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利と義


明治三十九年(1906年)三月。

旅順の海風はまだ冬の冷たさを残していたが、その港湾の一角に、煉瓦造りの新庁舎が完成しつつあった。


「ここが“新しいアジア”の頭脳となる場所ですよ、ホイットニーさん」


後藤新平は、手袋を外しながら微笑んだ。灰色の外套が風に揺れている。


「Sounds like a university, Dr. Goto. ......, but it's not political or military. We are connecting the world by "rail".」

(まるで大学のようですね、Dr. Goto。……だが、これは政治でも軍事でもない。我々は、“鉄道”で世界を繋げるのだ。)


エドワード・ホイットニーは革張りの手帳を取り出し、煉瓦の色と積み上げ方を丹念に見つめていた。彼はハリマンに重用される実業家であり、工学士としても一流だった。


後藤が言う。


「戦争では人命を費やしました。これからは、命ではなく、技術と理性で勝たねばなりません」


「Agreed. That’s why I’m here.」

(その通り、それゆえに私はここに来た)


彼らが立つその庁舎が、やがて**「南満洲鉄道株式会社経営理事会」**本部として正式に始動する。


1906年7月、大連。南満洲鉄道経営理事会 本庁舎会議室。


十数名の理事たちが、広い楕円形の会議卓を囲んでいた。日本側議長は後藤新平。アメリカ側からはホイットニー副議長をはじめ、アンダーソン、ドレークといった面々が揃っていた。


この日の議題は、極めて繊細なものであった――利益分配構造の最終確定である。



後藤新平は静かに資料を見つめながら口を開いた。


「本会議においては、初年度の営業収支を踏まえ、**税後利益の配分比率を55対45――日本55%、アメリカ45%**と定めたいと考えております」


その瞬間、アメリカ側理事たちのあいだに小さなどよめきが走った。


ホイットニーが一歩前に出て、静かに口を開いた。


“Doctor Goto, allow me to express our concern. Fifty-five to forty-five… is this equitable for a joint venture?”

(後藤博士、この配分比率には懸念があります。五十五対四十五――これは、共同事業として公平でしょうか?)


後藤は即答しなかった。代わりに目を閉じ、ひと呼吸置いてから応じた。


「本件に関しては、我が国政府、すなわち大蔵省および外務省の方針として、主権と安全保障を担う側の比率として相応であるとの判断が下されております。ご理解をいただきたい」


ドレークが割って入った。


“But we provide almost half of the capital. And we share all the risks. Doesn’t that warrant equal returns?”

(だが我々は資本のほぼ半分を拠出している。そしてリスクも共有している。それで利益は平等でないというのか?)


後藤はその指摘を否定しなかった。ただ、淡々と返した。


「その通り、資本の比率は重要です。しかし、本事業の性質は純然たる民間投資とは異なります。列強が交錯する地政空間における秩序構築の要素を含みます」


「日本は、その“秩序”の維持に、軍事的・行政的な支出と人的犠牲を払っております。ゆえに、税後での分配において、我々がやや上位を得ることは不当とは申せぬはずです」


一瞬の沈黙が落ちた。会議卓を挟み、日米の理事たちは互いに視線を交わした。


やがて、ホイットニーがゆっくりと頷いた。


“Very well. If the returns are after taxation, and the investment decisions remain jointly reviewed, we accept.”

(よろしい。配分が税引き後であり、かつ投資の決定が共同である限り、我々は受け入れよう)


その発言に、日本側も緊張を解いたようにわずかに微笑みを見せた。


藤田四郎が小声で後藤に囁く。


「……勝負あり、ですね」


「いや、勝ったわけではない。信を得たのだ」


後藤は、会議室の窓の向こう、大連湾を見つめながら答えた。


1907年初頭。


正式に合意された税後利益の配分比率に基づき、満鉄は初年度黒字の一部を再投資枠として取り崩すこととなった。その再投資対象として議論となったのが、

•鉱山施設の拡張(撫順・鞍山)

•港湾積荷能力の拡張(大連第三波止場)

•電信網の近代化(日米共同規格による統一)


これらであった。


会議でドレークがこう提案した。


“Gentlemen, let’s not just build rails—we must build the backbone of the economy. Rail, wire, harbor—it’s all connected.”

(諸君、我々はただ鉄路を敷くのではない。“経済の背骨”を作るのだ。鉄道、電信、港湾、すべてが繋がっている)


日本側の星野理事が応じた。


「おっしゃる通りです。実は、我が国でも鉄道省と逓信省の管轄を統一すべしという議論がございます。ここ満洲が、先行モデルになっても不思議ではありませんな」


ホイットニーは笑いながら言った。


“Japan is always one step ahead when it comes to bureaucracy.”

(日本はいつもお役所仕事に一歩先んじてますな)


(※訳注:原意は皮肉交じりの冗談)


会議は穏やかな笑いの中で閉じられた。



この会合をもって、南満洲鉄道は単なる運輸企業ではなく、事実上の「開発庁」「資源庁」「通信庁」を兼ね備える経済植民政府として機能し始めることとなった。


だがその背後で、満洲には徐々に新たな影が落ち始めていた――

•利益配分を巡っての現地住民の不満(特に商人層)

•一部軍人の間で燻る「対米依存」への疑義

•満洲を「植民地」と見るのか「第二の本土」と見るのかという認識の齟齬


これらの問題は、やがて国家の命運を左右する火種ともなる。

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