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倫理の再構成

明治政府は「国家神道」を掲げ、教育勅語と共に倫理の中核を形づくろうとした。

だが、現実の家庭や地域社会では、仏教、儒教、民間信仰、新宗教が入り混じった複合的な信仰風景が息づいていた。


東京郊外の農家。祖母・とみ、父・義蔵、小学生の孫・寛太の三世代が、夕食後にこたつを囲んでいる。


「寛太、今日は学校で何を習ったんだ?」


「うん、教育勅語を暗唱したよ。『父母に孝に、兄弟に友に』ってやつ」


「そりゃあ立派な教えだ。……なあ母さん、昔はどうやって“孝行”を教えたっけ?」


祖母・とみが茶をすすりながら答える。


「そうさねえ。家の仏壇に手を合わせて、先祖に恥じぬように、って言ったもんさね。

お上の教えはようできてるけど、うちはやっぱり“うちのやり方”ってもんがあるよ」


このように、国家が掲げる倫理と、家に伝わる“しつけ”や“信仰”は、必ずしも一致していなかった。


一方、都市では「大本」「天理」「金光」など新宗教が広がり、病気平癒や道徳実践を掲げて独自の教線を築いていた。


ある奉公中の若い娘が、女中部屋でそっと語る。


「おばあさまのとこで、大本さんのお札もろうてきたんよ。……これ、きくんやて」


「へぇ、あんたもかい。うちの町内にも、それ、張っとる家あるよ」


教会堂、寺、神社、そして講演会場や旅回りの布教師――

明治の末、庶民の宗教風景は実に多様であった。


神棚と仏壇の並立、教育勅語の額縁と先祖の位牌、祈祷札と新聞の道徳欄――

それらは矛盾しながらも、庶民のなかで“同時に”存在していた。


そしてその中で、信仰とは“祈り”であると同時に、“生き方のかたち”でもあった。

そのかたちは、帝国の制度に編まれながらも、静かに、個々の家庭のなかで受け継がれていった。

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