ハリマン来日
――東京・麹町、伊藤博文私邸。
明治三十八年七月十二日、午後。
障子を通して西陽が差し込む書院にて、伊藤博文は湯呑を手に、来客を待っていた。すでに白髪が混じるも、眼光はかつての宰相のそれである。程なくして、外務省の使いが通され、小村寿太郎が姿を現した。
「ご無沙汰しております、伊藤公」
「おお、小村。まあ座りなされ」
軽く会釈を交わし、腰を下ろした小村が、文書の束を差し出す。
「例の件――ハリマン氏の共同経営提案にございます」
「うむ……桂からも耳にはしておる。で、貴殿の考えは?」
伊藤は扇子を膝に置き、書類には目もくれず問うた。
「正直に申し上げれば、魅力的です。が、国内世論と軍部が……」
「いつの世も、官軍の声と民の声をどう扱うかが、政の肝よ」
伊藤は目を細め、机の縁を指先で叩いた。
「小村。これは“鉄道”の話ではない。これは“時代”の話じゃ」
「……と、申されますと」
「帝国が西洋列強と並び立つには、アジアにおいて、どこでどう線を引くか。それを共に決める“対等の相手”として、アメリカを選ぶのか、欧州の旧勢力と連なるのか……その分岐点が今だということだ」
伊藤の語り口は穏やかだったが、言葉には重みがあった。
「我が国は、“清国”を見限り、“朝鮮”を保護し、今“満洲”を取ろうとしておる。だが、その先にあるのは“管理”ではなく“経営”じゃ。治め、開き、豊かにせねばならぬ。それを我らの力だけで成し得るのか?」
小村は言葉を飲んだ。
「……そのための、共同経営」
「そうだ。しかも、ハリマンの背後にはルーズヴェルトがいる。これは“米国の国策”じゃ。経済の皮を被っておるが、中身は安全保障そのもの」
伊藤は湯を一口すすり、言い添えた。
「西園寺は、米国との協調に前向きだ。財界の渋沢、安田も、協力の意志を見せておる。あとは……宮中と、陸軍じゃな」
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同日夜、宮内省。
明治天皇に仕える侍従・田中光顕伯爵のもとに、非公式な「内奏」が入る。
伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の三名による“非公式上申”である。これはあくまで天皇のご意思を確認するためのもので、正式な奏上ではなかった。
書類を読み進めた明治天皇は、短く問うた。
「この“ハリマン”なる者……信用に足る人物か」
田中が小村の手書きメモから読み上げる。
「彼は米国鉄道界の中心的人物にして、東部資本の代表でございます。性格は強硬にして実利的。だが、その誠意は疑えませぬ。実際に南米でも多くの成功を収めております」
「ふむ……では、かの者をここへ招くのか」
「恐れながら、それについては……」
天皇は短く息をつき、こう言った。
「余は、国を思う者である。その思いを理解し、助ける者ならば、国の内外問わず受け入れねばならぬ。――会ってみよ」
その言葉を受け、桂と伊藤は確信を深めた。
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七月十六日、横浜港。
蒸し暑い朝、白いスーツに身を包んだ中年の紳士が、手荷物ひとつで下船した。
エドワード・ハリマンである。
彼を出迎えたのは、外務省の高等官と鉄道作業局の渋沢栄一であった。ハリマンは片言の日本語で「コニチワ」と笑い、両者の手を握った。
その夜、ハリマンは赤坂の迎賓館に迎えられ、桂太郎、小村寿太郎、渋沢栄一、伊藤博文の四名との“非公式晩餐会”が開かれた。
会話は英語で行われ、小村が通訳を担った。
「Mr. Harriman, what you propose is not merely a business deal. You are asking us to redefine the map of Asia.」
(ハリマン氏、あなたの提案は単なる商取引ではない。アジアの地図を描き変えるということです)
小村の訳を聞いたハリマンは、ワインを手にしながら微笑んだ。
「Yes, and I wish to draw it together—with Japan.」
(その通り、そしてそれを日本と共に描きたいのです)
この男、ただ者ではない――。
そう思ったのは桂であった。
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この後、彼らは二晩にわたり会談を重ね、ついに「共同経営の草案に着手する」ことに合意する。これが歴史に名を刻む「桂・ハリマン協定」の萌芽である。