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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「蚊いくさ」

作者: 霧夜シオン


落語声劇「いくさ」


台本化:霧夜きりやシオン@吟醸亭喃咄ぎんじょうていなんとつ


所要時間:約25分


必要演者数:最低3名

      (0:0:3)

      (0:0;4)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


久六:八百屋やおやいとなむ男。

   ところが剣術にハマってしまい、稼業かぎょうをほっぽりだして剣術の稽古けいこ

   に精を出す有様ありさま


女房:久六きゅうろくの妻。

   稼業かぎょう八百屋やおやせいを出さず、剣術稽古けんじゅつけいこばかりしている久六きゅうろく

   嫌気いやけがさしてきている。


先生:町の剣術道場で剣術を教えている。

   流派は不明。


おみつ:久六きゅうろく夫妻と同じ町内に住んでいるであろう女性。

    【※演者数が2:2の場合のみ登場します】


●配役例


久六:

女房:

先生:

おみつ(※):



※枕は2:1→誰かが適当に、2:2→おみつ役がねてください。



枕:蚊、それは人類の天敵ですな。

  最も人間を殺しているランキングで、二位の人間をおさえ堂々の一位に

  輝いた存在でもあります。

  有史ゆうし以来、我々人間は常に夏ともなれば、この小さな天敵を撃退げきたい

  あるいはやり過ごすべく、あらゆる手段をこうじてきました。

  その努力の結晶が蚊帳かやであり、網戸あみどであり、そして今はもう、

  あまり目にする事が無くなりましたが、蚊取り線香が大正時代に

  登場し、大いに人類の対蚊たいか最終兵器として役立ちました。

  今でも東南アジアでは広く用いられているそうです。

  蚊帳かやも活躍の場をアウトドアに移し、人々に愛用されています。

  さて、現代では衛生環境がだいぶ良くなったせいか、

  それほどの事で大騒ぎする、なんてことは無いようですが、

  これが江戸の昔ともなりますと、そうもいかないわけでございまして。


久六:おうっ、いま帰ったぜ。


女房:いま帰ったじゃないよ、どこへ行ってたんだい。

   冗談じゃないよ、また稽古けいこに行ったのかい?


久六:そうだよ。


女房:あきれかえったね、どれほど言ったら分かるんだい。

   あきないもしないで剣術の稽古けいこばかり…あんたは八百屋やおやじゃないか。


久六:うるさいな。

   おめえは何かってェと、八百屋やおやが剣術を習ってしょうがねえと、

   こう言うね。


女房:当たり前じゃないか。


久六:それが、女の浅知恵あさぢえてんだよ。

   たとえ八百屋やおやであれ何であれ、一朝いっちょうことある時はーー


女房:【↑の語尾に喰い気味に】

   なにが一朝いっちょうことある時だよ。

   あんたはそんな呑気のんきなこと言ってるけどさ、子供をごらんよ。

   寝てる頭のとこ見ておやりよ。

   

久六:頭ァ?

   ……ぉ、なるほど…ずいぶんでこぼこになって、

   がしらみたいになっちゃってるな。


女房:がしらみたいだって…あんたのせいじゃないか。

   われてこんなになってるんだよ。

   かわいそうじゃないか。子供が可愛かわいくないのかい?


久六:いや、子供が可愛かわいくねえって事はねえよ。


女房:可愛かわいいと思ってるんならね、少しはあきないに身を入れたらいいじゃな

   いか。

   そりゃ好きな剣術を決してやっちゃいけないとは言わないけどね、

   うちがもう少し楽になって、暮らしにゆとりができたらやればいい

   じゃないか。

   剣術の先生にそう言って、断っておいでよ。


久六:お前ね…断っておいでってそう安直あんちょくに言うけどね、

   そうはいかねえんだよ。


女房:何がそうはいかないのさ。


久六:先生は俺を頼りにしてるんだな。

   弟子でしは大勢あるが、お前さんくらいすじの良い者はいない。

   もう少しみっちりやれば、免許皆伝めんきょかいでんは疑いなく取れる。

   だから一生懸命いっしょうけんめいやれと、こう言うんだな。


女房:なに言ってるんだい。

   おでん屋の店を冷やかしてるんじゃないよ。

   スジが良くたって、はんぺんが良くたってしょうがない。

   食う物を食わずにはいられないんだからさ。

   だから先生とこ行って、断っといで!

   早く行っといで!!


久六:ったく、うるせぇかかあったらねえなァおい。

   家へ帰るってェとガーガーガーガー言いやがる。

   …もっとも、無理もねえや。

   まるっきりここんとこあきないをしてねえからな。

   ぜにがねえから蚊帳かやしちに入れちまって出す事は出来ねえし…

   しょうがねえ。

   けど先生とこ行って断るとなると、入りにくいなどうも。


   ごめんください、先生!

   こんにちわ!


先生:おお、久六きゅうろく殿ではないか。

   先ほど稽古けいこを終えて戻られたはずだが、なんぞ、忘れ物かな?


久六:い、いえ…実は、先生に折り入ってお願いにあがったんで。


先生:?師弟していの間に遠慮はいらぬ。

   どういう事件が持ち上がったのだ?


久六:あ、いえ、別に事件ってぇほどのものじゃねえんです。

   …すいませんが、稽古けいこを少しの間休ましていただきてえんで。


先生:なに、稽古けいこを休む?それはけしからん。

   他の門弟もんていとくらべ、貴公きこう見所みどころがある。

   それゆえ拙者せっしゃが心を入れて稽古けいこをいたしおるのだ。

   休むような事では腕は上がらぬぞ。

   これまで同様どうよう稽古けいこいたすがよい。


久六:いえね、あっしも好きなもんですからやりてえんですけどね、

   どうにももうやっちゃいられねえんで。

   毎晩出やがって、しょうがねえんですよ。

   それの出なくなるまでは稽古けいこは断って来いと、

   かかあがこう言うわけでして。


先生:毎晩出るとは、何が出るのだ?


久六:【もごもごと】

   あぁ…へへ…その、ものがね…。


先生:なに?


久六:ばけものが出て、しょうがねえんです。


先生:もの

   ハハハ…何を言われるか。

   君子くんし怪力乱神かいりきらんしんを語らずと申すが、

   世の中にものなぞというものがありようはずがない。

   まこと、怪物かいぶつが出ると申すのか?


久六:えぇ…出るんです。


先生:何か危害を加えてくるのか?


久六:出てきて、生き血をすするんで。


先生:それは穏やかではないぞ、人の生き血を吸うというのは。

   して何か、出るのは夜半頃やはんころか?


久六:いえ、夜半って事はねえんですが、

   が暮れるてぇともう、どんどん出てくるんです。


先生:なに、一匹ではないのか?


久六:えぇ一匹じゃねえんです。もう数は分からねえくらいで。

   何百とでぇーっと出てくるんで。


先生:ふむう…いかなる形をしておるのだ?


久六:いかなる形ったって…羽があってこう、飛ぶんです。


先生:つばさあって飛翔ひしょういたすと…よほど通力つうりきを得た奴であると見える。

   で、他には?


久六:くちばしがとんがってますね。


先生:くちばし…その怪物はえでもいたすのか?


久六:別にえるって事でもありませんがね、鳴きますね。

   プ~~~ンって。


先生:プーン…?

   何か、話の様子がに似ておるな。


久六:ええ、が出るんです。


先生:なんじゃ、ならと申すがよろしい。

   怪物だのものだのと申すでない。


久六:いや、ありゃボウフラのものですよ。


先生:【苦笑しながら】

   ボウフラのものには相違そういないが、

   さようなものが出たところで、何も恐れる事はあるまい。


久六:いえ、別に恐れるってわけじゃねえんですが、

   ここんとこまるっきりあきないをなまけてるもんですから、

   うちの家計は火の車でしてね。

   蚊帳かやしちに入れちまってて出す事ができねえんで。

   そのせいでうちのガキが頭ァわれて、がしらみてえになっちまっ

   たんでさ。

   うちのかかあが言うには、これじゃしょうがねえから、先生のとこ

   行って少しのあいだ稽古けいこをお断りして、一生懸命にあきないをして、

   暮らしにゆとりが出たらまたお願いしたらいいと、こういうわけな

   んで。


先生:ふむ…、

   ならばが出ぬようになれば、稽古けいこを続けられるであろう?


久六:そりゃあもう、が出なくなれば。


先生:しからば、とっておきの法を伝授でんじゅいたそう。


久六:えっ、の出なくなる方法があるんですか?


先生:今宵こよい一戦いっせんまじえなさい。


久六:なんです、一戦いっせんまじえるてのは?


先生:と…いくさをいたす。


久六:ハハハ…先生の言う事は大袈裟おおげさだね。

   なにもいくさをするなんてほどの事は…


先生:いや、貴公きこうはものを小さく取るからいかん。

   心程こころほどるということわざがある。

   心はなるべく、おおきゅう持ちなさい。


   よいか。今宵、一戦いっせんまじえるにあたって、

   貴公きこうの家は城とみなす。

   すなわち、貴公きこう城持しろも大名だいみょうだ。


久六:城持しろも大名だいみょう!へええ、大変な事になりましたなぁ。

   うちの家が城ですか。じゃ、俺のかかあはどうなるんで?


先生:ご細君さいくんきたかた御台所みだいどころと言うな。


久六:御台所みだいどころ!たしかに台所でしょっちゅうまごまごしてますからね。

   きたかたきたかたって言うほどじゃねえ、汚ねえかただね。

   じゃあガキはなんて言うんで?


先生:ガキと言う事はない。

   ご子息しそく公達きんだち若君わかぎみとも言う。


久六:汚ねえ若君わかぎみだ、へへへ。

   きんだちってよりかはなまりだちぐらいなもんだね。


先生:まず城へ戻ったならば、大手おおて搦手からめてやぐらを開ける。


久六:ちょ、ちょいと待っておくんなさい。

   大手おおて搦手からめてやぐらって何の事で?


先生:大手おおておもて、裏口が搦手からめてだ。

   引きまど物見櫓ものみやぐら、前なるドブをほりとみなす。


久六:あぁ前のドブがおほりで。

   なるほど、城になりますね。


先生:これらを残らず開け放して軍扇ぐんせん扇子せんすを広げてを呼び寄せる。


久六:へえ、どうやるんです?


先生:やあやあ敵のめんめん々、よく聞けそうらえ。

   当城とうじょうにおいては今宵こよい蚊帳かやらんぞや、来たれや来たれ!

   と、敵をまねき入れる。


久六:そんなこと言わなくたって向こうが勝手かってに入ってきますよ。


先生:いや、入っては来るが、今宵こよい蚊帳かやらんというところで、

   敵勢てきぜいが安心してわっと押し寄せてくる。

   じゅうぶんに敵をおびき寄せておいて、大手おおて搦手からめてやぐらをぴたりと

   閉める。

   そしてすぐに合図あいずののろしを上げるのだ。


久六:え、のろしってなんです?


先生:蚊燻かいぶしをするのだ。


久六:ああ、蚊燻かいぶしがのろしですか、なるほど。


先生:周りがすべて閉め切ってあるから、逃げようとしても逃げ場がない

   。敵は右往左往うおうさおうに入り乱れて十分に苦しむ。

   そこを見計みはかららって大手おおて搦手からめてやぐらを開ける。

   大手おおてから風が入れば搦手からめて搦手からめてから風が入れば大手おおての方へ

   敵が逃げせる。

   そうしたら大手おおて搦手からめてやぐらをぴたりと閉める。

   城中じょうちゅうは一匹もおらんから、安楽あんらくに眠る事ができる。

   「けむくとも すえは寝やすき 蚊遣かやりかな」

   というがある。

   どうだ?


久六:あ、なるほど!

   じゃあをわざと入れておいて、こいつをいぶして追い出しちゃうっ

   てわけで!

   こりゃあうまいね!

   それじゃさっそく、うちに帰って支度したくを…


先生:【↑の語尾に喰い気味に】

   待ちなさい。

   一匹や二匹、落ち武者むしゃが出て参るやもしれん。

   しかし驚くには及ばぬ。

   蟷螂とうろうが斧をもって勇者に刃向はむかうがごとし。

   大将に向かって一騎打ちの勝負とはしゃらくさい。

   さような者が現れたら、かまわぬから平手ひらてでもって打ち殺しなさい。

   さすればは一匹もおらぬようになる。


久六:いやあ、こいつはどうもありがとうございます!

   じゃ、さっそく帰ってやってみますんで!


※【演者が2:1の場合は以下の部分をカットすれば話が繋がります】


女房:まったく、うちの宿六やどろくは遅いんだから…。

   おみつさん、暑いね。


おみつ:本当だね、今年の暑さはまた格別かくべつだよ。

    もひどいったらないね。


女房:まあねえ。

   それにあたしんとこなんざね、蚊帳かやしちへ入れちまってね。

   出せないんだよ。


おみつ:それじゃが大変だろ。


女房:そうなんだよ。

   子供がかわいそうでね、頭はコブだらけになっちまって…。


おみつ:そういえばお前さんとこの旦那だんな、剣術にってるんだってね。


女房:そうそう。

   おみつさんとこはいいやね。

   新内節しんないぶしが好きなんだから。

   お湯入って歌ってんだから罪がないやね。


おみつ:あんまり上手うまくもないけどね。

    調子ちょうしっぱずれもいいとこだよ。


女房:うちの宿六やどろくなんざ、あきれかえっちまうよ。

   雑巾ぞうきん親方おやかたみたいなものくっ付けやがってさ、

   道場行っちゃポカポカなぐられて月謝げっしゃを取られるんだ。

   殴られるために払いに行ってるようなもんだよ。


おみつ:それだけやられて続いてるんなら感心じゃないか。


女房:そうかねえ。

   朝起きりゃすぐにヤットウ、ヤットウ言ってさ、

   俺はヤットウにったから朝は納豆でめしを食うんだ、なんて、

   くだらないこと言ってんだよ。


おみつ:駄洒落だじゃれとしてはそれなりじゃないかい?


女房:こないだも帰ってきたと思ったらさ、おうぎを広げて持つんだ。

   何やってんだいって聞いたら、

   「どうだ、俺の身体からだすきがあるまい。」

   とか言うもんだから、すきならあるじゃないかって言ったんだ。

   そしたら、

   「何を言ってやがる、おめえに分かるもんか。俺が気合きあいもろともに

   このおうぎの中に隠れる。」

   とか言うんだ。


おみつ:何に影響されたんだろうね…。


女房:やってごらんって言ったら、

   「エイッ!どうだ見えまい!」

   とか得意とくいげに言うから、よく見えるじゃないかって言ってやったん

   だ。そしたらまたエイッ、とやるもんだから、また見えるよって

   言ってやったら、今度はおうぎで顔を隠して

   「顔が見えるか!」

   ってさ。そりゃ見えるわけないってのさ。   


おみつ:そりゃ、おうぎで隠したら見えるわけないよ。

    ひとの旦那だんな様だけどさ、…ちょいと心配だね。


女房:そしたら、「だいいち、俺をバカにしてるからそうなんだ。

   いいか、俺にすきがあったら、どこからでも打ち込んでこい。

   俺がすみやかに受ける。」

   なんて言うんだ。

   ほんっとにしゃくにさわっていまいま々しいからね、包丁ほうちょう持ってって後ろから

   頭をこつッとぶっちゃった。

   あの宿六やどろく、しかめっつらしちゃって後でおかしいやらなんやら。


おみつ:【笑いをこらえて】

    それで、どうしたんだい?


女房:それごらんな、えばったってこの通りぶたれたじゃないか。

   って言ったら、

   「ぶたれたんじゃねえ、受けたんだ。」

   なんて負けしみ言うから、

   そんなこと言ったって頭ぶたれたろ、って返してやったら、

   「頭で受けた。」

   とかぬかすんだよ?

   そんな馬鹿な話はありゃしないよ。

   …ってあ、帰ってきたよ。


おみつ:ほんとだ。

    なんだか肩で風を切って来るね。


【※演者が2:1のみの場合のカットする部分ここまで!】


久六:【重々しく】

   寄れェーい寄れィッ!


女房:?何を言ってんだい、あんた。


久六:【重々しく】

   寄れェェい寄れィッ!


女房:何が寄れ寄れだよ。あんたのおびのほうがよれよれじゃないか。

   一体何なんだい?


久六:【重々しく】

   …北のかた


女房:は?何だって?


久六:【重々しく】

   北のかた…。


女房:来たのか?

   誰も来やしないよ。


久六:来たのかじゃねえよ。

   北のかたと言うんだ。


女房:なにさ、北のかたて。


久六:おめえが今日から北のかただってんだよ。


女房:なに言ってんだい。

   北のかただって南のかただってどうだっていいよ。


久六:【重々しく】

   …公達きんだちを抱いて臥所ふしどへ下がれ。


女房:?なんの事だい?


久六:子供を抱いて次のへ下がれ。


女房:はぁ?うちは一間ひとまきりじゃないか。


久六:…台所へ下がれ。


女房:バカ言ってんじゃないよ。

   台所になんか下がれるか。


久六:【重々しく】

   今宵こよい一戦いっせんいたすゆえ、大手おおて搦手からめてやぐらを開けろ。


女房:何わけの分からない事言ってんだい。

   なんなのさ、それは。


久六:大手おおてと言うのはおもて搦手からめて裏口うらぐち、引きまど物見櫓ものみやぐらだ。

   それを開けろってんだよ。


女房:みんな開いてるじゃないか。


久六:…ふふふ、初めてのいくさだ、面食めんくらってやがんな。

   あれだ、あの…ぐ、軍扇ぐんせん持ってこい。


女房:そんなものないよ。


久六:~~きゃ何でもいい、ぁ叩けるもん持ってこい。


女房:はぁ、団扇うちわでいいかい?


久六:おう。

   【重々しく】

   やあやあ敵のやつばら、よく聞きそうらえ。

   当城とうじょうにおいては今宵こよい蚊帳かやらんぞや、来たれや来たれ!


女房:バカだねこの人は!

   みっともないじゃないか。

   蚊帳かやがないのが近所中きんじょじゅうに聞こえちまうだろ!


久六:【重々しく】

   しっ。

   蚊帳かやが無いなぞという事が敵方てきがたに知れてみろ。

   大将の計略けいりゃくも水のあわ相成あいなる。

   静かにいたせ。

   やあやあ敵のやつばら、よく聞きそうらえィ!

   当城とうじょうにおいては今宵こよい蚊帳かやをーー

   【普通に】

   おおっ、入って来やがった来やがった!

   【頬か額のどこかを叩く】

   っと、顔にぶつかりやがった。

   【重々しく】

   うむ、もうよかろう。

   北のかた大手おおて搦手からめてやぐらを閉めるのだ!


女房:まだ閉めるには早い刻限こくげんだろ。


久六:早くたっていいんだよ!

   いいから早く閉めろ閉めろ!


女房:わ、わかったよ…。


久六:閉めたか?

   よし、のろしをもて。   


女房:なんだい、のろしって。


久六:蚊燻かいぶしだよ!

   早く持ってこい、早く!


女房:もう、なんなんだい。

   …はい。


久六:よしよし、これからこいつで…

   へへ、俺の計略けいりゃくに当たったりという奴だ。

   こうしてのろしを上げてやれば…!

   【バタバタ扇いでいる】


   ほぅら見ろ見ろ!どうだ!

   敵のやつばらが右往左往うおうさおうしていっげほっ、ごほっごほっごほっ!!

   敵のめんめっごほっ、ごほっごほっごほっ!!


女房:ごほっごほっ、げほっ、げーほげほげほっ!!!

   じょ、冗談じゃないよ!

   こ、こっちの方が、げほげほ、苦しいよッ!

   あぁあぁ坊や、泣くんじゃないよ。

   おとっつぁん、気が違っちゃったんだよ。


   あんた、何バカなことしてるんだい!

   家じゅうしちまって!

   あたしらまで殺す気かい!?


久六:うっげほっげほっ、げーほげほげほげほッッッ!!!

   こ、これはとてもたまらん、大手おおて搦手からめてやぐらを開けろ!


女房:あ、開けていいかい!?


久六:あ、ああ、開けろ開けろ!早く!


   【二拍】


   っはぁぁ、これはどうも、だいぶ体を張った計略けいりゃくだ。

   おおお、搦手からめてから風が入って大手おおてから敵が逃げせるぞ。

   【重々しく】

   やあやあ、敵に後ろを見せるは卑怯ひきょうなり!

   しっかりいたせ!


女房:何を言ってるんだい。

   逃げたを呼び返す奴があるもんか。


久六:あぁもうよかろう。

   よし、大手おおて搦手からめてやぐらを閉めろ。


女房:なんだい忙しいね。


久六:いいから、早く閉めろ早く。

   閉めたか?


女房:閉めたよ。


久六:よし、じゃあこっち来い。


女房:今度はなんなのさ、まったく。

   なに?


久六:…驚いたろ。


女房:何がさ?


久六:こうしておけば城中じょうちゅうは一匹も残らんから、

   安楽あんらくに寝る事ができる。

   昔からのたとえにもな、

   「眠くとも のちは寝やすき 蚊遣かやりかな」

   と言うのだ。

   なんと良い計略けいりゃくでござろう。


女房:何言ってるんだい。

   眠くとも、てのがあるかい。

   けむくともだろ。


久六:ぁ、そうか。

   まぁ、どっちだっていいや、早く寝ろ。


女房:早く寝ろって、お前さんは寝ないのかい?


久六:【重々しく】

   大将は夜討ようちをかけられていかん。

   今宵こよいずのばんだ。


女房:なに言ってるんだい。

   ずのばんなんかどうだっていいから、早くおよ。


久六:そうはいかん…うん?


【※蚊が飛んでくる音:SEもしくは演者の誰かが演じてください】


   おい、どこにとまった?


女房:お前さんのひたいの真ん中。


久六:む、っ!。

   【実際に額か、手を叩く】

   …ふふふ、落ち武者の分際ぶんざいで大将へ一騎討いっきうちの勝負とは

   しゃらくさい。

   蟷螂とうろうが斧をもって勇者に刃向はむかうがごとし。

   しかし敵ながらあっぱれな奴。

   北のかた死骸しがいを取り片づけよ。


女房:なんであたしが…。


【※蚊が飛んでくる音:SEもしくは演者の誰かが演じてください】


久六:また来やがったよ…っ!

   【実際に身体のどこかを叩く…以降、【叩く】で表記】

   今度は雑兵ぞうひょうか。しま股引ももひきいてる。

   雑兵の分際で大将へ一騎討ちの勝負とはしゃらくさい。

   蟷螂とうろうが斧をもって勇者に刃向はむかうがごとし。

   北のかた死骸しがいを取りーーっ!【叩く】

   落ち武者の分際ぶんざいで大将へーーッ!【叩く】

   蟷螂とうろうが斧をもってーーっ【叩く】

   【↓はしゃべりながら何回か叩く】

   勇者に刃向はむかうがごとしでーーってこれはいかん!

   ああぁ大変だ、北のかた、とてもかなわん。


   城をわたそう。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


三遊亭圓生(六代目)



※用語解説


・ヤットウ

剣術の稽古で「ヤッ!」「とう!」という掛声を繰り返す事から剣術の事

を指すようになった。


蚊燻かいぶし、蚊遣かや

原料は(かや)の木の鉋屑かんなくず

下町の裏長屋の住人にとって、蚊との戦いはまさに命がけ。

ジョチュウギクを用いた昔懐かしい渦巻き型の蚊取り線香は、

もう次第に姿を消しつつありますが、大正中期に製品化されたもの。


蚊帳かや

蚊の侵入を防ぎながら空気の通りを妨げない物として、窓に網戸、屋内で

蚊帳がある。いずれも目が1mm程度の細かな網を蚊の侵入方向に

張り巡らせて侵入を防ぐものであり、人間の寝所等の周りに吊るして防御

するものが蚊帳、それがさらに発展して窓に網を張って家全体への侵入を

防ぐものとして生まれたのが網戸である。

中国から伝来したもので、当初貴族などが用いていたが、江戸時代には

庶民にも広く普及した。

行商人が独特の掛け声で売り歩く光景は江戸に夏を知らせる風物詩と

なっていた。

現在でも蚊帳は全世界で使用されており、野外や熱帯地方で活動する場合

には必需品であり、大半の野外用のテントにはモスキート・ネットが付属

している。また軍需品として米軍はじめ各国軍に採用されており、

旧日本軍も軍用蚊帳を装備していた。

現在は蚊が媒介するマラリア、デング熱、黄熱病、および各種の脳炎に

対する、安価で効果的な防護策として注目されている。


心程こころほどの世を

人は心の持ち方一つでそれに応じた境遇が与えられ、

それにふさわしい一生を送るようになることを指す言葉。

似ている意味のことわざに、心柄こころがらの世をる、

というのがある。


がしら

他のサトイモほどぬめりがなく、比較的調理しやすい。

加熱するとホクホクとした食感がある。

里芋の品種の一つ。種芋からほとんど同大の親芋を生じ、

両者合せて7~9個が癒合して直径10cmほどの塊となる。

その形状から、八頭とか九面芋と呼ばれるようになった。


・北のかた

公卿・大名など、身分の高い人の妻を敬っていう言葉。

北の御方(おんかた)。北の台。


御台所みだいどころ

大臣・将軍家など貴人の妻に対して用いられた呼称で、奥方様の意。


公達きんだち

本来は諸王のことを指すが、後代には臣籍にある諸王の子弟や、

摂家・清華家などの子弟・子女に対する呼称として用いられた。


大手おおて

大手門。日本の城郭における内部二の丸または、三の丸などの曲輪へ

通じる大手虎口に設けられた城門。正門にあたる。


搦手からめて

大手門に対して背面の門。

有事の際には、領主などはここから城外や外郭へ逃げられるように

なっていた。建物自体は小型で狭く、目立たない仕様であることも

少なくなく、小型の冠木門を建てるのみということもあったというが、

きわめて厳重で大手門などの大きな虎口に比べて少人数で警備できるよう

に設計してあった。


やぐら

櫓門は門の上に櫓を設けられた、特に城に構えられる門の総称。

二階門とも呼ばれる。

長屋の台所になる部分の屋根に、明かり取りと煙出しのために引き窓が

設置されており、それを櫓に見立てている。


・落ち武者

戦国時代の負け戦において敗者として生き延び、逃亡する武士。

落人(おちうど、おちゅうど)とも呼ばれる。

敵国からは懸賞をかけられ、農民たちに殺されたり所持品を略奪されたり

する、落ち武者狩りの対象とされた。

戦場からの離脱中以外にも、亡命状態の者も落人と呼ぶ。

有名なものに平家の落人があり、落ち延びた先の山間部などに集落を作っ

た例もある。


臥所ふしど

寝る所。寝所。寝床と同じ意味。


新内節しんないぶし

浄瑠璃(じょうるり)の一種。

鶴賀(つるが)新内が始めたもので、心中(しんじゅう)物などを題材とし、

哀調の中に華やかさがあるのが特徴。




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