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親切心による摩擦

明治政府が進めてきた「皇室中心の国家観」は、次第に国民の日常生活の中へと組み込まれていった。

祝祭日の制定、教育勅語の奉読、皇族の地方行啓――これらは単なる行事ではなく、国民に「国と皇室のつながり」を意識させる装置であった。


秋田県・横手郡。明治四十五年、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の東北行啓が報じられると、村の尋常小学校では急きょ、天長節と併せた奉祝式典の準備が進められた。


式典前日、職員室ではこんな会話が交わされていた。


「先生、児童に“万歳三唱”させるのは、やっぱり必要ですかね」


「もちろんだよ。これは“陛下のおん心”を、子どもらに直接伝える好機なんだ。儀式とは、形であって形にあらずだよ」


校長の吉村は、古い辞書を手に、教育勅語の文言を繰り返していた。


翌日、児童たちは白い鉢巻に紅白の旗を手に登校し、校庭で整列する。校舎の脇には「奉祝 皇太子殿下行啓」の横断幕が掲げられ、地域の青年団や婦人会も招かれていた。


「君が代は〜 千代に八千代に〜」


小さな声が合わさって、空に届いた。


その列の中にいた小学六年の三郎は、母と登校前にこんな会話をしていた。


「三郎、お辞儀は深く、背筋を伸ばしてするんだよ。これはただの式じゃない。あんたも、日本の一人だってことを忘れないようにね」


「うん、分かってる」


彼にとって、それは「日本人になる」という意味の儀式だった。


このように、皇室は国民生活における“精神的基軸”として、知らず知らずのうちに浸透していった。

全国の小学校では教育勅語が神棚と並べて掲げられ、毎朝の奉読が習慣化されていた。

地方においても、「地方行啓」が国家からの「まなざし」として機能し、人々の心に「皇室は我らと共にある」という感覚を深く根づかせていったのである。


帝国の外地にあたる朝鮮、台湾、満洲では、「内地」と異なる文脈で生活が営まれていた。

しかし、日本政府が進めた皇民化政策により、それらの地域にも日本語教育、神道祭祀、儀礼制度、戸籍法、祝祭日制度が順次導入されていった。


京城・尋常小学校にて


朝鮮・京城(現在のソウル)のある尋常小学校。明治四十四年の春、新任の日本人教師杉本が着任した。


教員控室で、現地採用の朝鮮人補助教員**キム・ジンホ(金鎮浩)**と顔を合わせる。


「杉本先生、はじめまして。私は補助教員の金です」

(조선어로 인사드립니다. 반갑습니다)


「こちらこそ。よろしく頼みます」

(조선말 아직 잘 못하지만, 잘 부탁드립니다)


二人は互いに笑顔で頭を下げたが、授業内容に踏み込むと次第に考えの違いが露わになる。


「児童には、まず“教育勅語”を正しく暗誦させねばなりません。日本の道徳を、言葉として覚えさせるのが先決だと思います」


「……しかし、彼らにとって、それは“外国語”です。文字や意味を知らぬまま、音として覚えるのは、本当に教育でしょうか」


静かな言葉の応酬には、双方の信念と葛藤が滲んでいた。


台南・市場にて


台湾・台南の市場では、商いを営む日本人女性と、現地少年との短いやりとりがあった。


「おばちゃん、これ、いくら?」

(台語:阿姨,這個幾錢?)


「一個五分よ。だけど、ちゃんと日本語で言ってごらん。ほら、“これ、いくらですか”」


「……コレ、イクラ、デスカ?」


「そうそう、えらいわね。そうやって覚えるのよ」


笑顔で応じた彼女の心にあったのは、「教えることが親切」だという善意だった。

だが、それは少年にとって「自分の言葉を忘れる」始まりでもあった。


奉天・役所にて


満洲・奉天(現在の瀋陽)の地方役所では、日本から赴任してきた若い官吏が、現地通訳の青年と昼休みに雑談していた。


「この前の式典、あれ、どう思った?」


「……正直に言えば、私の父は、ああいう“神道の儀式”を強いられるのは、ちょっと違うと申していました」


「ふむ。だが、帝国の一員として、形式は統一せねばならんという理屈は、分かるだろう?」


「分かります。でも、“形”だけで心が動くとは限りません」


青年の言葉には、どこか諦めとも、静かな決意ともつかぬ響きがあった。



こうして、文化の“親切な押しつけ”が摩擦を生み、帝国の周縁では日々、静かな緊張が蓄積されていた。

それはまだ爆発には至らない。だが確実に、「違い」を自覚する人々の目と耳と口元に、沈黙のしこりとなって現れていた。

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