フェル=エルセリア、悪役令嬢になる。①
エルセリア家の四兄妹の末っ子として生まれたフェル=エルセリアは、周囲が驚くほど賢く、年齢に似合わないほど落ち着いた子どもだった。
「まるで大人みたいだ」「将来が楽しみだね」
大人たちは彼女を天才だと持てはやし、賞賛の声を惜しまなかった。
──だが、それは当然だった。
なぜなら彼女は、前世の記憶を持つ転生者だったから。
かつての彼女は、日本で平凡な高校生活を送るただの女子高生。家族と喧嘩したり、友達と恋バナをしたり、将来の夢を語ったり。
平凡だけれど、温かい日常がそこにはあった。
それがある日突然、何の前触れもなく──
目を覚ましたときには、異世界の豪奢なベッドの上。
周囲には美男美女、そして「お嬢様!」と叫ぶメイドたち。
鏡に映った自分は桃色の髪に赤色の瞳の少女で、どうやら高貴な家柄の子供になっているようだった。
エルセリア家。
大きな屋敷、美しい家族、使用人たちに囲まれた華やかな生活。
生まれ変わるなら、まさに理想の人生――のはずだった。
けれど。
「……はぁ」
豪奢な部屋の中で、フェルは深いため息をついた。
ベッドの上で座ったまま、天井をぼんやりと見上げる。
現実は、思っていたよりもずっと残酷だった。
エルセリア家は表向きこそ名門公爵家だが、実態は借金まみれ。
家計は火の車、ポストには借金の催促状が毎日のように詰め込まれ、家中に金の話ばかりが飛び交う。
「あの宝石、また新しく買ったの?」「ドレスも十着目よ?」
呆れるフェルの耳に届くのは、姉や母の無邪気な浪費話ばかり。
誰も現実を直視しようとしない。
いや、もはや直視してもどうにもできないところまで来ているのかもしれない。
(このままじゃ、まずい……)
借金が返せなければ、いずれこの家は破綻する。
家を失うか、娘として金持ちの家に「売られる」か。
フェルにはそれが冗談ではないとわかっていた。
まだ十代の少女が、そんな不安に毎日怯えながら暮らしているなんて――
普通なら、泣き叫びたくなるはずだ。
でもフェルは、もう泣かないと決めていた。
「……決めた。私、絶対この家から追放されよう!」
このまま腐った家にしがみついていても、待っているのは破滅だけ。
だったらいっそ、見捨てられる側になればいい。
フェルは自分の未来を、自分で切り拓くと決意した。
けれど、家族はそんなに甘くない。
「役に立つ娘」は手放さないし、「言うことを聞く子供」は都合がいい。
普通に出ていこうとしても、絶対に許してくれないだろう。
だからフェルは考えた。
前世で何度も読んだ、小説やゲームの中の「悪役令嬢」たちのことを。
傲慢で、我が儘で、周囲に嫌われ、ついには家から見放される――
そんな“テンプレート”の役を、自ら演じてみようと。
「そうだ!すごく嫌われる悪役令嬢になって……それで追放されて!」
そのあとどこかで働いて、静かに自由に暮らせたらそれでいい。
贅沢なんていらない。ただ、誰にも迷惑をかけず、借金に怯えずに眠れる毎日がほしいだけなのに。
ふとカレンダーに目をやると、そこには明日の予定が書かれていた。
『入学式』
「……ちょうどいい」
今年で16歳になるフェルは、名門・エトワール学園への入学を控えていた。
貴族たちが集まるその学園は、家の名声を高める場であり、同時に醜聞があれば一気に名を落とす場所でもある。
――つまり、騒ぎを起こすにはうってつけ。
「ここで派手にやらかせば、さすがに見放されるはず……!」
心に決めて、フェルは静かに笑った。
こうして始まった、彼女の「悪役令嬢計画」。
それは自由を求める少女の、少しズレた決意だった。
――だが、彼女の物語は、そんな単純なものではなかった。