第14話 無彩域(カラーレス・ワールド)世界は音もなく褪せていく
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記憶空白域から戻っても、心の底に残る波紋は消えなかった。
世界の“色”が少し薄く見える錯覚。
疲労のせいだろうと自分に言い聞かせたが、
本能は別の警告を鳴らしていた。
そして――
次の出動要請が届く。
降下艇の内部はいつも通りの無機質な光に照らされ、
リネアの落ち着いた声が響く。
『こちらリネア。ノワール、音声チェックお願いします』
「問題ない。記録も継続している」
『ありがとうございます。では……今回の異常ですが――
“色が消える世界”が発生しています』
「……白黒化するという意味か?」
『いいえ。
“色が白黒になる”のではありません。
“色の情報が削除されている”のです』
「削除?」
『はい。
その区域に近づくと、
赤・青・黄……どんな色も、“最初から存在しなかった”ことになります』
記憶空白域に似ている。
だが今度は“視覚情報そのもの”が白紙化される。
『さらに深刻なのは……
区域に入った者の“色の記憶”まで一時的に消えることです』
「色の記憶……?」
『はい。
緑がどんな色か、
血の赤がどんな色か、
空の青がどんな色か――
脳が思い出せなくなるそうです』
視覚と記憶、両方から“色”が消える。
『そして行方不明者が一名。
最後の通信は
“世界が灰色に飲み込まれる”
という言葉を残しています』
「世界の色を奪う異常か……」
『ノワール。
あなたは視覚異常の影響を受けやすいタイプです。
どうか慎重に』
「心得ている」
降下艇が地面に接触した。
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■無彩域の境界 ― 色が“剥がれる”
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外に出た瞬間。
俺の視界は――まだ正常だった。
しかし遠くの大地には、はっきりと“境界”があった。
草原の緑が消え、
木々の茶色が消え、
空の青が“白い空間”へ溶けていく。
色が段階的に剥ぎ取られ、
世界が“記録前の構造”だけになっていた。
「……これは……」
『ノワール、色の情報が“上書き不能”になっています。
あの区域では、“色という概念”そのものが存在できないんです』
「色が存在できない……?」
『はい。
例えば赤い花があっても、
脳は“赤”という情報を記録する先を失います。
結果的に“色のない花”としてしか認識できなくなる』
「メモリ空白域の“視覚版”か」
『その理解が近いです』
ゆっくりと境界へ近づく。
緑の草は、まず淡い灰へ変わる。
さらに近づくと、灰の濃淡すら消え、
純粋な“白い形”に変わった。
色が消えるのではなく、
色という情報そのものが“削除”されていく。
「リネア。俺の視界はどう見えてる?」
『……ノワール。
あなたのカメラ映像では、まだ色は残っています』
「実際の俺の目には色が消え始めてる」
『やはり……区域は“人間の脳”を直接上書きしています』
区域の縁に立った瞬間――
俺の視界から青色が消えた。
空が白い。
どれだけ目を凝らしても、青を思い出せない。
(青って……どんな色だった?)
分からない。
俺は一歩引いた。
『ノワール、青の記憶を失いましたね?』
「……ああ。青が思い出せない」
『記憶領域が“色データ”ごと消されています。
一度消えた色は、“領域外へ戻るまで”思い出せません』
「厄介だな」
『あなたが色の概念を強く意識しすぎると、
逆に“消去領域”が広がる可能性があります』
「じゃあ気にしないように進むしかないな」
俺は無彩域へ踏み込んだ。
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■世界は“記録前の白”に戻る
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無彩域の内部は――
本当に“色”がなかった。
草も木も地面も空も、白い。
ただ濃淡の影と形だけが存在している。
世界の“線画”の中に迷い込んだようだ。
色を失った世界は、
美しくもあり、恐ろしくもあった。
『ノワール、心拍が乱れています。
気をしっかり持ってください』
「大丈夫だ。錯覚では済まされないが、適応する」
歩くたびに、足元の草が白い粉のように見える。
そもそも“緑”という情報を脳が保持できない。
白いものを踏んでいる感覚。
上空から白い粒子が落ちてきた。
(……雪か?)
それは雪ではない。
“白い雨”だった。
本来は透明なはずの雨粒が、
色の情報を失い、白い粒になって落ちているのだ。
空気中の水分も色彩情報を持つ。
だからそれが消えている。
色を消す異常は、
世界の“情報構造”そのものに干渉していた。
そのとき、足元に――
“色のない影”があった。
「行方不明者か……?」
人影はしゃがみ込み、
頭を抱えていた。
近づくと、女性の声が聞こえた。
「……色が……色が分からない……
何も……思い出せない……」
彼女の瞳は虚ろだった。
「黒須蓮だ。救助に来た」
「……あなたの……色は……?」
「俺に色は関係ない。今は出ることが先だ」
彼女は震えながら言った。
「……色って……何……?」
その言葉には、
“概念そのものの欠落”があった。
色の記憶を消されるとは、
ただの白黒世界を見ることではなく――
“世界の意味をひとつ奪われる”ということだ。
『ノワール、彼女の色概念は完全に消えています。
安全圏まで運び出せば、記憶が復元されます』
「なら急ぐ」
俺は女性を抱え、歩き出した。
だが――
進行方向の視界に“完全な白の壁”が広がった。
(何も……ない?)
そこには風景があるはずなのに、
色だけでなく“形”すら白に飲まれている。
情報が欠落した“世界の空白”だ。
『ノワール、そこは“完全白紙域”です!
視覚の記録が不能になっている!!
進めば、あなた自身の視覚が一時的に失われます!!』
「避ける。回り込む」
白の壁を避け、別方向へ進む。
だがまた出る。
白の壁。
色が消えているのではなく――
“情報が剥がれている”。
視覚の“塗り”と“線”の両方が失われた場所。
「リネア、出口ルートは?」
『ノワール……
すみません……地形データが白紙化されています。
マップが……“真っ白”です』
「白紙化……」
『はい。
この区域は“記録される前の世界”のような状態です
誰かが――世界の色を“初期化”している』
(外側の層……)
色、記憶、言葉、時間、影――
あらゆる情報が削られつつある。
世界が“まだ世界になる前の状態”に戻ろうとしている。
『ノワール……
あなたは、まだ“色を思い出せますか?”』
「……試してみる」
青――
思い出せない。
赤――
ぼんやりとした暖かい感覚はある。
緑――
ほとんど分からない。
『色の概念が侵食されています。
急がないと、あなたも長期的な影響を受けます』
「進む」
白の世界の隙間を縫い、
握った女性の手だけを頼りに歩いた。
色がない世界では――
触覚と重心感覚しか頼れない。
『ノワール、出口付近の色データがわずかに復元しています!
あと百メートル!!』
「了解」
白はまだ濃い。
だが――
その白の奥に、微かな“灰色”が戻りつつあった。
女性が震える声で言った。
「……あなたの瞳……どんな色……?」
「分からなくていい。
外へ出れば、思い出せる」
そう伝え、白の境界を抜け出した。
色が――戻り始めた。
世界に、青が戻り。
木々に緑が戻り。
女性の目に“光の色”が戻った。
「……色……
すこし……思い出せます……」
『ノワール……お疲れ様でした。
本当に……よく戻ってきてくれました』
「お前の声が残ってる限り、迷いはしない」
『……はい。
それを聞いて安心しました』
白紙の世界は、まだ背後に広がっている。
消える色。
消える記憶。
消える概念。
世界は少しずつ、
“何か別の形”へ書き換えられ始めていた。
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