前夜
明治三十八年七月二十日。
東京・外務省別館、午前八時。
日本政府とエドワード・ハリマンとの間で交わされる交渉は、すでに最終局面を迎えていた。文書の細部、すなわち「経営配分比率」「権限の範囲」「安全保障条項」「紛争時の調停機構」などの各項目が、連日連夜にわたり調整されてきた。
主導するのは外相・小村寿太郎、補佐として渋沢栄一、通訳は駐日米国代理公使のグリスコムとともに外務省高等官が務めていた。
机上に積まれた草案文は、英語版と日本語版で計六部に及ぶ。
小村はページをめくりながら、一つひとつの条文に目を通し、時折、眼鏡越しにハリマンの方を見た。
「第三条、資本比率――“日本側55%、米国側45%”」
ハリマンは静かにうなずいた。
「This will ensure your leadership, as long as the governance remains fair.」
(それで君たちが主導権を握れる。ただし、統治が公正である限りにおいてね)
「お言葉、承りました。われわれも“対等なる責任”を持つつもりです」
小村の声には自信があった。桂内閣からの全幅の信任、伊藤博文の後押し、宮中の黙許。すべてがそろった今、もはや交渉に不安はなかった。
ただし、まだ「最後の一押し」が残っていた。
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同日午後、首相官邸にて臨時閣議が開かれた。
桂太郎は、ハリマン協定案を手に、重々しく口を開いた。
「諸君――これが、満洲の未来を定めるものである」
閣議室には、再び山本権兵衛、寺内正毅、渡辺国武ら閣僚たちが居並んでいた。すでに面々は、交渉の方向性については理解している。しかし、最終決定には賛否が割れる可能性が残っていた。
山本が口を開く。
「条項の中に、“軍事行動に関して米国は関与せず”という文言がある。これは、我が国の主権を完全に担保するものか?」
「そうだ」と桂が即答した。
「ハリマン側も、軍事には一切口出しせぬと文書で確認している。アメリカは資本、我々は治安と主権。これ以上ない協定だ」
「しかし……」と寺内が続けた。
「米国がこの経営を外交カードとせぬ保証は、あるのか?」
この問いに答えたのは、桂ではなく、静かに座っていた渋沢栄一であった。
「大臣、米国の政財界は“一枚岩”ではありません。だが、ハリマン氏はその中でも突出した独立資本家です。ルーズヴェルト政権との非公式な合意も得ており、これは国家間の事実上の覚書となります」
「ふむ……」
その説明に閣僚たちは納得を示し始めた。
桂は重ねて言った。
「この協定は、帝国の軍事的勝利を、経済的・地政学的勝利に転化させる。戦争は軍人が勝つ。しかし戦後を制するのは、政治と経済である」
誰も、もはや異議を唱えなかった。
「よろしい。――では、署名式は明日午前、迎賓館にて。外務省が準備せよ」
その瞬間、日本史は音を立てて大きく一歩を踏み出した。
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同日深夜、宮中。明治天皇御前。
桂太郎と小村寿太郎が、協定締結について正式に奏上した。
天皇は草案の内容を受け取ると、しばし無言のまま目を通した。
「日米、共に満洲を経営する、と……。興味深い構想であるな」
「はい、陛下。これは単なる鉄道の管理ではなく、未来の安定の礎でございます」
「米国を味方とするのか、隣人とするのか……ふむ」
天皇は扇を閉じ、ふと顔を上げた。
「では問う。そちはこの者らを信じるのか?」
「はい。信じております」
「……余もまた、そちを信じよう」
それはすなわち、帝国の正式裁可であった。
桂は深く頭を下げ、小村もまた緊張を込めて礼をとった。
その夜、外務省では正式文書の清書と、翌日の署名式の準備が夜通し行われた。