満洲の分析2
1. 労働人口の地域別・民族別構成
1914年時点の満洲において、労働力人口の主な構成は以下の通りである
・漢族(山東・河北出身が主)
農業・土木・建設・鉱山
約300万人
・朝鮮人(北部からの越境民)
鉱山・伐採・都市肉体労働
約20万人
・満族(在地旧支配層)
官吏・地主・知識人
約50万人
・日本人(軍属・民間技術者)
管理・技術・教育・医療
約3万人
・ロシア系住民
通商・輸送・宗教・少数鉱山労働
約1万人
この中でも最大の労働力を担っていたのは、漢族農民である。19世紀末からの「闖関東」と呼ばれる人口移動によって、中国山東半島や河北省から大量の農民が流入し、開墾や労働に従事していた。
2. 「闖関東」と山東移民の定着
「闖関東」とは、清朝の“封禁政策”が形骸化した19世紀中葉以降、人口過剰と貧困に苦しむ華北地域から、大量の漢族農民が満洲(東北三省)へ移住した社会現象である。
主な移住元:
•山東省(特に済南・臨沂周辺)
•河北省(保定・滄州など)
これらの移民は「棒子」と呼ばれ、木の棒一本で家族を連れて関所を越え、未開墾地を切り拓いていった。
農閑期には土木・鉱山・都市建設に出稼ぎに行き、現金収入を稼いでいた。
また、満鉄の炭鉱・鉄道建設にも、彼らは請負制で多数動員されており、現地における底辺労働の主力層を形成していた。
3. 朝鮮人労働者の移入と労働構造
日韓併合(1910年)以後、朝鮮から満洲への出稼ぎ労働者が急増した。
彼らは主に以下の職域で雇用された:
•撫順・平頂山などの炭鉱
•黒竜江・吉林の伐採業
•安東・奉天の港湾荷役・工事現場
朝鮮人労働者は、中国人労働者に比して日本語の理解がある程度通じやすく、同時に「内地人」よりも管理コストが低いため、満鉄および日本商社にとって**「中間的存在」**として重宝された。
待遇は劣悪で、昼夜交替制・坑内労働・安全管理不備といった過酷な環境の中で、事故や疫病による死者もしばしば出ていた。
一部は現地定着し、小規模な朝鮮人集落(後の朝鮮街)を形成するに至った。
4. 満族労働層の変容と没落
本来、満洲とは清王朝を建てた満族の故地である。しかし、20世紀初頭にはその支配的地位は著しく低下していた。
旗人制度の解体後、満族の多くは以下の形に分化した:
•旧士族・地方官僚層としての存続
•地主層としての不労所得に依存
•官吏・教育職としての知識人層
•一部は無産階級化して漢族と同化
特に、旧貴族である「八旗出身者」は、満鉄や関東都督府が設置した官庁・学校への就職口を求め、教養階級として吸収される例も見られた。
しかし、同時に経済的基盤の喪失によって没落する者も少なくなかった。
5. 雇用体系:請負制・日雇い・徒弟制
満洲における労働雇用の形態は、民族や職域によって異なっていたが、大別すると以下の三種が主流であった
請負制 : 炭鉱・建設・鉄道工事
工頭(中国人または朝鮮人)が中間管理し、元請けから一括契約。労災無補償・賃金未払いも多発
日雇い労働 : 港湾・道路整備・伐採
単日契約。食糧と現金日給を併給。事故率高
徒弟制度(見習い制) : 鍛冶屋・車両工場・清掃
都市部の家内職場で採用。長期労働だが昇進難
満鉄傘下の正式雇用者(車両工員・事務職など)以外は、ほぼすべてが無保障の非正規労働であり、社会保障制度は存在しなかった。
6. 労働争議・秩序維持体制
1910年代前半の満洲では、労働争議は限定的であった。主な理由は以下の通り:
•労働組合が存在しなかった
•異民族間の労働者分断(漢族 vs 朝鮮人 vs 日本人)
•軍憲兵・警察による強制排除
そのため、炭鉱事故や賃金不払いが起きた際には、しばしば暴力事件やストライキもどきの騒擾が発生するが、多くは強制鎮圧された。
例:1912年の撫順炭鉱労働者暴動事件
→ 日本憲兵が出動、漢族20名が逮捕され強制送還
このように、満洲における労働は、圧倒的な上意下達構造と民族的分断支配のもとに成立していたのである。




