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総攻撃と降伏

大正三年十一月七日、午前五時。

青島戦線の夜明けは、冷え込んだ空気と共に訪れた。



「本日零時を以て、全戦線における火力支援を二倍とせよ。砲兵隊には斉射間隔を三分以内に縮めさせろ」


命じたのは、第一師団長・神尾光臣中将。

日露戦争の旅順攻囲戦を経験した彼は、今回の作戦でも徹底した事前砲撃と包囲を重視し、損害の最小化に注力していた。



参謀が作戦図を広げる。


「神尾閣下、砲撃は第一段が十五糎加農砲、第二段が山砲・榴弾砲による連続斉射、照準はドイツ西側前哨陣地でよろしいでしょうか」


「それでよい。敵は昨夜、弾薬集積所を移した可能性がある。中央突破ではなく、側面を抉れ。

歩兵は敵の動揺を見て進め、決して先走って突撃するな。主力は砲だ」



午前五時半。


四一式十五糎榴弾砲が一斉に火を噴き、火柱がコールベルク堡塁に殺到した。

照準は斥候と航空偵察で既に確定済み。重砲と山砲が段階的に前線を粉砕していく。



「まるで旅順だな……」

――石原中尉が呟くと、


「違うさ。旅順より、正確に、冷静にやっている」

――永田鉄山大尉が応じる。


砲兵たちは薬莢を捨て、冷却装置に水を注ぎ続けた。休む間もない。



一方、ドイツ守備軍は混乱していた。


弾薬庫への直撃、通信壕の崩壊、観測所の損傷――

これまでの砲撃とは、桁が違った。



「もう持たん。ラインが崩れれば、港湾部も即時に陥落する……」

副官が天幕内でつぶやく。


ドイツ守備隊司令官・アルフレート・マイヤー=ヴァルデック少将は唇を噛みしめる。


「降伏の時機か……だが、名誉を守らねばならん。敵が突撃に移る前に交渉する」



十一月七日 午前十時――


日本軍歩兵第十八聯隊が、砲撃の収束を見て前進を開始。だがそれは、敵戦線の崩壊を確認してからの、限定的な前進命令だった。


神尾中将は静かに言った。


「敵は……決したな。直ちに、使者を通じて降伏交渉に入れ。不要な流血を避けよ」


十一月七日午後一時、青島郊外・鯨山堡塁前。

砲撃の静寂が広がる中、白旗を掲げた一隊がゆっくりと前進していた。


その中央に立つのは、ドイツ帝国東洋守備軍司令官――アルフレート・マイヤー=ヴァルデック少将。

その顔は、疲労と決意に彩られていた。


「Dies ist das Ende. Wir haben genug Blut vergossen.」

(これで終わりだ。我々は十分に血を流した)


「Wir müssen die Ehre wahren und das Leben der Zivilisten schützen.」

(我々は名誉を守り、市民の命を守らねばならん)


通訳将校がこれを日本側に伝えると、迎えたのは第一師団の副官、渡辺錠太郎大佐だった。


「我が方は、貴殿らの軍人としての行動に敬意を払う。

降伏条件において、貴官以下将兵の人道的扱いを保証する」


握手はなかった。だが、二人の目が交差した瞬間、それは“儀礼”以上の意味を持っていた。



午後三時。

神尾中将の前に正式な降伏文書が届く。


「ドイツ側、要塞施設の明渡し、火薬庫の引き渡し、全将兵の捕虜登録に応じるとのことです」


神尾は短く頷いた。


「それでよい。都市への進駐は明朝。野戦部隊はそのまま拠点防衛に就け。

戦争は終わったが、占領は始まったばかりだ」



十一月八日午前。

日本軍が青島市街に入る。

かつて欧風建築が立ち並び、ドイツ式の歩哨が巡回していた港町は、砲煙の残滓と静寂に包まれていた。


歩兵第十八聯隊の渡辺勝平二等兵は、負傷した杉村吉之助二等兵を肩に担ぎながら、市街の瓦礫を見渡す。


「これが……戦争の“勝ち”か。何も残っとらんやないか」


杉村が薄く笑う。


「けど、生きてる。俺ら、ちゃんと生きて帰れるんかもな」



その夜、神尾光臣中将は幕僚を前に、旅順戦から続く己の戦歴を静かに振り返っていた。


「我々はまた一つ、砲の下で勝った。だが勝ったのは砲であって、人間ではない。

この戦果の中に、人の涙が混じっていることを……忘れてはならん」


その声は、戦勝の報告書では決して語られぬ、真の軍人の声であった。

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