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桂・ハリマン協定

明治三十八年七月二十一日。

赤坂離宮迎賓館の白亜の大広間には、静謐ながらも張り詰めた空気が流れていた。


正午、協定署名式。


左手には日本政府の代表として、桂太郎首相、小村寿太郎外相、渋沢栄一男爵。右手にはエドワード・ハリマンと米国大使館代理としてグリスコム公使が並ぶ。


テーブルの中央には、漆黒の漆塗りに金縁が施された文書台。その上に、日本語と英語で記された**「日米南満洲共同鉄道経営協定」**の最終文書が置かれていた。


会場を取り巻くのは、外務・陸海軍・大蔵・逓信など主要省庁の高官。新聞記者は入場を許されておらず、この模様は後日の発表をもって初めて公表される予定だった。


小村がまず立ち上がり、協定の概要を朗読した。


「本協定は、帝国政府とアメリカ合衆国を代表する実業団体との間に締結され、南満洲における鉄道敷設・運営・鉱業・港湾・電信等の関連事業に関し、日米が共同出資し、対等なる責任と利益を共有するものである……」


協定の中核をなす条文は、以下の通り:

•日本55%、米国45%の資本出資比率(初年度)

•経営は共同理事会方式。日本側議長が常任し、米国側副議長を置く

•治安維持・軍事保全は日本の管轄とし、米国は非関与

• 利益配分は税後利益の日本55:アメリカ45

•軍事衝突時は協議の上で経営維持を図る


読み上げが終わると、静寂が訪れた。

やがて、桂太郎が署名台に進み、毛筆を執って署名した。続いてハリマンが万年筆を持ち、英語文書にサインを入れた。


一瞬の沈黙――。

そして、拍手。


日本とアメリカが、満洲の心臓を共に握るという、歴史的な協定がこの瞬間に成立した。



翌日


七月二十二日、午後三時。

東京朝日新聞は号外を打った。


「日米、満洲にて手を結ぶ――共同鉄道経営協定調印」

「桂内閣、東洋平和と経済振興を主導」「米国、アジア政策の転換か?」


読者の反応は分かれた。


産業界や中産層、知識人はこれを「現実的英断」と捉えた一方で、軍部内の一部将校、ならびに「満洲完全掌握」を唱える民族主義団体からは猛烈な反発が起こった。



陸軍省・将校会議室(同日)


陸軍次官・上原勇作中将は、部下の参謀たちを前に静かに言った。


「……我々は戦って得たものを、外務と政商が勝手に売り払ったのだと、思ってはならん」


一同がざわついた。


「だが、これで我々はアメリカの資本と世論を、実質的に味方につけた。次の戦争がどこかで起きた時、満洲における足場はより強固になる」


「米国に依存するのでは?」


「いや、“相互依存”だ。奴らは利を求めて来た。我々は地を守り、統治する。――これを勝利と呼ばずして、何を呼ぶのだ」


上原は鋭く言い放ち、机を拳で叩いた。


「小村、桂……あの連中は、軍人ではない。しかし、戦後の国策において、彼らの知略は侮れぬ」




山縣有朋は、協定締結の報を聞いたとき、黙して語らなかった。


側近が問うと、こう言った。


「……道は分かれたようじゃ。だが、我が軍が地を得たのもまた事実。この先、利権を守るのは刀ではなく、筆と秤ということか」


西園寺公望は同日夜、日記にこう記している。


「新時代、来たる。満洲にて“列強の陣取り合戦”は続こう。だが、我らが選んだ道は“協調による主導”。これが日本の針路を開くことを、私は信じる」




渋沢は署名式翌日、早くも帝国興業銀行と東京海上、石川島造船、古河鉱業と会合を持ち、満洲経営コンソーシアムの設立に動き始めた。


「国家が領土を得るとは、すなわち経済を育むということです」


彼の理念は、「軍の征服の後には、資本の建設が続く」という国家経営論だった。


この瞬間から、日本は「征服者」ではなく、「経営者」として満洲に立つこととなる。




こうして桂・ハリマン協定は、単なる鉄道の契約を超えて、日本という国家が近代世界とどう向き合い、何を守り、どこへ進むかという選択肢を定めた。

•日米はこの協定をもって、相互に東アジアでの存在感を強化。

•満洲は経済圏として急成長を開始。資本・技術・秩序が流入。

•国軍と政権の緊張は一時的に和らぎ、国策のバランスが安定化。

•国民には「国際的成功」として報じられ、講和への不満をやや緩和。


そして、何よりも重要なのは――

この協定が、後の「日米連携体制」の原点となり、戦争・平和・経済を包括する同盟的枠組みの萌芽となったということである。

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