27.どれほど目を奪われても sideエマ
sideエマ
モンルージュ公爵家は、嫡男のいる伯爵家と、子供のいない子爵家の二つを候補として紹介してくれた。どちらの家も、私を養女として迎え入れたいと望んでいるらしい。
それならば、伯爵家一択に決まっているわ。
私はすぐに父に返事を書いてもらった。ペンを滑らせる父の手元を見つめながら、胸の内に広がる安堵を噛みしめる。これで、私は確かな後ろ盾を得ることができる。
伯爵家との顔合わせは滞りなく進んだ。初めて訪れたとき、白亜の外壁の優美な邸に驚いた。庭にも色とりどりの花が咲き誇っていた。その邸に、ここが新しい居場所になるのだと実感し、心が引き締まる思いがした。
応接室に通されると、伯爵夫人が温かく迎えてくれた。
「ずっと、娘になってくれる子を探していたの。お嫁に行くまで、たくさんお話をしましょうね」
夫人は柔らかな微笑みを浮かべながら、私の手をそっと握った。指先から伝わる体温に、胸の奥がじんと熱くなる。
「もちろん、お嫁入りの準備も、すべて私に任せてちょうだい」
その言葉に、込み上げるものがあった。夫人の優しさが心に染みる。今まで、私の未来を案じてくれる大人はいたけれど、こんなにも親身になってくれる人が現れるとは思わなかった。
これで公爵家への持参金の心配もいらないわ。
幾度も訪問を重ねるうちに、伯爵家の人々とも打ち解けていった。
使用人たちも私を新しい令嬢として受け入れてくれて、家の空気に馴染んでいくのを感じる。
そして、卒業前には正式に養子縁組みの手続きも済ませた。邸に来るのは卒業後でいいと言ってくれている。
手続きが完了した日、私が男爵家に戻ると、お母様がしみじみと呟いた。
「これで、私たちの娘ではなくなるのね……」
寂しげな声音に、胸がぎゅっと痛む。私はすぐに首を横に振った。
「そんな悲しいことを言わないで。お父様もお母様も、ずっと私の大切な家族よ。卒業パーティーには、二人が来てね。もちろん、結婚式には必ず呼ぶわ」
お母様の瞳が潤み、やがて微笑みがこぼれる。頬を撫でる手が、ほんの少し震えていた。
伯爵家に迎えられたとはいえ、私は男爵家の娘。育ててくれた家の利益になるよう、私なりにできることをするつもり。公爵家に嫁いでもそれは変わらないわ。それが、私の恩返しだから。
「なんて親孝行なんだ」
お父様の感動したような声が部屋に響く。その声に、私は静かに微笑んだ。胸の奥が温かくなるのを感じながら、私はそっと目を伏せた。
翌日、朝の光が柔らかく窓から差し込む中、セオドアが我が家を訪れる。
「エマ、伯爵家の養子おめでとう」
セオドアは穏やかに微笑み、私に箱を差し出した。
「そして、これはプレゼントだよ」
彼の指先から手渡された箱は、美しいリボンで包まれたものだった。そっと蓋を開けると、そこには繊細な刺繍が施された美しいドレスが収められていた。滑らかな生地が光を受けて上品に輝き、まるで私を待っていたかのようにそこに収められている。
「素敵……」
思わず息を呑んだ。指でそっと触れると、柔らかく、しっとりとした感触が指先に伝わる。
「卒業パーティーには、これを着て、私と一緒に入場してくれ」
静かに紡がれた言葉に、私は驚きで目を見開いた。
「いいの? 私で……?」
私の胸の奥で、戸惑いと喜びが入り混じる。彼の隣に立つべき人間は、本来ならリディアだったはず。それなのに。
セオドアは優しく微笑み、そっと私の手を取る。彼の手は温かく、けれどしっかりとした意志を秘めた力強さがあった。
「エマがいいんだ」
低く、けれどはっきりとした声が、私の心の奥底まで沁み込んでいく。
気づけば、私は彼の胸に飛び込んでいた。
――未だ婚約者であるリディアではなく、私を選んでくれた。
悔しがる彼女の顔が目に浮かび、ほくそ笑む。
「――それに、考えがあるんだ」
セオドアの声が耳元で低く響く。落ち着いたその声に、鼓動がゆっくりと速くなる。
「早い段階で私たちのことを公にしてしまえば、卒業前に、有無を言わさず婚姻を進められるかもしれない。私の父とリディアの父は、卒業パーティーに出席する。その場で、リディアではなくエマと共に入場したら、さすがに察するだろう。他の者の目もあるし、即座に大ごとにはできない。話が通りやすくなる」
彼の瞳には、確かな決意が宿っていた。
「実は、パーティーの三日後、公爵家も交えた話し合いがある。そこで、一気に決着をつけるつもりだ」
静かに、しかし力強く告げられたその言葉に、私は息を呑む。
「エマの養子縁組みも、すでに取り計らわれている。伯爵家に、そして公爵家にも気に入られているのは間違いない。安心してくれ」
そう言いながら、セオドアは優しく私の肩を抱いた。その腕の温もりが、私を包み込む。
「セオ……」
言葉にならない思いが、胸の奥であふれそうになる。
「……リディアには分からないだろう」
彼はふっと目を伏せ、一瞬、遠い記憶を手繰るように小さく息を吐いた。
「私に与えられた重圧が。のちの公爵――恵まれていると言われることもあるが、公爵家を背負うことを自覚して生きなければならず、ずっと窮屈な思いをしてきた。相応しい振る舞い、相応しい能力‥‥いつだって、まだ足りないと言われた。自由などなく、自分の意志とは関係なく決めらた人生」
静かに紡がれる言葉は、これまでの彼の苦悩をそのまま映し出していた。
「だが、自分がどれほど重要な存在か、自信を失わずにいられたのは――エマ、君のおかげだった」
彼が私を見つめる。
その眼差しは、私の心まで捉えているようで、思わず息を呑んだ。
「卒業というゴール、そして新たな旅立ちであるパーティーには、君と共に」
彼はそっと、私を見つめる。
「伯爵令嬢として初めて迎える公の場。相応しいドレスを身に纏い、皆に見せつけよう」
まるで誓いのように、彼ははっきりと告げた。
「エマこそが、私の隣に立つべき人だと」
その言葉が空気に溶けるように響く。深く落ち着いた声だった。
こんなにも、こんなにも思われている――。
胸が熱くなる。心臓が強く脈打ち、喉の奥が震えた。言葉を発しようとするのに、感情がそれを押し留める。
私はそっとドレスに手を伸ばし、指先で布地の柔らかさを確かめる。上質な絹の感触が、指の腹にやさしく吸いついた。
これは、ただの贈り物ではない。彼の想いそのものだ。
「ありがとう」
声が震えないように、そっと小さく頷いた。
セオドアは静かに微笑む。その微笑みは穏やかで、けれども揺るぎないものだった。
私は、自分の胸の奥で何かが変わるのを感じていた。
王子は、……もういいわ。
結局は舞台の上の俳優を見つめるような気持ちだったのだ。どれほど目を奪われても、手を伸ばしたところで届くはずもない。
何度、視界の端に彼の姿を捉えようとしても、人混みの向こうに霞んでしまう。
人目のない場所で話せる機会を作ろうとしても、彼は突如として姿を消してしまうことが幾度もあった。距離を縮めるどころか、手を伸ばすたびに遠ざかる。まるで幻を追っているようだった。
――届かないものを追いかけるのは、もうやめよう。
私はそっと目を伏せる。
「私には、セオしかいないわ」
口にした瞬間、その言葉が自分の中で確かなものになる。セオドアの手の温もりが、それを確かに後押ししていた。




