処女航海
話しの流れ的に、先に英仏と訓練をしてからの方がしっくり来るなと感じたので、訓練の話を先に入れ直しました。
1916年(大正5年)3月15日、地中海東部。
早春の朝靄を割り、白い波間を縫うように、十数隻の輸送船団がアレクサンドリアを目指して航行していた。
その周囲には、大日本帝國海軍第二特務艦隊――装甲巡洋艦「浅間」「出雲」、駆逐艦8隻が散開し、護衛任務に就いていた。
先頭を行く装甲巡洋艦「出雲」の艦橋。
指揮官・佐藤皐蔵少将は、濃い眉を顰めながら、前方の航路を睨んでいた。
佐藤少将:「……船団の隊列が乱れておるな。どうも、駆逐艦との連携が取れておらん」
参謀・大林中佐:「駆逐艦“潮”と“夕霧”が、護衛位置をすでに外れております。“村雨”も、敵潜望鏡を見誤って右舷側へ急転回を……」
佐藤:「焦りすぎだ。未だ敵潜航艇の兆候は無い。それより護衛の“間隙”が生まれることの方が危うい」
その頃、駆逐艦”潮”艦内ではーー
艇長・今村少佐:「あっちの仏輸送船、速力が上がっておらん。右舷に詰めてやらにゃ、後ろが詰まってしまうぞ!」
航海士:「しかし、先ほどの指令では“中央維持”とありましたが……」
今村:「ああもう……この速度差じゃ命令通りには並べられん!」
若い士官たちが交錯する命令に混乱しつつも、必死に陣形を維持しようとしていた。
しかし、言葉での意思疎通に時差があると言う事実は、帝國海軍が思っていた以上に深刻な問題だった。
今回の初船団護衛中に、仏輸送船「モン・バルー」では、交信の食い違いで航路変更が遅れ、護衛の“白雪”があわや衝突しかける事態となった。
通信士:「Commandant, le destroyer japonais nous coupe la route !」
(艦長、日本の駆逐艦が我々の航路を塞ぎました!)
仏艦長:「Envoyez un signal de protestation. En français ET en anglais !」
(抗議信号を送れ。仏語と英語の両方でだ!)
佐藤:「……通訳班を各艦に配置していたはずだが、即時対応にはまだ程遠いか。やはり英仏との共通訓練を、もう一段深めねばならぬな」
陽は傾き、マルタ方面からの援護艦隊と合流。
佐藤は望遠鏡を下ろし、黙って海図をたたんだ。
佐藤:「敵影無し、護衛完遂。だが、これを“成功”とは呼べん。次からは、輸送船側からも“信頼”されねばな」
彼の口元に、わずかに苦味を含んだ微笑が浮かんだ。
第二特務艦隊の初任務は形式上の成功を収めたが、
英仏側の司令部では、
「統率に課題あり」「航路指示の理解が不十分」との報告がなされた。
しかし、別の報告書ではこうも記された:
“Discipline parfaite malgré le manque de coordination.”
(統率こそ欠けるが、規律は見事である)
次回以降、第二特務艦隊は再訓練と戦術再編を経て、
地中海戦線の主力護衛艦隊としてその名を知られることになる――
その“第一歩”が、確かにここにあった。




