チャプター1 朝の日課
早速ですが、前作「セーラー服と雪女」からのスピンオフ第1弾です。
今回は、より読みやすい短編です。
こちらから先に読んでも、本編から読んでも楽しめる構造です。
よろしかったら、両方どうぞ(>_<)
酒井弓子は走っていた。
別に遅刻ギリギリだなんていうことはない。
ただ毎朝、学校に着いたら、やりたいことがあるのだ。
四年三組の教室にたどり着くと、すぐに自分の机にランドセルを放り出す。
その後は、真っすぐ運動場の西側に向かう。
そこには、樹齢50年ほどのクスノキがあった。
「さあ、今日はどこまで登ってやろうかしら。」
独り言を言いつつ、まずはすぐ横にある鉄棒に手を掛ける。
器用に鉄棒の上に立つと、ひらりと木に飛び移る。
朝、誰にも邪魔されずに、この木の上の方まで登っていくことが、弓子の至福の時間なのだ。
弓子が木のてっぺんから中ほどの枝に手を掛けた時、そこに人影があるのを見つけてギョッとした。
「あら、いらっしゃい。やっぱり今日も来たのね。」
その人影がしゃべりだした。
弓子はびっくりして、もう少しで木から滑り落ちるところだった。
「気をつけてよ。この木、見た目より滑りやすいから。」
弓子を見下ろしながら、笑顔でその人影はしゃべり続ける。
人影の正体は少女だった。
「セーラー服を着た中学生?…ううん、もっと年上、高校生かな?」
弓子は首をかしげたが、判別がつかなかった。
「えっと、誰ですか?ここは小学校ですけど、こんなところで何をしているのですか?」
弓子はその人物に、勇気をふり絞って訊いてみた。
よく見ると、なかなかの美人だ。
私と同じくらい肌の色が白いかしら。
「一つ目の質問には答えにくいなあ。まあ、私は、ある少年の義理の姉、みたいなものよ。それからその少年はね、アナタのことがチョット好きなの。」
「二つ目の答えは、アナタをここで待っていたの。」
お姉さんは、キレイなピンク色の唇で答える。
「実は私ね、ここ一カ月ほどのアナタの行動を観測していたの。もう、毎朝同じことをしてるから、失礼だけどちょっと笑っちゃったわ。」
くっくっく、と実際そこで笑ってから少女は話を続ける。
観測ってヘンな言い方。観察じゃないのかな。
それにしても、素敵な瞳。見ていると吸い込まれそうな褐色だ。
「昭和の女子小学生って、よほど娯楽がないのねえ。」
彼女にそう言われると、弓子はプライドが傷ついた気がした。
「どんなことを趣味にしようが、私の勝手でしょ?」
そう言うと、少女は真顔になった。
「ああ、コレは失礼。アナタの言うことはもっともだね。謝るよ。」
あれ?この人年上なのに、なんだか素直だぞ?
木登りをしていると、周りの人たちからいつも文句を言われた。
母も、先生も、同級生の男子たちからも。
でも、なんでだろう。
言われれば、言われるほど「もっと高いところまで登ってやる!」っていう気持ちが湧いてくる。
「ただ二つだけ言わせて欲しいの。」
彼女は続ける。
「まず、アナタがもしも木から落ちて、ケガをしたり死んだりしたら、私の弟がショックで落ち込んでしまうんだ。だから…その…やめろとは言わないけど、ほどほどにして欲しい。」
「そう…なんですね?」
弓子はその弟とやらに何となく思い当たる気がした。
なぜ今、雪村君のことが頭に浮かんでしまったのだろう。
「それから二つ目だけど…。」
「何かしら?」
「木に登る時の服装なんだけど、もうちょっと…何とかならないのかなあって。」
弓子はギンガムチェック柄でミニ丈のワンピースを着ていた。
袖口と襟元に可愛らしい白のフリルのついたやつだ。
確かに今、下から誰かがやって来たら、白い下着が丸見えだろう。
そう思ったら急に顔が熱くなってきた。
「…じゃあ、用は済んだから、コレで失礼するわね。」
セーラー服のお姉さんはそう言うと、二つにまとめたお下げ髪を振りながら、さらに木の上の方に登って行った。
そして、あっという間に見えなくなってしまった。
「お姉さんも、紫のパンツ丸見えじゃん。」
頬を赤らめたまま、弓子は捨て台詞を吐いてしまうのだった。
コレが1974年10月某日のことである。