沈黙の牙
1916年4月14日、マルタ島東方約70海里。
春の地中海は穏やかだったが、その平穏の海面の下には、確かに“死”が潜んでいた。
大日本帝國海軍第二特務艦隊は、仏輸送船3隻・英輸送船2隻の混成船団を護衛していた。
その日、午後二時。悲劇は突然始まった。
艦隊は整然と進んでいた。旗艦「出雲」からの命令で、駆逐艦4隻が船団の外周を囲むように展開していた。
駆逐艦“潮”の見張り員、三等兵曹・戸田が双眼鏡を覗いていたとき、視界の端に、奇妙な“光の筋”が走った。
戸田三等兵曹:「……潜望鏡ッ!二時方向、波間にガラス光あり!」
直後、警笛。
しかし――間に合わなかった。
フランス輸送船「モン・サン=ミシェル」の右舷中央に、白い水柱が炸裂する。
甲板が吹き飛び、黒煙が上がった。
通信士:「仏商船、被雷――右舷浸水中!救助要請あり!」
「出雲」艦橋。佐藤皐蔵少将が一瞬だけ目を閉じ、すぐに口を開いた。
佐藤:「“潮”は敵潜望鏡方向へ進路をとり、追跡。全速。“時雨”“白雪”は被雷船に急行、乗員救助。“浅間”“村雨”は船団に密着、これを絶対に離すな。――行けッ!」
命令は、音速の如く艦内を走った。
“潮”の艦橋。艇長・今村少佐が短く叫んだ。
今村少佐:「あの波筋を追え!奴はまだ浮上しておらん。だが、もう一発あると思え」
爆雷はない。機関銃も届かない。
「逃げる敵を、目で追う」――それが全てだった。
一方、“白雪”と“時雨”は火災に包まれた仏船に接近し、火炎と煙の中で必死の救助作業を開始していた。
兵曹長:「舷側梯子よし!救助網投下!浮環、片っ端から投げろ!」
海面には、火と油と血、そして人間の叫びが混ざっていた。
救出完了後。生き残った他の商船を護送中の事。
“村雨”の後甲板、長井中尉と小沢中尉が立っていた。
長井中尉:「……これが“対応”か。まるで手も足も出せんじゃないか」
小沢中尉:「それでも守るのが任務だ。撃ち返せないのは、悔しいが……」
長井:「見敵必殺どころか、“見敵逃走”。これが陸戦なら敵前で逃げたんだし、軍法会議ものだぜ」彼は苦笑しつつ言う。
「でもな――敵にやられた連中を、必死で救ってるのも俺たちだ」苦い表情を浮かべたまま、小沢はそう答えた。
事件後、艦隊はマルタへ一時退避。
佐藤少将は作戦報告書を手にし、静かに呟いた。
佐藤:「敵潜水艦、撃沈ならず。被雷船一隻。救助者47名。戦死者13名……」
彼の視線は、数字よりも、その“意味”を見ていた。
英仏側からは、正式な礼状が届けられた。
“迅速な行動により多くの命を救い、海軍間の信頼を深めた”という評価。
佐藤:「……ありがたい言葉だ。だが、我々にとっては、やりきれぬ結果だな」
第二特務艦隊、初の実戦。
敵を見つけ、対処し、護ることはできた。
だが、斬ることはできなかった。
「戦わずして敵を逃がし、仲間を失う」
それが、この時代における“対潜対応”の現実だった。




