彼の両親
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今回はいつもより長いです。でも一話で纏めたかったんです。
「絶対! 絶対また来てね! サナエ!!」
そう言ってその女性は早苗を力の限り抱きしめた。
時間は半日程前に遡る。
城下にある公爵邸に向かう馬車の中で、ディスファルトに両親はどんな人物か尋ねてみても、微妙な顔をして“会えば分かる”としか言ってくれなかった。
そんな訳でいつにも増して緊張していたのだが、豪邸と表現するしかない公爵邸を見て緊張が更に増してしまった。
(無理! 何!? このでっかい家は!!)
外観を眺めて唖然としている早苗に、ディスファルトは苦笑しながら手を差し出す。
「どうした?」
「無理です」
「…無理、とは?」
「私、庶民です。普通の母子家庭です。こんなでっかい家にご縁はないんです。色々無理です」
思わず反射的にそう返してしまった。そんな早苗を見てディスファルトは少し笑う。
「確かに普通の貴族なら反発も大きいだろうな。うちは大丈夫だと思うが……」
「いえ、ディルのおうちは貴族の筆頭でしょう」
「……そのはずなんだがな……」
何とも言えない微妙な-馬車で両親について聞いた時と同じ-顔をしてそう呟いた。
そうこうしているうちにディスファルトにエスコートされ、気付けば早苗は応接室の扉の前に立っていた。
(逃げたい……逃げたいよっ)
早苗は内心本気で逃走しようかと考え始めていたのだが、ディスファルトが扉をノックし、中に声をかけてしまったのでそうもいかなくなってしまった。
(女は度胸。女は度胸。女は度胸。あとは愛嬌とハッタリ!)
此処まで来てしまった。昔から母親の口癖である“女は度胸と愛嬌とちょっとのハッタリ”を心の中で繰り返し覚悟を決める。
(婚約って言ったって形だけだもんね! 御両親に協力してもらって……ディルトに良い人が現れたら解消しちゃえばいいんだから。大丈夫。大丈夫!)
真理の部屋でディスファルトの婚約者になる様レジアスに言われた時は深く考えていなかった……と言うより混乱していて考えが及ばなかったディスファルトの地位に気付いてからは、正直形だけでも婚約なんて勘弁して下さいと言いたかったのだが、国王が提案して王妃と宰相が拒否しなかったのだ。きっと最善に近い案なのだろう。
不可抗力とは言え、突然やってきた早苗にこの国での居場所を作ってくれようとしている彼らに、これ以上迷惑はかけられない。かけたくない。だったらここで彼の御両親に何を言われても頑張って協力して貰えるよう説得しなければならない。
(よし! 頑張る!!)
そう自分に気合を入れて扉が開かれるのを見つめていると、ディスファルトが彼の腕に添えていた早苗の手を外し、握り直した。
(これは……! 世に言う恋人繋ぎではありませんか!?)
「サナエの世界ではこうするんだろう?」
「はいぃ!?」
「マリがそう言っていたが?」
(真理さん!! 何教えてるんですか!?)
早苗が真っ赤になりながらあわあわしているのを見て楽しそうに笑い、そのまま室内に促す。
(ちゃんとした笑顔……初めて見た……)
思わず見惚れてしまい、気が付けば公爵夫妻と思われる二人の男女の前に来てしまっていた。
(あぁ! いきなり意識を飛ばしちゃったよ…)
「それで……ディル? 婚約するって書いてきていたけれど……その方?」
早苗に視線を寄越しながら女性が聞く。
「母さん、まずは紹介させてくれませんか?」
視線に固まってしまった早苗とは違い、呆れたように溜息をつきながらディスファルトが言った。
「え、ええ。そうね。ごめんなさいね。わたくしったら……」
「では、改めて紹介させていただきます。こちらはマキサナエ。王妃マリ様と同じ世界から来た方で暫くは王宮で保護する事になりました」
「マキ?」
「名前はサナエですよ。サナエ・マキと言った方が分かりやすいですか?」
「はじめまして。本日はお招きいただきありがとうございます。真木早苗と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
ディスファルトが夫人にそう言いながら、繋いだままだった手をそっと外し早苗の背に当てたので、そのタイミングで何とか挨拶をする事が出来た。
「うふふ、そんなに堅くならないで? サナエと呼んでもいいかしら?」
「は、はい」
「良かった。わたくしはディスファルトの母でリリナよ。この人はわたくしの主人でディスファルトの父親のファイナス。よろしくね?」
リリナの隣に立つファイナスは穏やかな笑顔を浮かべながら頷いてくれた。
早苗は先ず反対されるか身辺調査っぽい質問を繰り出されると思っていたので、夫婦そろって穏やかによろしくと受け入れられると逆に戸惑ってしまう。
「よ、ろしくお願いします」
先ほども言ったのだが、もう一度そう言いながら頭を下げる。
「さあ、二人とも座って? お茶でも飲みながら婚約の事、詳しく聞かせて下さる?」
リリナがそう言うとディスファルトは早苗をソファーに促し、二人並んで座る。公爵夫妻も早苗たちの向かいに座り、好意的な目で見つめてくれている。
「そうですね。ではこちらの事情を話しますので協力して頂きますよ」
そう言ってディスファルトは早苗がこちらに来た時の状況、これからの待遇等を伝えた。
「まあまあ……それじゃあサナエの意思でこの国に来たわけではないのね?」
「はい」
「あちらに御家族は?」
「母と弟が居ます」
「…父君は?」
今までにこやかに話を聞いていた公爵がそう聞いてきた。
「亡くなりました」
そう答えると何とも言えない沈黙が起きた。ディスファルトは驚いたようにこちらを見ている。
(いやいや、ディルトにはついさっき言いましたよ? ……あれ? もしかしてこの国に母子家庭って言葉はないのか?)
「あの、もう随分前の事ですから」
「そう……じゃあ、お母様はお一人でサナエと弟さんをお育てになられたの?」
「はい」
落ち込む事も泣きたい事もたくさんあっただろうに、自分たちの前ではいつだって元気で笑ってくれたいた母。
思い出すと心が揺れる。突然失踪状態でどれだけ心配しているだろう。
「サナエ」
隣から穏やかな優しい声に呼ばれる。いつの間にかディスファルトは再び早苗の手を握ってこちらを向いていた。
「サナエ! わたくしたちの事をこちらでの親だと思ってなんでも言って下さいね!」
どうやら公爵夫人の胸に何かが響いたらしい。潤んだ瞳で両手を胸の前で組み、こちらを見つめている。
「は、はい。ありがとうございます」
「そうだわ! わたくしの事はお義母さんって呼んで下さいな!」
「へ、お義母さん!?」
「ええ! そう! ああ、そうそう。話が逸れちゃったわね。それで婚約の事だけど、サナエが異世界から来た事は当面は公表しないのよね?」
「ええ。神殿に神託も下ったのですが暫くの間は公表もしないつもりです」
(そういえば何故か神託とやらも下りたんだよねぇ。びっくりだわ。てか本当にあの黒外套って何者よ……)
「そう。ならサナエはわたくしの遠縁の娘で貴方とは以前から婚約していたと言う事にしましょう。両家の諸々の事情で大きく発表するタイミングがなかったとでも言っておけば何とかなるでしょう」
「……母さん……いくらなんでも以前からの婚約者と言うのは無理がないですか?」
「大丈夫よ。わたくしの母の従姉妹も他国へ嫁いでいるの。その娘だって事にしてもらいましょう。ほら、八年くらい前に一度わたくしの実家へ行ったでしょう? あの時従姉妹も来ていて、その時から話が進んでいた事にしておけばいいんじゃない?」
「あの、良いんですか…?」
リリナの中ではシナリオが出来上がりつつあるような口ぶりであるが、実際に居る身内を使う事になると問題も出てくるのではないのだろうか。そう思って尋ねたのだが、リリナもファイナスも満足気に頷いていた。
「わたくしは隣のメラリア公国から嫁いできたの。それで、彼女はルファとは反対隣のラジェス王国へ嫁いでいるの。母の従姉妹と言ってもわたくしとそんなに年も違わないから末娘で通るわ。ルファとラジェスは距離も遠い事と行き来するには必ず他国を通過しないといけない事もあって、近隣諸国のうちでは国交は少ないの。だからそう言った意味でも都合がいいのよ」
「そうなんですか……」
「向こうにはディルのお嫁さんに良い娘が居るんだけど、身分の事を言ってくる人が居るから養女にして欲しいって頼んでおくわ」
「でもその場合先方に御挨拶に伺わなければならなくなるんじゃ……」
「大丈夫。そのあたりは何とでもなるわ。とりあえずこんな感じでどうかしら?」
「では、サナエがルファに来た理由はどう説明するつもりですか?」
ディスファルトに問われるとリリナはにっこりと笑顔を向ける。
「まだ結婚しないって言い張ってる息子にしびれを切らせたわたくし達が呼び寄せたでいいじゃない」
「……確かにそうですね」
「じゃあこれで決まりね!」
「はい。ではそれでお願いします。あちらへの連絡も頼んでいいんですね?」
「任せてちょうだい!」
「ありがとうございます! お願いします」
「さあ、話しが纏まった事だしサナエ、君の事を聞かせてくれるかい?」
そうファイナスが締め、そこからは和やかなお茶会となった。
リリナもファイナスも温かく早苗迎えてくれ、とても楽しい時間になった。
そしてそろそろ王宮に戻る時間になり、冒頭の場面となる。
「サナエ、わたくしたち暫くは王都に居るから遠慮なんてしないでいつでも遊びに来てね!」
そう言って更に抱きしめる力を強くする。
(誰かに抱きしめられるのって安心する……痛いけど……)
「母さん、サナエが潰れるから」
苦しくなってきた所でディスファルトがリリナを早苗から離す。
「ありがとうございます。また是非お邪魔させて下さい」
「それじゃあ。また来るから」
馬車の前まで見送ってくれたので、そう言って馬車に乗り込んだところでリリナがディスファルトに声をかけた。
「ディル、ちょっといいかしら?」
「サナエ、すまないが少し待っていてくれ」
「はい」
その後すぐにディスファルトは戻ってきたのだが、何かを考え込んでいるようだった。
(でも、良い人たちで良かった! うん、会えば分かるって確かに想像してた貴族って感じじゃなかったな)
まだまだ沢山あるとはいえ、一つ大きな問題をクリアしたお陰で随分心が軽くなった。
(明日からも頑張ろう!)
そう思いながら早苗は、王城に着くまで窓の外の流れる景色を飽きる事なく眺め続けた。