落語声劇「蚊いくさ」
落語声劇「蚊いくさ」
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:約25分
必要演者数:最低3名
(0:0:3)
(0:0;4)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
久六:八百屋を営む男。
ところが剣術にハマってしまい、稼業をほっぽりだして剣術の稽古
に精を出す有様。
女房:久六の妻。
稼業の八百屋に精を出さず、剣術稽古ばかりしている久六に
嫌気がさしてきている。
先生:町の剣術道場で剣術を教えている。
流派は不明。
おみつ:久六夫妻と同じ町内に住んでいるであろう女性。
【※演者数が2:2の場合のみ登場します】
●配役例
久六:
女房:
先生:
おみつ(※):
※枕は2:1→誰かが適当に、2:2→おみつ役が兼ねてください。
枕:蚊、それは人類の天敵ですな。
最も人間を殺しているランキングで、二位の人間を抑え堂々の一位に
輝いた存在でもあります。
有史以来、我々人間は常に夏ともなれば、この小さな天敵を撃退、
あるいはやり過ごすべく、あらゆる手段を講じてきました。
その努力の結晶が蚊帳であり、網戸であり、そして今はもう、
あまり目にする事が無くなりましたが、蚊取り線香が大正時代に
登場し、大いに人類の対蚊最終兵器として役立ちました。
今でも東南アジアでは広く用いられているそうです。
蚊帳も活躍の場をアウトドアに移し、人々に愛用されています。
さて、現代では衛生環境がだいぶ良くなったせいか、
それほど蚊の事で大騒ぎする、なんてことは無いようですが、
これが江戸の昔ともなりますと、そうもいかないわけでございまして。
久六:おうっ、いま帰ったぜ。
女房:いま帰ったじゃないよ、どこへ行ってたんだい。
冗談じゃないよ、また稽古に行ったのかい?
久六:そうだよ。
女房:呆れかえったね、どれほど言ったら分かるんだい。
商いもしないで剣術の稽古ばかり…あんたは八百屋じゃないか。
久六:うるさいな。
おめえは何かってェと、八百屋が剣術を習ってしょうがねえと、
こう言うね。
女房:当たり前じゃないか。
久六:それが、女の浅知恵てんだよ。
たとえ八百屋であれ何であれ、一朝、事ある時はーー
女房:【↑の語尾に喰い気味に】
なにが一朝事ある時だよ。
あんたはそんな呑気なこと言ってるけどさ、子供をごらんよ。
寝てる頭のとこ見ておやりよ。
久六:頭ァ?
……ぉ、なるほど…ずいぶんでこぼこになって、
八つ頭みたいになっちゃってるな。
女房:八つ頭みたいだって…あんたのせいじゃないか。
蚊に喰われてこんなになってるんだよ。
かわいそうじゃないか。子供が可愛くないのかい?
久六:いや、子供が可愛くねえって事はねえよ。
女房:可愛いと思ってるんならね、少しは商いに身を入れたらいいじゃな
いか。
そりゃ好きな剣術を決してやっちゃいけないとは言わないけどね、
うちがもう少し楽になって、暮らしにゆとりができたらやればいい
じゃないか。
剣術の先生にそう言って、断っておいでよ。
久六:お前ね…断っておいでってそう安直に言うけどね、
そうはいかねえんだよ。
女房:何がそうはいかないのさ。
久六:先生は俺を頼りにしてるんだな。
弟子は大勢あるが、お前さんくらい筋の良い者はいない。
もう少しみっちりやれば、免許皆伝は疑いなく取れる。
だから一生懸命やれと、こう言うんだな。
女房:なに言ってるんだい。
おでん屋の店を冷やかしてるんじゃないよ。
スジが良くたって、はんぺんが良くたってしょうがない。
食う物を食わずにはいられないんだからさ。
だから先生とこ行って、断っといで!
早く行っといで!!
久六:ったく、うるせぇかかあったらねえなァおい。
家へ帰るってェとガーガーガーガー言いやがる。
…もっとも、無理もねえや。
まるっきりここんとこ商いをしてねえからな。
銭がねえから蚊帳を質に入れちまって出す事は出来ねえし…
しょうがねえ。
けど先生とこ行って断るとなると、入りにくいなどうも。
ごめんください、先生!
こんにちわ!
先生:おお、久六殿ではないか。
先ほど稽古を終えて戻られたはずだが、なんぞ、忘れ物かな?
久六:い、いえ…実は、先生に折り入ってお願いにあがったんで。
先生:?師弟の間に遠慮はいらぬ。
どういう事件が持ち上がったのだ?
久六:あ、いえ、別に事件ってぇほどのものじゃねえんです。
…すいませんが、稽古を少しの間休ましていただきてえんで。
先生:なに、稽古を休む?それはけしからん。
他の門弟とくらべ、貴公は見所がある。
それゆえ拙者が心を入れて稽古をいたしおるのだ。
休むような事では腕は上がらぬぞ。
これまで同様、稽古いたすがよい。
久六:いえね、あっしも好きなもんですからやりてえんですけどね、
どうにももうやっちゃいられねえんで。
毎晩出やがって、しょうがねえんですよ。
それの出なくなるまでは稽古は断って来いと、
かかあがこう言うわけでして。
先生:毎晩出るとは、何が出るのだ?
久六:【もごもごと】
あぁ…へへ…その、化け物がね…。
先生:なに?
久六:化物が出て、しょうがねえんです。
先生:化け物?
ハハハ…何を言われるか。
君子は怪力乱神を語らずと申すが、
世の中に化け物なぞというものがありようはずがない。
まこと、怪物が出ると申すのか?
久六:えぇ…出るんです。
先生:何か危害を加えてくるのか?
久六:出てきて、生き血をすするんで。
先生:それは穏やかではないぞ、人の生き血を吸うというのは。
して何か、出るのは夜半頃か?
久六:いえ、夜半って事はねえんですが、
陽が暮れるてぇともう、どんどん出てくるんです。
先生:なに、一匹ではないのか?
久六:えぇ一匹じゃねえんです。もう数は分からねえくらいで。
何百とでぇーっと出てくるんで。
先生:ふむう…いかなる形をしておるのだ?
久六:いかなる形ったって…羽があってこう、飛ぶんです。
先生:翼あって飛翔いたすと…よほど通力を得た奴であると見える。
で、他には?
久六:くちばしがとんがってますね。
先生:くちばし…その怪物は吠えでもいたすのか?
久六:別に吠えるって事でもありませんがね、鳴きますね。
プ~~~ンって。
先生:プーン…?
何か、話の様子が蚊に似ておるな。
久六:ええ、蚊が出るんです。
先生:なんじゃ、蚊なら蚊と申すがよろしい。
怪物だの化け物だのと申すでない。
久六:いや、ありゃボウフラの化け物ですよ。
先生:【苦笑しながら】
ボウフラの化け物には相違ないが、
さようなものが出たところで、何も恐れる事はあるまい。
久六:いえ、別に恐れるってわけじゃねえんですが、
ここんとこまるっきり商いを怠けてるもんですから、
うちの家計は火の車でしてね。
蚊帳を質に入れちまってて出す事ができねえんで。
そのせいでうちのガキが頭ァ喰われて、八つ頭みてえになっちまっ
たんでさ。
うちのかかあが言うには、これじゃしょうがねえから、先生のとこ
行って少しのあいだ稽古をお断りして、一生懸命に商いをして、
暮らしにゆとりが出たらまたお願いしたらいいと、こういうわけな
んで。
先生:ふむ…、
ならば蚊が出ぬようになれば、稽古を続けられるであろう?
久六:そりゃあもう、蚊が出なくなれば。
先生:しからば、とっておきの法を伝授いたそう。
久六:えっ、蚊の出なくなる方法があるんですか?
先生:今宵、蚊と一戦まじえなさい。
久六:なんです、一戦まじえるてのは?
先生:蚊と…戦をいたす。
久六:ハハハ…先生の言う事は大袈裟だね。
なにも蚊と戦をするなんてほどの事は…
先生:いや、貴公はものを小さく取るからいかん。
心程の世を経るということわざがある。
心はなるべく、大きゅう持ちなさい。
よいか。今宵、蚊と一戦まじえるにあたって、
貴公の家は城とみなす。
すなわち、貴公は城持ち大名だ。
久六:城持ち大名!へええ、大変な事になりましたなぁ。
うちの家が城ですか。じゃ、俺のかかあはどうなるんで?
先生:ご細君は北の方、御台所と言うな。
久六:御台所!たしかに台所でしょっちゅうまごまごしてますからね。
北の方…北の方って言うほどじゃねえ、汚ねえ方だね。
じゃあガキはなんて言うんで?
先生:ガキと言う事はない。
ご子息は公達、若君とも言う。
久六:汚ねえ若君だ、へへへ。
きんだちってよりかは鉛だちぐらいなもんだね。
先生:まず城へ戻ったならば、大手搦手、櫓を開ける。
久六:ちょ、ちょいと待っておくんなさい。
大手搦手櫓って何の事で?
先生:大手は表、裏口が搦手だ。
引き窓が物見櫓、前なるドブを堀とみなす。
久六:あぁ前のドブがお堀で。
なるほど、城になりますね。
先生:これらを残らず開け放して軍扇…扇子を広げて蚊を呼び寄せる。
久六:へえ、どうやるんです?
先生:やあやあ敵の面々、よく聞けそうらえ。
当城においては今宵、蚊帳を吊らんぞや、来たれや来たれ!
と、敵を招き入れる。
久六:そんなこと言わなくたって向こうが勝手に入ってきますよ。
先生:いや、入っては来るが、今宵は蚊帳を吊らんというところで、
敵勢が安心してわっと押し寄せてくる。
じゅうぶんに敵をおびき寄せておいて、大手搦手櫓をぴたりと
閉める。
そしてすぐに合図ののろしを上げるのだ。
久六:え、のろしってなんです?
先生:蚊燻しをするのだ。
久六:ああ、蚊燻しがのろしですか、なるほど。
先生:周りがすべて閉め切ってあるから、逃げようとしても逃げ場がない
。敵は右往左往に入り乱れて十分に苦しむ。
そこを見計らって大手搦手櫓を開ける。
大手から風が入れば搦手、搦手から風が入れば大手の方へ
敵が逃げ失せる。
そうしたら大手搦手櫓をぴたりと閉める。
城中に蚊は一匹もおらんから、安楽に眠る事ができる。
「けむくとも 末は寝やすき 蚊遣りかな」
という句がある。
どうだ?
久六:あ、なるほど!
じゃあ蚊をわざと入れておいて、こいつを燻して追い出しちゃうっ
てわけで!
こりゃあうまいね!
それじゃさっそく、うちに帰って支度を…
先生:【↑の語尾に喰い気味に】
待ちなさい。
一匹や二匹、落ち武者が出て参るやもしれん。
しかし驚くには及ばぬ。
蟷螂が斧をもって勇者に刃向かうがごとし。
大将に向かって一騎打ちの勝負とはしゃらくさい。
さような者が現れたら、構わぬから平手でもって打ち殺しなさい。
さすれば蚊は一匹もおらぬようになる。
久六:いやあ、こいつはどうもありがとうございます!
じゃ、さっそく帰ってやってみますんで!
※【演者が2:1の場合は以下の部分をカットすれば話が繋がります】
女房:まったく、うちの宿六は遅いんだから…。
おみつさん、暑いね。
おみつ:本当だね、今年の暑さはまた格別だよ。
蚊もひどいったらないね。
女房:まあねえ。
それにあたしんとこなんざね、蚊帳を質へ入れちまってね。
出せないんだよ。
おみつ:それじゃ蚊が大変だろ。
女房:そうなんだよ。
子供がかわいそうでね、頭はコブだらけになっちまって…。
おみつ:そういえばお前さんとこの旦那、剣術に凝ってるんだってね。
女房:そうそう。
おみつさんとこはいいやね。
新内節が好きなんだから。
お湯入って歌ってんだから罪がないやね。
おみつ:あんまり上手くもないけどね。
調子っぱずれもいいとこだよ。
女房:うちの宿六なんざ、呆れかえっちまうよ。
雑巾の親方みたいなものくっ付けやがってさ、
道場行っちゃポカポカ殴られて月謝を取られるんだ。
殴られるために払いに行ってるようなもんだよ。
おみつ:それだけやられて続いてるんなら感心じゃないか。
女房:そうかねえ。
朝起きりゃすぐにヤットウ、ヤットウ言ってさ、
俺はヤットウに凝ったから朝は納豆で飯を食うんだ、なんて、
くだらないこと言ってんだよ。
おみつ:駄洒落としてはそれなりじゃないかい?
女房:こないだも帰ってきたと思ったらさ、扇を広げて持つんだ。
何やってんだいって聞いたら、
「どうだ、俺の身体に隙があるまい。」
とか言うもんだから、隙ならあるじゃないかって言ったんだ。
そしたら、
「何を言ってやがる、おめえに分かるもんか。俺が気合もろともに
この扇の中に隠れる。」
とか言うんだ。
おみつ:何に影響されたんだろうね…。
女房:やってごらんって言ったら、
「エイッ!どうだ見えまい!」
とか得意げに言うから、よく見えるじゃないかって言ってやったん
だ。そしたらまたエイッ、とやるもんだから、また見えるよって
言ってやったら、今度は扇で顔を隠して
「顔が見えるか!」
ってさ。そりゃ見えるわけないってのさ。
おみつ:そりゃ、扇で隠したら見えるわけないよ。
ひとの旦那様だけどさ、…ちょいと心配だね。
女房:そしたら、「だいいち、俺をバカにしてるからそうなんだ。
いいか、俺に隙があったら、どこからでも打ち込んでこい。
俺が速やかに受ける。」
なんて言うんだ。
ほんっとに癪にさわって忌々しいからね、包丁持ってって後ろから
頭をこつッとぶっちゃった。
あの宿六、しかめっ面しちゃって後でおかしいやらなんやら。
おみつ:【笑いをこらえて】
それで、どうしたんだい?
女房:それご覧な、えばったってこの通りぶたれたじゃないか。
って言ったら、
「ぶたれたんじゃねえ、受けたんだ。」
なんて負け惜しみ言うから、
そんなこと言ったって頭ぶたれたろ、って返してやったら、
「頭で受けた。」
とかぬかすんだよ?
そんな馬鹿な話はありゃしないよ。
…ってあ、帰ってきたよ。
おみつ:ほんとだ。
なんだか肩で風を切って来るね。
【※演者が2:1のみの場合のカットする部分ここまで!】
久六:【重々しく】
寄れェーい寄れィッ!
女房:?何を言ってんだい、あんた。
久六:【重々しく】
寄れェェい寄れィッ!
女房:何が寄れ寄れだよ。あんたの帯のほうがよれよれじゃないか。
一体何なんだい?
久六:【重々しく】
…北の方。
女房:は?何だって?
久六:【重々しく】
北の方…。
女房:来たのか?
誰も来やしないよ。
久六:来たのかじゃねえよ。
北の方と言うんだ。
女房:なにさ、北の方て。
久六:おめえが今日から北の方だってんだよ。
女房:なに言ってんだい。
北の方だって南の方だってどうだっていいよ。
久六:【重々しく】
…公達を抱いて臥所へ下がれ。
女房:?なんの事だい?
久六:子供を抱いて次の間へ下がれ。
女房:はぁ?うちは一間きりじゃないか。
久六:…台所へ下がれ。
女房:バカ言ってんじゃないよ。
台所になんか下がれるか。
久六:【重々しく】
今宵は蚊と一戦いたすゆえ、大手搦手櫓を開けろ。
女房:何わけの分からない事言ってんだい。
なんなのさ、それは。
久六:大手と言うのは表、搦手は裏口、引き窓は物見櫓だ。
それを開けろってんだよ。
女房:みんな開いてるじゃないか。
久六:…ふふふ、初めての戦だ、面食らってやがんな。
あれだ、あの…ぐ、軍扇持ってこい。
女房:そんなものないよ。
久六:~~無きゃ何でもいい、蚊ぁ叩けるもん持ってこい。
女房:はぁ、団扇でいいかい?
久六:おう。
【重々しく】
やあやあ敵の奴ばら、よく聞きそうらえ。
当城においては今宵、蚊帳を吊らんぞや、来たれや来たれ!
女房:バカだねこの人は!
みっともないじゃないか。
蚊帳がないのが近所中に聞こえちまうだろ!
久六:【重々しく】
しっ。
蚊帳が無いなぞという事が敵方に知れてみろ。
大将の計略も水の泡に相成る。
静かにいたせ。
やあやあ敵の奴ばら、よく聞きそうらえィ!
当城においては今宵、蚊帳をーー
【普通に】
おおっ、入って来やがった来やがった!
【頬か額のどこかを叩く】
っと、顔にぶつかりやがった。
【重々しく】
うむ、もうよかろう。
北の方、大手搦手櫓を閉めるのだ!
女房:まだ閉めるには早い刻限だろ。
久六:早くたっていいんだよ!
いいから早く閉めろ閉めろ!
女房:わ、わかったよ…。
久六:閉めたか?
よし、のろしをもて。
女房:なんだい、のろしって。
久六:蚊燻しだよ!
早く持ってこい、早く!
女房:もう、なんなんだい。
…はい。
久六:よしよし、これからこいつで…
へへ、俺の計略、図に当たったりという奴だ。
こうしてのろしを上げてやれば…!
【バタバタ扇いでいる】
ほぅら見ろ見ろ!どうだ!
敵の奴ばらが右往左往していっげほっ、ごほっごほっごほっ!!
敵の面めっごほっ、ごほっごほっごほっ!!
女房:ごほっごほっ、げほっ、げーほげほげほっ!!!
じょ、冗談じゃないよ!
こ、こっちの方が、げほげほ、苦しいよッ!
あぁあぁ坊や、泣くんじゃないよ。
おとっつぁん、気が違っちゃったんだよ。
あんた、何バカなことしてるんだい!
家じゅう蒸しちまって!
あたしらまで殺す気かい!?
久六:うっげほっげほっ、げーほげほげほげほッッッ!!!
こ、これはとてもたまらん、大手搦手櫓を開けろ!
女房:あ、開けていいかい!?
久六:あ、ああ、開けろ開けろ!早く!
【二拍】
っはぁぁ、これはどうも、だいぶ体を張った計略だ。
おおお、搦手から風が入って大手から敵が逃げ失せるぞ。
【重々しく】
やあやあ、敵に後ろを見せるは卑怯なり!
しっかりいたせ!
女房:何を言ってるんだい。
逃げた蚊を呼び返す奴があるもんか。
久六:あぁもうよかろう。
よし、大手搦手櫓を閉めろ。
女房:なんだい忙しいね。
久六:いいから、早く閉めろ早く。
閉めたか?
女房:閉めたよ。
久六:よし、じゃあこっち来い。
女房:今度はなんなのさ、まったく。
なに?
久六:…驚いたろ。
女房:何がさ?
久六:こうしておけば城中に蚊は一匹も残らんから、
安楽に寝る事ができる。
昔からのたとえにもな、
「眠くとも のちは寝やすき 蚊遣りかな」
と言うのだ。
なんと良い計略でござろう。
女房:何言ってるんだい。
眠くとも、てのがあるかい。
煙くともだろ。
久六:ぁ、そうか。
まぁ、どっちだっていいや、早く寝ろ。
女房:早く寝ろって、お前さんは寝ないのかい?
久六:【重々しく】
大将は夜討ちをかけられていかん。
今宵は寝ずの番だ。
女房:なに言ってるんだい。
寝ずの番なんかどうだっていいから、早くお寝よ。
久六:そうはいかん…うん?
【※蚊が飛んでくる音:SEもしくは演者の誰かが演じてください】
おい、どこにとまった?
女房:お前さんの額の真ん中。
久六:む、っ!。
【実際に額か、手を叩く】
…ふふふ、落ち武者の分際で大将へ一騎討ちの勝負とは
しゃらくさい。
蟷螂が斧をもって勇者に刃向かうがごとし。
しかし敵ながらあっぱれな奴。
北の方、死骸を取り片づけよ。
女房:なんであたしが…。
【※蚊が飛んでくる音:SEもしくは演者の誰かが演じてください】
久六:また来やがったよ…っ!
【実際に身体のどこかを叩く…以降、【叩く】で表記】
今度は雑兵か。縞の股引を履いてる。
雑兵の分際で大将へ一騎討ちの勝負とはしゃらくさい。
蟷螂が斧をもって勇者に刃向かうがごとし。
北の方、死骸を取りーーっ!【叩く】
落ち武者の分際で大将へーーッ!【叩く】
蟷螂が斧をもってーーっ【叩く】
【↓はしゃべりながら何回か叩く】
勇者に刃向かうがごとしでーーってこれはいかん!
ああぁ大変だ、北の方、とてもかなわん。
城を明け渡そう。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
三遊亭圓生(六代目)
※用語解説
・ヤットウ
剣術の稽古で「ヤッ!」「とう!」という掛声を繰り返す事から剣術の事
を指すようになった。
・蚊燻し、蚊遣り
原料は榧の木の鉋屑。
下町の裏長屋の住人にとって、蚊との戦いはまさに命がけ。
ジョチュウギクを用いた昔懐かしい渦巻き型の蚊取り線香は、
もう次第に姿を消しつつありますが、大正中期に製品化されたもの。
・蚊帳
蚊の侵入を防ぎながら空気の通りを妨げない物として、窓に網戸、屋内で
蚊帳がある。いずれも目が1mm程度の細かな網を蚊の侵入方向に
張り巡らせて侵入を防ぐものであり、人間の寝所等の周りに吊るして防御
するものが蚊帳、それがさらに発展して窓に網を張って家全体への侵入を
防ぐものとして生まれたのが網戸である。
中国から伝来したもので、当初貴族などが用いていたが、江戸時代には
庶民にも広く普及した。
行商人が独特の掛け声で売り歩く光景は江戸に夏を知らせる風物詩と
なっていた。
現在でも蚊帳は全世界で使用されており、野外や熱帯地方で活動する場合
には必需品であり、大半の野外用のテントにはモスキート・ネットが付属
している。また軍需品として米軍はじめ各国軍に採用されており、
旧日本軍も軍用蚊帳を装備していた。
現在は蚊が媒介するマラリア、デング熱、黄熱病、および各種の脳炎に
対する、安価で効果的な防護策として注目されている。
・心程の世を経る
人は心の持ち方一つでそれに応じた境遇が与えられ、
それにふさわしい一生を送るようになることを指す言葉。
似ている意味のことわざに、心柄の世を経る、
というのがある。
・八つ頭
他のサトイモほどぬめりがなく、比較的調理しやすい。
加熱するとホクホクとした食感がある。
里芋の品種の一つ。種芋からほとんど同大の親芋を生じ、
両者合せて7~9個が癒合して直径10cmほどの塊となる。
その形状から、八頭とか九面芋と呼ばれるようになった。
・北の方
公卿・大名など、身分の高い人の妻を敬っていう言葉。
北の御方。北の台。
御台所
大臣・将軍家など貴人の妻に対して用いられた呼称で、奥方様の意。
・公達
本来は諸王のことを指すが、後代には臣籍にある諸王の子弟や、
摂家・清華家などの子弟・子女に対する呼称として用いられた。
・大手
大手門。日本の城郭における内部二の丸または、三の丸などの曲輪へ
通じる大手虎口に設けられた城門。正門にあたる。
・搦手
大手門に対して背面の門。
有事の際には、領主などはここから城外や外郭へ逃げられるように
なっていた。建物自体は小型で狭く、目立たない仕様であることも
少なくなく、小型の冠木門を建てるのみということもあったというが、
きわめて厳重で大手門などの大きな虎口に比べて少人数で警備できるよう
に設計してあった。
・櫓
櫓門は門の上に櫓を設けられた、特に城に構えられる門の総称。
二階門とも呼ばれる。
長屋の台所になる部分の屋根に、明かり取りと煙出しのために引き窓が
設置されており、それを櫓に見立てている。
・落ち武者
戦国時代の負け戦において敗者として生き延び、逃亡する武士。
落人(おちうど、おちゅうど)とも呼ばれる。
敵国からは懸賞をかけられ、農民たちに殺されたり所持品を略奪されたり
する、落ち武者狩りの対象とされた。
戦場からの離脱中以外にも、亡命状態の者も落人と呼ぶ。
有名なものに平家の落人があり、落ち延びた先の山間部などに集落を作っ
た例もある。
・臥所
寝る所。寝所。寝床と同じ意味。
・新内節
浄瑠璃の一種。
鶴賀新内が始めたもので、心中物などを題材とし、
哀調の中に華やかさがあるのが特徴。