小雨
思い付き。
「まったく…天気予報なんかあてにならないったらありゃしないわ!」
そう深夜の駅前のアーケードで癇癪を起す1人の女。アーケードの屋根からはダダダ!と強く打ち付けられる音がする…どうやら大雨が降っているらしい。
「コンビニには傘は売ってなかったし、ならと思ってカッパでもと思ったら全員考えは同じなのか売り切れ。こんな時間じゃ他のお店なんてやってないし、タクシーは深夜料金掛るし待たなくちゃいけない…どうしたら」
「――そこの方、傘は如何かね?」
「え?」
こうなったらずぶ濡れになるのを承知でと考え始めたところで横から声を掛けられた。声の方向に向いてみると、そこには傘が幾つも並んでおり、横には看板なのか閉じられた和傘のマークと共に傘貸しの文字。
「傘貸し?こんなお店あったかしら?」
「最近この場所にやって来たばかりでね。雨の日にしか営業していないから、知らないのも無理はないさ」
傘が並ぶ裏から顔を覗かせたのは人の良さそうな顔をした糸目の若い男。
「そうなの…それで、傘貸しってなによ?」
「そのままの意味さ。傘が必要な人に貸して、必要がなくなったら返してもらう…シンプルだろう?もう夜も更けてきたんで店じまいにしようと思っていたが、お嬢さんは運が良い」
「はぁ。でもお金とるんでしょ…って無料!?」
看板の下の方を見ると、料金はいただきませんの文字が。
「こんなの商売にならないでしょ」
「あくまでも傘を貸すだけですからな。モノは返ってきますし、他の事業で儲かっておりますので」
「はっ、成程。金持ちの道楽ってわけね」
「ボランティアと言っていただけた方が嬉しいですな…まぁ貸し借りの関係ですのでそれも違うのですが」
「別にそんなのはどうでもいいわよ。それで?この中から好きなのを選んでいいのね」
「ええ、どれでも構いません」
それならと話している間に目を付けていた綺麗な黄色の傘を取り、一度広げてみた。
「頑丈そうだし柄も握りやすい…色も気に入ったしこれにするわ!」
「畏まりました、ではこちらに記帳だけお願い致します」
ノートとペンを渡されたので素直に自分の名前を書く…名前が他にもまばらに書かれているし、利用者はそれなりにいそうだ。
「じゃあ借りてくわね。返すときはどうすればいいのかしら?」
「雨の降っておらぬ日はやっておりませんので、店のシャッター前の傘立てに入れていただければと。雨の日であればそのままお受け取りいたします」
「分かったわ」
それにしても随分と他人を信用した貸し方だ。このまま持ち去られることを警戒しないのだろうか?
「では、またのお越しを…無い方がいいとは思っておりますがね」
これまた人のいい笑顔で見送ってくれる男。余裕があるからこんな顔が出来るのかしら?
「それもそうね。じゃあ明日にでも籠に入れておくわ!」
明日は完璧に晴れって話だし大丈夫よね…仕事でもないのに駅前に来るのが面倒だけど。
この日は借りた傘を差し、無事家に帰ることが出来た。私ってツイてる!
「それにしても、本当にこの傘良いわよね~。このまま私のものにしちゃうとか!?……でも名前を記帳しちゃったし…雨の時にあの店の前を通りかからなければ大丈夫よね!」
あのアーケードは脇道多いし、なんなら急いで通り抜ければ声なんてかけられないでしょ。
「決まりね!今日からあなたは私の傘よ。ビニール傘ばかり買ってすぐに壊してたけど、これからは安心!」
その傘は、不自然なほど水滴がついていなかった。