フェル=エルセリア、悪役令嬢になる。②
入学初日。
貴族の子女たちが、まるで舞踏会のように優雅な談笑を繰り広げる中――
フェル=エルセリアは、わざと遅れて登校した。
静まり返った廊下に、ヒールの音がコツコツと響く。
それはまるで、自分の存在を世界に告げるような音。
一歩踏み出すたびに、誰かの視線が集まっていく。
豪奢なリボン。目が痛くなるほどの派手なドレス。そして、完璧すぎる無表情。
「……あの子が、レイヴィン家の三女?」
「何あの態度。自分が特別だとでも思ってるのかしら?」
「え~、やだ……目立ちたがりって感じで恥ずかしいよね」
聞こえてくるのは、冷ややかな囁きと侮蔑の視線。
だがフェルは、臆するどころか――心の中でガッツポーズを決めていた。
(よしよし、いい感じに悪評広まってる!このまま押し切ろう)
空気を読みすぎる日本人高校生だった頃とは違う。
今のフェルは、「嫌われること」が目的なのだ。
指定された席に座ると、やがて自己紹介の時間が始まった。
名前を呼ばれ、前に立つ。全員の視線が集まる中――
フェルは「完璧な悪役令嬢」として、わざと芝居がかった口調で言い放った。
「わたくしがこの学園に参りましたのは、名誉のためでも、教養のためでもございません。
“贅沢を学ぶため”ですわ」
一瞬、空気が凍る。
「ごきげんよう、凡人の皆さま」
――教室は、しん、と静まり返った。
その静寂の中でフェルは満足げに微笑み、何食わぬ顔で席に戻る。
(完璧です! 一撃必殺の嫌われ自己紹介!)
当然、その日フェルに話しかける者は誰一人いなかった。
以降の学園生活でも、彼女の“悪名”は順調に広まっていく。
テストはいつも赤点。
提出物は出さず、遅刻は日常茶飯事。
授業中に居眠り、教師への口答え、そして孤立。
――すべては「家から追放されるため」。
フェルは、徹底して“役”に徹していた。
今日もまた、ひとり。
誰にも知られていない中庭で、フェルは昼食を広げる。
ここは木々に囲まれた小さな庭園。噂好きな生徒たちの目が届かない、フェルのお気に入りの場所。
「いい感じに悪役令嬢って認知されてるなぁ」
彼女はパンをかじりながら、小さくつぶやく。
「何もしてないのに勝手に悪い噂が流れてくれるんだもん、ありがたい話だなあ」
実際、フェルは誰かに危害を加えたことなど一度もない。
ただ少し派手に振る舞い、無愛想にしているだけ。
けれど人の噂は恐ろしいもので――誰かが流した適当な話が、まるで真実のように語り継がれていく。
「誰それを泣かせたらしい」「先生に贈り物して成績を買ったんだって」
そんな根も葉もない噂が、まるで“悪役令嬢”フェルの伝説として一人歩きしていく。
「このまま何事もなく、平和に追放されたいな……」
フェルは空を見上げながら、静かに願った。
誰にもバレないように。
誰にも近づかれないように。
ただ静かに、自由になれればそれでいい。
けれど、運命はいつも、そんなささやかな願いすら――許してはくれない。
---
「……え?」
思わず聞き返したフェルに、母はうんざりしたような顔で言う。
「だから来週よ、来週。第3王子の“婚約者選びのパーティー”があるって言ってるの」
「そ、それで……私は、そこに参加するんですか?」
「当たり前でしょ? 何を言ってるの。こんなチャンス、二度とないんだから」
呆れたように言い捨てられて、フェルは言葉を失う。
(来週、第3王子の婚約者選びのパーティー……?)
頭の中で反芻しながら、ぼんやりと思い出す。
たしか第3王子――ゼノ・カヴィル。
通称『呪われた王子』。
「まぁ呪われてるらしいけど、婚約さえできれば金は入るわ。この家も安泰。……わかってるわよね?」
「…………」
フェルは黙ったまま視線を落とす。
その目は、微かに陰っていた。
ゼノ・カヴィル――
その名前は、宮廷や貴族たちの間でまるで“禁句”のように囁かれている。
禍々しいほどに黒い髪と漆黒の黒い瞳。
強すぎる魔力のせいで、周囲の人間に無意識に呪いを振りまいてしまうと噂されている。
そのため王子は生まれてからほとんど城の一室に閉じこもり、外に出ることもないという。
「実の母親も、彼を産んですぐに亡くなったらしいわよ」
まるでゴシップを楽しむように母は笑った。
――その笑い声に、フェルはひどく寒気を覚えた。
(可哀想だけど……私には関係ないよね)
王子がどんな人間だろうと、結婚する気なんてさらさらない。
フェルにとって大事なのは、“この家から出る”ことだけ。
(それに、家族に利用されるのも、王子に利用されるのも……どっちも嫌)
「ただの空気として、パーティーに参加すればいい。目立たず、騒がず、関わらず――それで済むなら」
フェルは小さく息を吐き、無理に笑ってみせた。
「……わかりました。準備します」