42.終わらせたはずの恋の結末 END
sideリディア
今日はお互いの家に近況報告へ赴いた。邸に帰る頃にはすっかり日が暮れ、夜となっていた。
「エデルに、すっかり懐かれたわね」
レオナードは少し照れくさそうに視線をそらした。
「俺っていうか……ハンスの菓子というか……」
レオナードは気まずそうに言いながら頬を掻く。彼を慕うエデルの笑顔の裏に、手土産で持っていったハンスの甘い焼き菓子の存在があることにも、気づいているのだろう。
「はっ! まさかお前もハンスの菓子狙いで俺を選んだのか?」
突然レオナードが芝居がかった口調で目を見開き、わざとらしく驚いた表情を作る。
私はくすっと笑い、わざと眉を上げた。
「どうだったかしら?」
「おいおい」
レオナードは大げさに肩を落とし、ふてくされる。そんなことを思っていないくせに。
その表情が可笑しくて、私はさらに微笑んだ。
「エデルは賢い子よ。あなたが私を大切に想っていることも、私があなたを好きなことも、ちゃんと分かっているわ。初めて会った時から『レオナード兄上』と呼んでいるもの。あの子、兄という存在に憧れていたのよ」
そう告げると、レオナードは目を丸くした。
セオドアのことは、一度も兄上と呼んだことがないのに。
「ええ、きっとエデルにとって、あなたが理想の兄なのよ」
「そうか……俺は兄が2人もいるから、弟に憧れていた。よし! 俺はエデルの理想の兄となるぞ!」
レオナードは拳を握りしめ、まるで何かの決意を固めたように力強く宣言する。
「そのままで大丈夫よ。賢く剣の腕も立つ、優しい兄が理想と言っていたもの」
「……今日はずいぶんと褒めるな」
「これまでは、我慢していたのよ。もう旦那様ですもの。素直になっても……」
言葉を紡ぎながら、私はそっと視線をおとしめた。
「だから、あなたにも素直に話してほしいわ」
「何を話してほしいんだ?」
レオナードが首を傾げる。その仕草がいかにも彼らしくて、私は思わず微笑む。そして、わざと少し間をおいて、静かに告げた。
「トマト」
「トマト?」
思いがけない単語に、レオナードは瞬きをする。
「ええ。あなた、本当は、ハンスが言うように昔からトマトが大好きなのでしょう?」
その瞬間、レオナードの表情が固まった。私は優雅に微笑みながら、じっと彼の反応を待った。
*****
2年生となったある日。
セオドアとエマの距離がどんどん近づいていくのに気付いた。
どうにかしなければという思いに潰されそうだった。
「顔色が悪いが、どうかしましたか?」
心配そうな声が降ってくる。ふと顔を上げると、綺麗なアメジストの瞳がこちらを覗き込んでいた。
わずかに眉をひそめた表情に、微かな気遣いが滲んでいる。
「昼は食った……あー食べたのですか?」
「あなたの、いつも通りの口調で、大丈夫よ。レオナード・ボーモントだったかしら」
彼は驚いた表情をしたが、すぐに頷いて口元を緩めた。名前を知っていたからだろうか? 同じクラスの特待生ですもの、もちろん知っていた。
「食べてはいないわ。食欲がないの」
ランチルームに行く気力もない。
私がそう答えると、彼は、手元の包みを軽く持ち上げた。
「実は、俺のランチのサンドイッチ……トマトが入っているんだ」
「嫌いなの?」
呟くように言うと、彼は小さく頷いた。
そして少しだけ考え込むように沈黙する。やがて、思い立ったようにこちらを見た。
「グラント侯爵令嬢は、トマト、好きか?」
「ふふ、クラスメイトですもの、リディアでいいわ。トマトは大好きよ」
「リディア……。なあ、リディア、トマトが好きなら食べてくれ」
彼はサンドイッチの包みを差し出しながら、静かに言った。
「せっかくうちのシェフが、俺のランチに作ってくれたのに、残すのも捨てるのも、気が引ける。助けると思って、な?」
その声はどこか穏やかだった。
「……分かったわ」
包みを受け取り、そっと開くといい香りがした。
サンドイッチの優しい味と彼の優しさに、胸の奥が少しだけ温まるのを感じた。
ふわりと広がるパンの香ばしさ、しっとりとした舌触り、そして甘酸っぱいトマトの瑞々しさが口の中に広がる。噛むたびに、その穏やかな味わいが緊張していた心をほぐしていくようだった。
レオナードはじっと私の様子を見守っていた。彼の瞳が、わずかに安堵したように細められる。
「どうだ?」
小さく問いかける声は、どこか嬉しそうだった。
「すごく、美味しいわ」
そう答えると、彼は満足そうに微笑んだ。
*****
この時からずっとトマトが嫌いだと思っていた。でも……
「……あの時のことか。あれは、声をかける機会をうかがっていたんだ。……あー、だから仲良くなりたかったんだよ。ハンスが俺の苦手なものをランチに入れるわけがないだろう?」
レオナードは照れ隠しのように、小さく笑った。
そんな彼をじっと見つめた後、ふっと微笑む。
私の様子を見たレオナードは、思い出したように問いかける。
「リディアこそ、あの日、なんで俺の望みに気付いていたんだ? 俺がお前の傍に居たいって」
あの話し合いの日のことね。
「ふふ、そうね、これよ」
つけていたネックレスを掲げる。
「あなたが露店で選んだシルバーのチェーンにアメジストの宝石のネックレス。『お前を守るもの』だと、あなたの色のアクセサリーを贈るなんて……告白されたかと思ったわ」
「……そんなこと何も言わなかったのに」
レオナードの瞳がわずかに揺れる。
「言えなかったのよ。私の想いも言ってしまいそうで」
「お前はいつから、その……俺のことを?」
少し目を伏せ、ふと考える。
「そうね、窓に映った自分を見たときからかしら?」
「窓?」
淡い陽光が窓ガラスに滲み、室内の景色と重なって、そこに映った自分の姿をぼんやりと捉えた、あの日。
「一年半位前かしら? あなたと会話をしていた時、ふと自分が窓に映ったの。私、恋をしている顔だったわ。よく気付かなかったわね」
レオナードは息を呑む。
「リディア……これからは、お前の表情は、何一つ見逃さない。全力で守ることのできる地位も手に入った。もう、リディアを諦めることはない」
そう言った彼の表情は、誓いを立てる騎士のように真剣だった。
今までだって、守られていた。
次の瞬間――ふいに涙がこぼれた。
ぽたり、と頬を伝い、指先へと落ちる。
「うわ、お前また泣く。普段、完璧な淑女なのにな……」
レオナードが慌てたように言葉を詰まらせる。
「ふふ、嬉し泣きよ。慌てないで」
「好きな女が泣いているんだぞ。心配するし、慌てるだろ。普段は隠しているだけだって……この話、前もしなかったか?」
彼の言葉に、くすりと笑みが零れる。
「『好きな女』は、聞いていなかったわ。でも、なぜ、慌てていることを隠していたの?」
一瞬、レオナードの表情が止まる。
「だから、好きな女の前だぞ。恰好つけたかったに決まってる……」
レオナードは少し気恥ずかしそうに目をそらしながら、ぽつりと漏らす。
「あー、カタリナに聞いてみろ。お前がまだ泣いているのに、俺の様子を見て小さくにやついていたんだからな。ひどい友だろ?」
「ふふ……カタリナにも、ダリウスにも心配かけたわ」
「気にするな、友達なんだから」
忙しくて、まだ手紙でしか報告ができていない。しかし、祝福に溢れた返事が届いた。
「来週会いに行くのが楽しみね」
「そうだな」
レオナードが頷く。
また、四人で笑い合う時間――。
目を閉じ、カタリナとダリウスの顔を思い浮かべる。
カタリナはきっと、微笑みを浮かべながら、『ほら、やっぱりこうなったじゃない』と、からかうように言うのだろう。得意げな顔で笑う姿が目に浮かぶ。
ダリウスは、そんなカタリナに呆れたような顔をしながらも、最後には苦笑して、カタリナに同意するだろう。
きっと、レオナードは、やれやれと肩をすくめる。その隣で、私はそっと微笑む。
そんなに四人で過ごす時間が、これからもずっと続いていけばいい。
「また、皆で会えるのね」
静かにそう呟いた唇から、自然と笑みがこぼれる。
カタリナとダリウスが、あの変わらぬ笑顔で迎えてくれることを想像しながら――。
END




