを進める。
「そうだ、ディル。この二週間ありがとうございました」
早苗はそう言いながら頭を下げた。この二週間、部屋に籠りっぱなしでうっかりすると寝食を忘れてしまいがちだった早苗に、皆何かと理由を付けて差し入れを持ってきてくれていたが、それが最も多かったのが目の前の彼だった。
ルッティアからも言われたのかもしれないが、日に一度は早苗の様子を見に来てくれていたのだ。
「何がだ?」
「毎日様子見に来てくれてましたよね」
「ああ、俺が気になったから来ていただけだ。手を止めさせて悪いかとも思ったんだが……」
「いえ、私集中するとすぐご飯食べるの忘れちゃうので助かりました」
幼い頃から何かに熱中すると食事をとるのを忘れてしまう事が多く、母親も手を焼いていた。最もひどかったのが大学受験の頃だろう。母子家庭だった為、奨学金制度を使いたいという気持ちもあったので正に寝食忘れて勉強に没頭した。
何とか給付型奨学金を受ける事が出来たお陰で、バイトで貯めたお金で公認会計士の受験予備校に通う事もできた。
「やはり……少し痩せたか?」
「あー……どうでしょう?ルッティも大分頑張ってくれたんですけど、あんまり食べられなかったので……」
そう、ルッティアも随分早苗に食事を摂らせようと苦心してくれた。なので完全に一食抜く事態にはならなかったのだが、食事の量が格段に減ってしまっていた。それでも早苗からすれば、随分健康的な生活を送っているのだが、専属侍女であるルッティアからすればとんでもない事態だったのだ。
「ああ、心配していたぞ?それで、もう終わったんだな?」
「はい。無事に終わりました。御心配おかけしました。ルッティも、ごめんね?」
ディスファルトとルッティアにそれぞれ言う。そんな早苗の様子を見て彼らは仕方なさそうな顔をする。
(ああ、そう言えばお母さんや陽介もよくこんな顔してたなぁ……)
それは何処か早苗のどうしようもないところも受け入れてくれているようで、倒れてしまわないように気を配ってくれていた事を実感する。
自分でコントロールしなければならないのだが、やはり気負っていたのだろう。目の前の事に囚われ過ぎて、一番大切な健康を疎かにしてしまっていたのだ。
(倒れたら……意味ないのになぁ)
「ならば今日は夕食は一緒に摂らないか?」
「あ、はい!是非」
そう誘ってくれるディスファルトの表情は優しさに満ちたものであった。
(あんまり心配かけないようにしないと)
早苗はこれからは無茶しないよう、自分でコントロールしていけるように気をつけようと心に決めたのだった。
早苗さん、社会人なんだからって思うんですが、こんな人です。自分で解っててもなかなか変えられない。二十代ってまだまだ未熟ですよね。水神はびっくりするくらい未熟です。