電報会議
ドイツ帝国外務省 第三会議室 — 1916年2月28日
室内には黄土色の厚絨毯が敷かれ、冬の陽が重厚な窓枠を通して差し込んでいる。外務省の重鎮たちが列席するこの非公開会議は、帝国宰相ベートマン・ホルヴェークの主導により招集された。
出席者は以下の通りである。
•帝国宰相:テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク
•外務大臣:アルトゥール・ツェンメルマン
•参謀総長:エーリッヒ・フォン・ファルケンハイン
•財務大臣:カール・ヘルファーリヒ
•外務省アジア課長:クレメンス・フォン・カデルン(架空)
宰相ベートマンは咳払いをひとつすると、重苦しい空気の中、口火を切った。
ベートマン・ホルヴェーク
「……さて。ツェンメルマン、君の提案は、青島および南満洲を代償とし、中華民国を同盟側に引き込むというものだったな?」
ツェンメルマン(頷く)
「左様です、宰相閣下。我々は極東において失地を被った。だが、ここで袁世凱政権を我が側へ引き込むことができれば、日英両国に対し、戦線をもう一つ創出できる。かつ、対満洲に対する彼の執念を利用できます。」
ファルケンハイン(不快そうに腕を組み)
「まったく馬鹿げている。青島は帝国海軍が血を流して得た拠点だ。それを中華にくれてやる? 我々は国家の威信を口先で売るのか?」
カデルン(冷静に書類を差し出す)
「閣下、これは“文面上の口約束”です。中華民国軍が参戦し、日本に戦力を割かせてくれさえすれば、仮に青島を『与える』と伝えても、我々に実際の履行義務はありません。」
ヘルファーリヒ
「ふむ……。そもそも彼らに満洲を回収する力などあるのか? 対価は与える振りだけで済むに越したことはないが、信じてくれるのか?」
ツェンメルマン(微笑しながら)
「彼らは我々の“栄誉ある言葉”を信じている。袁はすでに南満洲と青島を“中華の当然の領土”と見なしている。そこに我々が手を差し伸べれば、国家的悲願の実現だと彼は受け取るでしょう。」
ファルケンハイン(声を荒げて)
「戯言だ! そんな嘘の外交が通じるなら——」
ベートマン(手を上げて制す)
「……ファルケンハイン将軍。ドイツ帝国は勝たねばならぬのだ。君がヴェルダンに全力を注ぐならば、我々はその裏を支えねばならない。」
ツェンメルマン(静かに、しかし確信を込めて)
「“東洋の隙間風”を煽るのです。仮に中華が日本と交戦状態となれば、極東の戦線は乱れ、米英は東洋に兵力を貼り付けざるを得なくなる。我々は西部での優位を得る。」
カデルン
「なお、今後の“書簡”は極めて限定的に、外交電信ではなく中立国を経由して手交されます。中立国はオランダを予定。アメリカが割り込む余地は最小限に抑えます。」
ヘルファーリヒ(しばし沈黙し、頷く)
「……やるなら迅速に。戦争は財布に限界を強いてくる。我が財務省も、長くは持たぬ。」
ファルケンハイン(苦渋の表情で)
「……口先だけの“贈与”か。いいだろう。だが、戦果なきままに袁が潰えれば、この策略は裏目に出る。肝に銘じておけ。」
ベートマン・ホルヴェーク
「決まったな。アルトゥール、君に一任する。“電報”の準備に取りかかれ。」
その日、ドイツ帝国外務省ではひとつの虚偽電報が動き出した。
「第一次ツェンメルマン電報」——これが、東アジアに突如として火を灯す火種となるとは、まだ誰も実感していなかった。