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1話

浅草の道場は、観光地の賑わいから少し離れた場所にあった。

古びた木造の建物は、歴史を感じさせる佇まいだったが、その内側からは熱気と歓声が漏れていた。


「ここが…サンシャインスターズの道場…」


長い黒髪をリボンで一纏めにした少女――霧島のぞみは息を呑んだ。

幼い頃から夢見ていたプロレスの世界が、目の前に広がっているのだ。

浅草道場の木造の扉を押し開けると、道場内にはぶつかり合う音と掛け声が響いていた。

汗と熱気が満ちたその空間に、一瞬気圧されながらものぞみは道場のドアを勢いよく開け足を踏み入れる。


「霧島のぞみ 18歳 プロレスラーになりにきました!」


◇ ◇ ◇


堂々の名乗りを上げ、道場中の人から注目を浴びるのぞみ。

そこへ、1人のジャージ姿の女性が近付く。


「あ、あの…。私…」


「入門希望か?」


黒髪をきちんとまとめたその姿には威厳があり、目つきは鋭い。


「は、はい!私、プロレスラーになりたいんです!」


勢いよく頭を下げるのぞみ。その声に、道場内の他の選手たちが再び注目する。


「ふん、プロレスラーになりたい、か。で、お前は何ができる?」


「何でもやります!体力には自信があるし、気持ちでは誰にも負けません!」


「その気持ちだけでどうにかなるほど、この世界は甘くないぞ。」


女性は腕を組み、のぞみを値踏みするようにじっと見つめた。


「名前は?」


「霧島のぞみです!」


「私は天野美智子。サンシャインスターズの社長だ。まあ、いいだろう。試験をしてやる。覚悟はあるか?」


「はい!」


「なら午後からやってやる。少し待ってろ。」


天野はそう言うと、道場の奥へ消えた。


午後、道場に集められたのぞみの前に天野が戻ってくる。その隣には一人の女性がいた。長い黒髪に端正な顔立ち、モデルのようなスラリとした体型。彼女は静かにのぞみを見つめていた。


「彼女は早瀬さやか。うちの練習生だ。

今からお前の試験のサポートをしてもらう」


「早瀬さやかです。よろしく。」


さやかは小さく頭を下げる。


「霧島のぞみです!よろしくお願いします!」


「ふーん。まあ、頑張ってね。」


さやかの淡々とした言葉に、のぞみは少し緊張した。天野が腕を叩いて試験開始を告げる。


「いいか。試験はシンプルだが、体力と根性を見る。まずは腹筋500回だ。」


「えっ!?」


「驚く暇があったらやれ。さやか、支え役と回数のカウントを頼む。」


「了解です。」


さやかがのぞみの前にしゃがみ込み、足をしっかりと押さえる。


「準備は?大丈夫?」


「…はい!」


「じゃあ始めるよ。スタート。」


さやかが冷静にカウントを始め、のぞみは腹筋を上げ下げする。


「1、2、3…」


最初はスムーズに進んだ。だが100回を超えたあたりで、のぞみの顔に苦痛の色が浮かび始める。


「ふ、ふっ…!」


「まだまだいけるでしょ。ほら、もっと体を起こして。」


「は、はい!」


さやかの指示に従い、必死に動きを続けるのぞみ。しかし200回を超えると、動きが鈍くなる。


「ほら、止まるな。まだ全然いけるよ。」


さやかの声に、のぞみは歯を食いしばった。


「くっ…まだ…!」


腹筋を終えた後、次々と試験は続く。スクワット、ランニング、体力を試すメニューが容赦なく与えられる。


「次はジャンプ50回。リングの端から端まで、全力でな。」


天野の指示に、のぞみはぐったりとした体を動かして従う。


「ふん、まだ動けるみたいだな。」


さやかは腕を組みながら、軽く笑う。


「私のときも同じことやらされたからね。でも、霧島さん。あなた意外と根性あるね。」


「…まだ終わりじゃ、ないですよね?」


「まあね。」


最後に天野が告げたのは、腕立て伏せだった。


「腕立て50回。これで終わりだ。だが、ただの腕立てじゃないぞ。フォームを崩したら最初からやり直しだ。」


のぞみは汗を滴らせながら、うなずく。


「…わかりました!」


のぞみは腕立て伏せの姿勢を取り、額に浮かぶ汗を手の甲で拭った。これまでの試験で体力は限界を迎えつつあったが、最後の種目だという天野の言葉がかろうじて彼女を支えていた。


「最後だ、腕立て伏せ50回。だが、ただの腕立てじゃない。フォームを崩したら最初からだ。」


天野の冷たい声が響く。さやかがのぞみのそばにしゃがみ込み、鋭い目でフォームを確認している。


「やれるの?」


さやかの一言に、のぞみは小さく息をつきながら、ぐっと目を見開いた。


「…やります!絶対にやります!」


「じゃあ始めるよ。スタート。」


さやかがカウントを始めた。


「1、2、3…」


最初の10回は問題なかった。体を沈めては押し上げる動作がスムーズに繰り返される。だが、すでに体力を使い果たしているのぞみの腕は、20回を過ぎたあたりで小刻みに震え始めた。


「ふ…くっ…!」


のぞみは必死に体を動かし続ける。だが、30回を超えたあたりで腕が完全に悲鳴を上げた。顔から汗がぽたぽたと落ち、息は乱れ、視界も霞み始める。


「まだまだ。フォームが崩れてる。肘を伸ばして。」


さやかが冷たく指摘する。その声はまるでナイフのように刺さる。のぞみは力を振り絞るが、動きが止まりかける。


「…私は…!」


手が崩れかけた瞬間、のぞみの頭にふと、幼い頃に観たリングの光景がよみがえった。


「…諦めない…!」


のぞみは顔を上げた。額から汗が顎を伝い、床に滴り落ちる。目には再び決意の炎が灯っていた。


「絶対…プロレスラーになるんだ!」


声に出した瞬間、体に残っていた力が一気に湧き上がった。腕を押し、沈め、押し上げる――動作を繰り返すたび、全身が叫ぶように痛んだ。


「44…45…」


さやかのカウントが耳に響く。それがどれだけ遠く感じたことか。それでものぞみは、ただ前に進むだけだった。


「46…47…!」


腕が震え、汗が床に落ちるたび、のぞみの心は「まだやれる」と叫んでいた。


「…私は…負けない!」


「48…49…ラスト!」


さやかが叫ぶ。それを聞いたのぞみは、最後の力を振り絞り、体を押し上げた。


「50!」


さやかの声とともに、のぞみはその場に崩れ落ちた。腕はもう動かず、床に伏したまま肩で息をしていた。


「…終わった…?」


「終わった。」


天野の声が冷静に響く。


「よくやったな。この根性なら合格だ。お前は今日からサンシャインスターズの一員だ。」


その言葉に、のぞみは目に涙を浮かべながら小さく答えた。


「ありがとうございます…!」


天野はのぞみを一瞥し、さやかに目をやる。


「さやか。のぞみはお前とこれからタッグを組むことになる。あとは任せたぞ。」


「了解しました。」


さやかがのぞみに手を差し伸べる。その手を握り、立ち上がるのぞみ。汗でびっしょりの手のひらは、さやかのそれとはまるで違う感触だったが、どこか温かかった。


「お疲れさま。根性はあるみたいね。」


「ありがとうございます…!」


さやかは一瞬だけ微笑みを浮かべると、ふっと顔を戻した。


「でも、まだ練習の方が何倍もきついからね。今日の試験なんて序の口だよ。」


さやかの言葉に、のぞみは息をつきながらも力強くうなずいた。


「どんな練習でも、やってみせます!」


さやかはその言葉に満足したように頷き、天野の指示でのぞみを寮へ案内するために歩き出した。


道場を出ると、夕暮れの中で二人の影が長く伸びていた。

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