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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「蚊いくさ」

作者: 霧夜シオン
掲載日:2025/02/03


落語声劇「蚊(か)いくさ」


台本化:霧夜(きりや)シオン@吟囁亭喃咄(ぎんじょうていなんとつ)


所要時間:約25分


必要演者数:最低3名

      (0:0:3)

      (3:0:0)

      (2:1:0)【性別準拠人数比率】

      (1:2:0)

      (0:3:0)

      (0:0:4)

      (4:0:0)

      (3:1:0)

      (2:2:0)【性別準拠人数比率】

      (1:3:0)

      (0:4:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


久六:八百屋(やおや)を営(いとな)む男。

   ところが剣術にハマってしまい、稼業(かぎょう)をほっぽりだして剣術の稽古(けいこ)

   に精を出す有様(ありさま)。


女房:久六(きゅうろく)の妻。

   稼業(かぎょう)の八百屋(やおや)に精(せい)を出さず、剣術稽古(けんじゅつけいこ)ばかりしている久六(きゅうろく)に

   嫌気(いやけ)がさしてきている。


先生:町の剣術道場で剣術を教えている。

   流派は不明。


おみつ:久六(きゅうろく)夫妻と同じ町内に住んでいるであろう女性。

    【※演者数が2:2の場合のみ登場します】


●配役例


久六:

女房:

先生:

おみつ(※):



※枕は2:1→誰かが適当に、2:2→おみつ役が兼(か)ねてください。



枕:蚊、それは人類の天敵ですな。

  最も人間を殺しているランキングで、二位の人間を抑(おさ)え堂々の一位に

  輝いた存在でもあります。

  有史(ゆうし)以来、我々人間は常に夏ともなれば、この小さな天敵を撃退(げきたい)、

  あるいはやり過ごすべく、あらゆる手段を講(こう)じてきました。

  その努力の結晶が蚊帳(かや)であり、網戸(あみど)であり、そして今はもう、

  あまり目にする事が無くなりましたが、蚊取り線香が大正時代に

  登場し、大いに人類の対蚊(たいか)最終兵器として役立ちました。

  今でも東南アジアでは広く用いられているそうです。

  蚊帳(かや)も活躍の場をアウトドアに移し、人々に愛用されています。

  さて、現代では衛生環境がだいぶ良くなったせいか、

  それほど蚊(か)の事で大騒ぎする、なんてことは無いようですが、

  これが江戸の昔ともなりますと、そうもいかないわけでございまして。


久六:おうっ、いま帰ったぜ。


女房:いま帰ったじゃないよ、どこへ行ってたんだい。

   冗談じゃないよ、また稽古(けいこ)に行ったのかい?


久六:そうだよ。


女房:呆(あき)れかえったね、どれほど言ったら分かるんだい。

   商(あきな)いもしないで剣術の稽古(けいこ)ばかり…あんたは八百屋(やおや)じゃないか。


久六:うるさいな。

   おめえは何かってェと、八百屋(やおや)が剣術を習ってしょうがねえと、

   こう言うね。


女房:当たり前じゃないか。


久六:それが、女の浅知恵(あさぢえ)てんだよ。

   たとえ八百屋(やおや)であれ何であれ、一朝(いっちょう)、事(こと)ある時はーー


女房:【↑の語尾に喰い気味に】

   なにが一朝(いっちょう)事(こと)ある時だよ。

   あんたはそんな呑気(のんき)なこと言ってるけどさ、子供をごらんよ。

   寝てる頭のとこ見ておやりよ。

   

久六:頭ァ?

   ……ぉ、なるほど…ずいぶんでこぼこになって、

   八(や)つ頭(がしら)みたいになっちゃってるな。


女房:八(や)つ頭(がしら)みたいだって…あんたのせいじゃないか。

   蚊(か)に喰(く)われてこんなになってるんだよ。

   かわいそうじゃないか。子供が可愛(かわい)くないのかい?


久六:いや、子供が可愛(かわい)くねえって事はねえよ。


女房:可愛(かわい)いと思ってるんならね、少しは商(あきな)いに身を入れたらいいじゃな

   いか。

   そりゃ好きな剣術を決してやっちゃいけないとは言わないけどね、

   うちがもう少し楽になって、暮らしにゆとりができたらやればいい

   じゃないか。

   剣術の先生にそう言って、断っておいでよ。


久六:お前ね…断っておいでってそう安直(あんちょく)に言うけどね、

   そうはいかねえんだよ。


女房:何がそうはいかないのさ。


久六:先生は俺を頼りにしてるんだな。

   弟子(でし)は大勢あるが、お前さんくらい筋(すじ)の良い者はいない。

   もう少しみっちりやれば、免許皆伝(めんきょかいでん)は疑いなく取れる。

   だから一生懸命(いっしょうけんめい)やれと、こう言うんだな。


女房:なに言ってるんだい。

   おでん屋の店を冷やかしてるんじゃないよ。

   スジが良くたって、はんぺんが良くたってしょうがない。

   食う物を食わずにはいられないんだからさ。

   だから先生とこ行って、断っといで!

   早く行っといで!!


久六:ったく、うるせぇかかあったらねえなァおい。

   家へ帰るってェとガーガーガーガー言いやがる。

   …もっとも、無理もねえや。

   まるっきりここんとこ商(あきな)いをしてねえからな。

   銭(ぜに)がねえから蚊帳(かや)を質(しち)に入れちまって出す事は出来ねえし…

   しょうがねえ。

   けど先生とこ行って断るとなると、入りにくいなどうも。


   ごめんください、先生!

   こんにちわ!


先生:おお、久六(きゅうろく)殿ではないか。

   先ほど稽古(けいこ)を終えて戻られたはずだが、なんぞ、忘れ物かな?


久六:い、いえ…実は、先生に折り入ってお願いにあがったんで。


先生:?師弟(してい)の間に遠慮はいらぬ。

   どういう事件が持ち上がったのだ?


久六:あ、いえ、別に事件ってぇほどのものじゃねえんです。

   …すいませんが、稽古(けいこ)を少しの間休ましていただきてえんで。


先生:なに、稽古(けいこ)を休む?それはけしからん。

   他の門弟(もんてい)とくらべ、貴公(きこう)は見所(みどころ)がある。

   それゆえ拙者(せっしゃ)が心を入れて稽古(けいこ)をいたしおるのだ。

   休むような事では腕は上がらぬぞ。

   これまで同様(どうよう)、稽古(けいこ)いたすがよい。


久六:いえね、あっしも好きなもんですからやりてえんですけどね、

   どうにももうやっちゃいられねえんで。

   毎晩出やがって、しょうがねえんですよ。

   それの出なくなるまでは稽古(けいこ)は断って来いと、

   かかあがこう言うわけでして。


先生:毎晩出るとは、何が出るのだ?


久六:【もごもごと】

   あぁ…へへ…その、化(ば)け物(もの)がね…。


先生:なに?


久六:化(ばけ)物(もの)が出て、しょうがねえんです。


先生:化(ば)け物(もの)?

   ハハハ…何を言われるか。

   君子(くんし)は怪力乱神(かいりきらんしん)を語らずと申すが、

   世の中に化(ば)け物(もの)なぞというものがありようはずがない。

   まこと、怪物(かいぶつ)が出ると申すのか?


久六:えぇ…出るんです。


先生:何か危害を加えてくるのか?


久六:出てきて、生き血をすするんで。


先生:それは穏やかではないぞ、人の生き血を吸うというのは。

   して何か、出るのは夜半頃(やはんころ)か?


久六:いえ、夜半って事はねえんですが、

   陽(ひ)が暮れるてぇともう、どんどん出てくるんです。


先生:なに、一匹ではないのか?


久六:えぇ一匹じゃねえんです。もう数は分からねえくらいで。

   何百とでぇーっと出てくるんで。


先生:ふむう…いかなる形をしておるのだ?


久六:いかなる形ったって…羽があってこう、飛ぶんです。


先生:翼(つばさ)あって飛翔(ひしょう)いたすと…よほど通力(つうりき)を得た奴であると見える。

   で、他には?


久六:くちばしがとんがってますね。


先生:くちばし…その怪物は吠(ほ)えでもいたすのか?


久六:別に吠(ほ)えるって事でもありませんがね、鳴きますね。

   プ~~~ンって。


先生:プーン…?

   何か、話の様子が蚊(か)に似ておるな。


久六:ええ、蚊(か)が出るんです。


先生:なんじゃ、蚊(か)なら蚊(か)と申すがよろしい。

   怪物だの化(ば)け物(もの)だのと申すでない。


久六:いや、ありゃボウフラの化(ば)け物(もの)ですよ。


先生:【苦笑しながら】

   ボウフラの化(ば)け物(もの)には相違(そうい)ないが、

   さようなものが出たところで、何も恐れる事はあるまい。


久六:いえ、別に恐れるってわけじゃねえんですが、

   ここんとこまるっきり商(あきな)いを怠(なま)けてるもんですから、

   うちの家計は火の車でしてね。

   蚊帳(かや)を質(しち)に入れちまってて出す事ができねえんで。

   そのせいでうちのガキが頭ァ喰(く)われて、八(や)つ頭(がしら)みてえになっちまっ

   たんでさ。

   うちのかかあが言うには、これじゃしょうがねえから、先生のとこ

   行って少しのあいだ稽古(けいこ)をお断りして、一生懸命に商(あきな)いをして、

   暮らしにゆとりが出たらまたお願いしたらいいと、こういうわけな

   んで。


先生:ふむ…、

   ならば蚊(か)が出ぬようになれば、稽古(けいこ)を続けられるであろう?


久六:そりゃあもう、蚊(か)が出なくなれば。


先生:しからば、とっておきの法を伝授(でんじゅ)いたそう。


久六:えっ、蚊(か)の出なくなる方法があるんですか?


先生:今宵(こよい)、蚊(か)と一戦(いっせん)まじえなさい。


久六:なんです、一戦(いっせん)まじえるてのは?


先生:蚊(か)と…戦(いくさ)をいたす。


久六:ハハハ…先生の言う事は大袈裟(おおげさ)だね。

   なにも蚊(か)と戦(いくさ)をするなんてほどの事は…


先生:いや、貴公(きこう)はものを小さく取るからいかん。

   心程(こころほど)の世(よ)を経(へ)るということわざがある。

   心はなるべく、大(おお)きゅう持ちなさい。


   よいか。今宵、蚊(か)と一戦(いっせん)まじえるにあたって、

   貴公(きこう)の家は城とみなす。

   すなわち、貴公(きこう)は城持(しろも)ち大名(だいみょう)だ。


久六:城持(しろも)ち大名(だいみょう)!へええ、大変な事になりましたなぁ。

   うちの家が城ですか。じゃ、俺のかかあはどうなるんで?


先生:ご細君(さいくん)は北(きた)の方(かた)、御台所(みだいどころ)と言うな。


久六:御台所(みだいどころ)!たしかに台所でしょっちゅうまごまごしてますからね。

   北(きた)の方(かた)…北(きた)の方(かた)って言うほどじゃねえ、汚ねえ方(かた)だね。

   じゃあガキはなんて言うんで?


先生:ガキと言う事はない。

   ご子息(しそく)は公達(きんだち)、若君(わかぎみ)とも言う。


久六:汚ねえ若君(わかぎみ)だ、へへへ。

   きんだちってよりかは鉛(なまり)だちぐらいなもんだね。


先生:まず城へ戻ったならば、大手(おおて)搦手(からめて)、櫓(やぐら)を開ける。


久六:ちょ、ちょいと待っておくんなさい。

   大手(おおて)搦手(からめて)櫓(やぐら)って何の事で?


先生:大手(おおて)は表(おもて)、裏口が搦手(からめて)だ。

   引き窓(まど)が物見櫓(ものみやぐら)、前なるドブを堀(ほり)とみなす。


久六:あぁ前のドブがお堀(ほり)で。

   なるほど、城になりますね。


先生:これらを残らず開け放して軍扇(ぐんせん)…扇子(せんす)を広げて蚊(か)を呼び寄せる。


久六:へえ、どうやるんです?


先生:やあやあ敵の面(めんめん)々、よく聞けそうらえ。

   当城(とうじょう)においては今宵(こよい)、蚊帳(かや)を吊(つ)らんぞや、来たれや来たれ!

   と、敵を招(まね)き入れる。


久六:そんなこと言わなくたって向こうが勝手(かって)に入ってきますよ。


先生:いや、入っては来るが、今宵(こよい)は蚊帳(かや)を吊(つ)らんというところで、

   敵勢(てきぜい)が安心してわっと押し寄せてくる。

   じゅうぶんに敵をおびき寄せておいて、大手(おおて)搦手(からめて)櫓(やぐら)をぴたりと

   閉める。

   そしてすぐに合図(あいず)ののろしを上げるのだ。


久六:え、のろしってなんです?


先生:蚊燻(かいぶ)しをするのだ。


久六:ああ、蚊燻(かいぶ)しがのろしですか、なるほど。


先生:周りがすべて閉め切ってあるから、逃げようとしても逃げ場がない

   。敵は右往左往(うおうさおう)に入り乱れて十分に苦しむ。

   そこを見計(みはから)らって大手(おおて)搦手(からめて)櫓(やぐら)を開ける。

   大手(おおて)から風が入れば搦手(からめて)、搦手(からめて)から風が入れば大手(おおて)の方へ

   敵が逃げ失(う)せる。

   そうしたら大手(おおて)搦手(からめて)櫓(やぐら)をぴたりと閉める。

   城中(じょうちゅう)に蚊(か)は一匹もおらんから、安楽(あんらく)に眠る事ができる。

   「けむくとも 末(すえ)は寝やすき 蚊遣(かや)りかな」

   という句(く)がある。

   どうだ?


久六:あ、なるほど!

   じゃあ蚊(か)をわざと入れておいて、こいつを燻(いぶ)して追い出しちゃうっ

   てわけで!

   こりゃあうまいね!

   それじゃさっそく、うちに帰って支度(したく)を…


先生:【↑の語尾に喰い気味に】

   待ちなさい。

   一匹や二匹、落ち武者(むしゃ)が出て参るやもしれん。

   しかし驚くには及ばぬ。

   蟷螂(とうろう)が斧をもって勇者に刃向(はむ)かうがごとし。

   大将に向かって一騎打ちの勝負とはしゃらくさい。

   さような者が現れたら、構(かま)わぬから平手(ひらて)でもって打ち殺しなさい。

   さすれば蚊(か)は一匹もおらぬようになる。


久六:いやあ、こいつはどうもありがとうございます!

   じゃ、さっそく帰ってやってみますんで!


※【演者が2:1の場合は以下の部分をカットすれば話が繋がります】


女房:まったく、うちの宿六(やどろく)は遅いんだから…。

   おみつさん、暑いね。


おみつ:本当だね、今年の暑さはまた格別(かくべつ)だよ。

    蚊(か)もひどいったらないね。


女房:まあねえ。

   それにあたしんとこなんざね、蚊帳(かや)を質(しち)へ入れちまってね。

   出せないんだよ。


おみつ:それじゃ蚊(か)が大変だろ。


女房:そうなんだよ。

   子供がかわいそうでね、頭はコブだらけになっちまって…。


おみつ:そういえばお前さんとこの旦那(だんな)、剣術に凝(こ)ってるんだってね。


女房:そうそう。

   おみつさんとこはいいやね。

   新内節(しんないぶし)が好きなんだから。

   お湯入って歌ってんだから罪がないやね。


おみつ:あんまり上手(うま)くもないけどね。

    調子(ちょうし)っぱずれもいいとこだよ。


女房:うちの宿六(やどろく)なんざ、呆(あき)れかえっちまうよ。

   雑巾(ぞうきん)の親方(おやかた)みたいなものくっ付けやがってさ、

   道場行っちゃポカポカ殴(なぐ)られて月謝(げっしゃ)を取られるんだ。

   殴られるために払いに行ってるようなもんだよ。


おみつ:それだけやられて続いてるんなら感心じゃないか。


女房:そうかねえ。

   朝起きりゃすぐにヤットウ、ヤットウ言ってさ、

   俺はヤットウに凝(こ)ったから朝は納豆で飯(めし)を食うんだ、なんて、

   くだらないこと言ってんだよ。


おみつ:駄洒落(だじゃれ)としてはそれなりじゃないかい?


女房:こないだも帰ってきたと思ったらさ、扇(おうぎ)を広げて持つんだ。

   何やってんだいって聞いたら、

   「どうだ、俺の身体(からだ)に隙(すき)があるまい。」

   とか言うもんだから、隙(すき)ならあるじゃないかって言ったんだ。

   そしたら、

   「何を言ってやがる、おめえに分かるもんか。俺が気合(きあい)もろともに

   この扇(おうぎ)の中に隠れる。」

   とか言うんだ。


おみつ:何に影響されたんだろうね…。


女房:やってごらんって言ったら、

   「エイッ!どうだ見えまい!」

   とか得意(とくい)げに言うから、よく見えるじゃないかって言ってやったん

   だ。そしたらまたエイッ、とやるもんだから、また見えるよって

   言ってやったら、今度は扇(おうぎ)で顔を隠して

   「顔が見えるか!」

   ってさ。そりゃ見えるわけないってのさ。   


おみつ:そりゃ、扇(おうぎ)で隠したら見えるわけないよ。

    ひとの旦那(だんな)様だけどさ、…ちょいと心配だね。


女房:そしたら、「だいいち、俺をバカにしてるからそうなんだ。

   いいか、俺に隙(すき)があったら、どこからでも打ち込んでこい。

   俺が速(すみ)やかに受ける。」

   なんて言うんだ。

   ほんっとに癪(しゃく)にさわって忌(いまいま)々しいからね、包丁(ほうちょう)持ってって後ろから

   頭をこつッとぶっちゃった。

   あの宿六(やどろく)、しかめっ面(つら)しちゃって後でおかしいやらなんやら。


おみつ:【笑いをこらえて】

    それで、どうしたんだい?


女房:それご覧(らん)な、えばったってこの通りぶたれたじゃないか。

   って言ったら、

   「ぶたれたんじゃねえ、受けたんだ。」

   なんて負け惜(お)しみ言うから、

   そんなこと言ったって頭ぶたれたろ、って返してやったら、

   「頭で受けた。」

   とかぬかすんだよ?

   そんな馬鹿な話はありゃしないよ。

   …ってあ、帰ってきたよ。


おみつ:ほんとだ。

    なんだか肩で風を切って来るね。


【※演者が2:1のみの場合のカットする部分ここまで!】


久六:【重々しく】

   寄れェーい寄れィッ!


女房:?何を言ってんだい、あんた。


久六:【重々しく】

   寄れェェい寄れィッ!


女房:何が寄れ寄れだよ。あんたの帯(おび)のほうがよれよれじゃないか。

   一体何なんだい?


久六:【重々しく】

   …北の方(かた)。


女房:は?何だって?


久六:【重々しく】

   北の方(かた)…。


女房:来たのか?

   誰も来やしないよ。


久六:来たのかじゃねえよ。

   北の方(かた)と言うんだ。


女房:なにさ、北の方(かた)て。


久六:おめえが今日から北の方(かた)だってんだよ。


女房:なに言ってんだい。

   北の方(かた)だって南の方(かた)だってどうだっていいよ。


久六:【重々しく】

   …公達(きんだち)を抱いて臥所(ふしど)へ下がれ。


女房:?なんの事だい?


久六:子供を抱いて次の間(ま)へ下がれ。


女房:はぁ?うちは一間(ひとま)きりじゃないか。


久六:…台所へ下がれ。


女房:バカ言ってんじゃないよ。

   台所になんか下がれるか。


久六:【重々しく】

   今宵(こよい)は蚊(か)と一戦(いっせん)いたすゆえ、大手(おおて)搦手(からめて)櫓(やぐら)を開けろ。


女房:何わけの分からない事言ってんだい。

   なんなのさ、それは。


久六:大手(おおて)と言うのは表(おもて)、搦手(からめて)は裏口(うらぐち)、引き窓(まど)は物見櫓(ものみやぐら)だ。

   それを開けろってんだよ。


女房:みんな開いてるじゃないか。


久六:…ふふふ、初めての戦(いくさ)だ、面食(めんく)らってやがんな。

   あれだ、あの…ぐ、軍扇(ぐんせん)持ってこい。


女房:そんなものないよ。


久六:~~無(な)きゃ何でもいい、蚊(か)ぁ叩けるもん持ってこい。


女房:はぁ、団扇(うちわ)でいいかい?


久六:おう。

   【重々しく】

   やあやあ敵の奴(やつ)ばら、よく聞きそうらえ。

   当城(とうじょう)においては今宵(こよい)、蚊帳(かや)を吊(つ)らんぞや、来たれや来たれ!


女房:バカだねこの人は!

   みっともないじゃないか。

   蚊帳(かや)がないのが近所中(きんじょじゅう)に聞こえちまうだろ!


久六:【重々しく】

   しっ。

   蚊帳(かや)が無いなぞという事が敵方(てきがた)に知れてみろ。

   大将の計略(けいりゃく)も水の泡(あわ)に相成(あいな)る。

   静かにいたせ。

   やあやあ敵の奴(やつ)ばら、よく聞きそうらえィ!

   当城(とうじょう)においては今宵(こよい)、蚊帳(かや)をーー

   【普通に】

   おおっ、入って来やがった来やがった!

   【頬か額のどこかを叩く】

   っと、顔にぶつかりやがった。

   【重々しく】

   うむ、もうよかろう。

   北の方(かた)、大手(おおて)搦手(からめて)櫓(やぐら)を閉めるのだ!


女房:まだ閉めるには早い刻限(こくげん)だろ。


久六:早くたっていいんだよ!

   いいから早く閉めろ閉めろ!


女房:わ、わかったよ…。


久六:閉めたか?

   よし、のろしをもて。   


女房:なんだい、のろしって。


久六:蚊燻(かいぶ)しだよ!

   早く持ってこい、早く!


女房:もう、なんなんだい。

   …はい。


久六:よしよし、これからこいつで…

   へへ、俺の計略(けいりゃく)、図(ず)に当たったりという奴だ。

   こうしてのろしを上げてやれば…!

   【バタバタ扇いでいる】


   ほぅら見ろ見ろ!どうだ!

   敵の奴(やつ)ばらが右往左往(うおうさおう)していっげほっ、ごほっごほっごほっ!!

   敵の面(めん)めっごほっ、ごほっごほっごほっ!!


女房:ごほっごほっ、げほっ、げーほげほげほっ!!!

   じょ、冗談じゃないよ!

   こ、こっちの方が、げほげほ、苦しいよッ!

   あぁあぁ坊や、泣くんじゃないよ。

   おとっつぁん、気が違っちゃったんだよ。


   あんた、何バカなことしてるんだい!

   家じゅう蒸(む)しちまって!

   あたしらまで殺す気かい!?


久六:うっげほっげほっ、げーほげほげほげほッッッ!!!

   こ、これはとてもたまらん、大手(おおて)搦手(からめて)櫓(やぐら)を開けろ!


女房:あ、開けていいかい!?


久六:あ、ああ、開けろ開けろ!早く!


   【二拍】


   っはぁぁ、これはどうも、だいぶ体を張った計略(けいりゃく)だ。

   おおお、搦手(からめて)から風が入って大手(おおて)から敵が逃げ失(う)せるぞ。

   【重々しく】

   やあやあ、敵に後ろを見せるは卑怯(ひきょう)なり!

   しっかりいたせ!


女房:何を言ってるんだい。

   逃げた蚊(か)を呼び返す奴があるもんか。


久六:あぁもうよかろう。

   よし、大手(おおて)搦手(からめて)櫓(やぐら)を閉めろ。


女房:なんだい忙しいね。


久六:いいから、早く閉めろ早く。

   閉めたか?


女房:閉めたよ。


久六:よし、じゃあこっち来い。


女房:今度はなんなのさ、まったく。

   なに?


久六:…驚いたろ。


女房:何がさ?


久六:こうしておけば城中(じょうちゅう)に蚊(か)は一匹も残らんから、

   安楽(あんらく)に寝る事ができる。

   昔からのたとえにもな、

   「眠くとも のちは寝やすき 蚊遣(かや)りかな」

   と言うのだ。

   なんと良い計略(けいりゃく)でござろう。


女房:何言ってるんだい。

   眠くとも、てのがあるかい。

   煙(けむ)くともだろ。


久六:ぁ、そうか。

   まぁ、どっちだっていいや、早く寝ろ。


女房:早く寝ろって、お前さんは寝ないのかい?


久六:【重々しく】

   大将は夜討(よう)ちをかけられていかん。

   今宵(こよい)は寝(ね)ずの番(ばん)だ。


女房:なに言ってるんだい。

   寝(ね)ずの番(ばん)なんかどうだっていいから、早くお寝(ね)よ。


久六:そうはいかん…うん?


【※蚊が飛んでくる音:SEもしくは演者の誰かが演じてください】


   おい、どこにとまった?


女房:お前さんの額(ひたい)の真ん中。


久六:む、っ!。

   【実際に額か、手を叩く】

   …ふふふ、落ち武者の分際(ぶんざい)で大将へ一騎討(いっきう)ちの勝負とは

   しゃらくさい。

   蟷螂(とうろう)が斧をもって勇者に刃向(はむ)かうがごとし。

   しかし敵ながらあっぱれな奴。

   北の方(かた)、死骸(しがい)を取り片づけよ。


女房:なんであたしが…。


【※蚊が飛んでくる音:SEもしくは演者の誰かが演じてください】


久六:また来やがったよ…っ!

   【実際に身体のどこかを叩く…以降、【叩く】で表記】

   今度は雑兵(ぞうひょう)か。縞(しま)の股引(ももひき)を履(は)いてる。

   雑兵の分際で大将へ一騎討ちの勝負とはしゃらくさい。

   蟷螂(とうろう)が斧をもって勇者に刃向(はむ)かうがごとし。

   北の方(かた)、死骸(しがい)を取りーーっ!【叩く】

   落ち武者の分際(ぶんざい)で大将へーーッ!【叩く】

   蟷螂(とうろう)が斧をもってーーっ【叩く】

   【↓はしゃべりながら何回か叩く】

   勇者に刃向(はむ)かうがごとしでーーってこれはいかん!

   ああぁ大変だ、北の方(かた)、とてもかなわん。


   城を明(あ)け渡(わた)そう。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


三遊亭圓生(六代目)



※用語解説


・ヤットウ

剣術の稽古で「ヤッ!」「とう!」という掛声を繰り返す事から剣術の事

を指すようになった。


・蚊燻(かいぶ)し、蚊遣(かや)り

原料は榧(かや)の木の鉋屑(かんなくず)。

下町の裏長屋の住人にとって、蚊との戦いはまさに命がけ。

ジョチュウギクを用いた昔懐かしい渦巻き型の蚊取り線香は、

もう次第に姿を消しつつありますが、大正中期に製品化されたもの。


・蚊帳(かや)

蚊の侵入を防ぎながら空気の通りを妨げない物として、窓に網戸、屋内で

蚊帳がある。いずれも目が1mm程度の細かな網を蚊の侵入方向に

張り巡らせて侵入を防ぐものであり、人間の寝所等の周りに吊るして防御

するものが蚊帳、それがさらに発展して窓に網を張って家全体への侵入を

防ぐものとして生まれたのが網戸である。

中国から伝来したもので、当初貴族などが用いていたが、江戸時代には

庶民にも広く普及した。

行商人が独特の掛け声で売り歩く光景は江戸に夏を知らせる風物詩と

なっていた。

現在でも蚊帳は全世界で使用されており、野外や熱帯地方で活動する場合

には必需品であり、大半の野外用のテントにはモスキート・ネットが付属

している。また軍需品として米軍はじめ各国軍に採用されており、

旧日本軍も軍用蚊帳を装備していた。

現在は蚊が媒介するマラリア、デング熱、黄熱病、および各種の脳炎に

対する、安価で効果的な防護策として注目されている。


・心程(こころほど)の世を経(へ)る

人は心の持ち方一つでそれに応じた境遇が与えられ、

それにふさわしい一生を送るようになることを指す言葉。

似ている意味のことわざに、心柄(こころがら)の世を経(へ)る、

というのがある。


・八(や)つ頭(がしら)

他のサトイモほどぬめりがなく、比較的調理しやすい。

加熱するとホクホクとした食感がある。

里芋の品種の一つ。種芋からほとんど同大の親芋を生じ、

両者合せて7~9個が癒合して直径10cmほどの塊となる。

その形状から、八頭とか九面芋と呼ばれるようになった。


・北の方(かた)

公卿・大名など、身分の高い人の妻を敬っていう言葉。

北の御方(おんかた)。北の台。


御台所(みだいどころ)

大臣・将軍家など貴人の妻に対して用いられた呼称で、奥方様の意。


・公達(きんだち)

本来は諸王のことを指すが、後代には臣籍にある諸王の子弟や、

摂家・清華家などの子弟・子女に対する呼称として用いられた。


・大手(おおて)

大手門。日本の城郭における内部二の丸または、三の丸などの曲輪へ

通じる大手虎口に設けられた城門。正門にあたる。


・搦手(からめて)

大手門に対して背面の門。

有事の際には、領主などはここから城外や外郭へ逃げられるように

なっていた。建物自体は小型で狭く、目立たない仕様であることも

少なくなく、小型の冠木門を建てるのみということもあったというが、

きわめて厳重で大手門などの大きな虎口に比べて少人数で警備できるよう

に設計してあった。


・櫓(やぐら)

櫓門は門の上に櫓を設けられた、特に城に構えられる門の総称。

二階門とも呼ばれる。

長屋の台所になる部分の屋根に、明かり取りと煙出しのために引き窓が

設置されており、それを櫓に見立てている。


・落ち武者

戦国時代の負け戦において敗者として生き延び、逃亡する武士。

落人(おちうど、おちゅうど)とも呼ばれる。

敵国からは懸賞をかけられ、農民たちに殺されたり所持品を略奪されたり

する、落ち武者狩りの対象とされた。

戦場からの離脱中以外にも、亡命状態の者も落人と呼ぶ。

有名なものに平家の落人があり、落ち延びた先の山間部などに集落を作っ

た例もある。


・臥所(ふしど)

寝る所。寝所。寝床と同じ意味。


・新内節(しんないぶし)

浄瑠璃(じょうるり)の一種。

鶴賀(つるが)新内が始めたもので、心中(しんじゅう)物などを題材とし、

哀調の中に華やかさがあるのが特徴。




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