官制整備
第一次世界大戦によって英仏独の機械製造業が戦時動員に組み込まれたことで、
東洋市場における供給不足が深刻化し、それに乗じて日本およびアメリカによる輸出攻勢が始まった。
1915年から1917年にかけて、大日本帝國の商工業界では次のような動きが加速する:
•横浜正金銀行を通じたニューヨーク・サンフランシスコとの資本流通拡大
•東京・大阪の機械工具商社による米国製フライス盤・旋盤・ボール盤の大量輸入
•神戸税関・名古屋港での「自動織機・精密圧延機械・蒸気タービン部品」一括通関制度の施行
この機械輸入は、単なる模倣ではなく、**制度と教育を巻き込んだ「技術吸収政策」**として位置づけられていた。
農商務省機械課では、ドイツ製ミリングマシンや米国製横型旋盤に関して、
以下の方針を策定していた:
•導入機は3年以内に解体調査を義務付け
•精度測定の標準化指針を制定(工作半径、軸芯誤差、面取り角度など)
•工業学校にて機械設計科の新設と基準実習課程の制定
また、名古屋帝国大学工学部や東京高等工業学校では、
**1916年以降に「機械模倣製図」および「工具設計概論」**が必修化された。
川崎重工業・石川島造船所・芝浦製作所などの工場では、
こうした欧米機器を実地で運用しつつ、
5年〜10年計画で部品単位の試作と逆設計に取り組んだ。
大正6年(1917年)、内閣直属の「帝國経済構造調整会議」が正式に開催された。
議題は、「内地=頭脳、外地=筋肉」体制の法的・制度的裏付けに関する検討であった。
場所は東京・日比谷の内閣官房庁舎。
机上には分厚い報告書と統計資料が並び、会議室には
農商務省・内務省・拓殖局・陸軍省・外務省の担当官がずらりと顔を揃えていた。
議長を務める農商務次官・池田勝之が口火を切る。
「諸君、これまで我が帝國は、外地を素材と労働の供給基地として、
内地を加工と資本の中心として機能させてきた。
だが今後は、これを法制度のうえでも明確化し、経済計画の基盤とせねばならぬ」
内務省・小幡課長が応じる。
「とくに都市化が進む関東・関西では、内地工業の高付加価値化が進んでいます。
今後は、“外地からの素材供給量と労働者派遣数を事前に予測する制度”が必要になりますな」
それに対し、拓殖局・中谷局長が慎重な意見を述べる。
「だが、それを一方的に押しつければ、朝鮮・台湾・満洲側の反発も招く。
帝國構成員としての参画意識を高める仕組み、
たとえば教育と徴用の連動設計などが鍵になります」
このやり取りを受けて、陸軍省参謀本部・川路少将が口を開く。
「戦争が続く限り、資源動員と同時に人員動員が不可欠だ。
だがそれは、兵だけでなく工員もまた“戦力”と見なす視点を持たねばならぬ、ということだろう」
池田が静かにうなずく。
「よろしい。では、本年度中に“帝國経済構造調整令案”を策定し、
次回の帝國議会に提出する。以後、外地の経済行政は“補給と構造の柱”と位置づけ、
各省庁協調のうえで統制的に運用する」
この会議の結果:
•外地経済局
•技術移植局
•労働力調整局
の三局が仮設的に設置され、制度化に向けた官制整備が本格化していくことになる。




