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恋はいつも幻のように

 すべてが同時に起こっているわけだ。同時多発的に、きみの左側だろうが、ニューヨークの下水道だろうが、月の裏側だろうが、銀河系の外だろうが、とにかく想像をしてみようと試みるだけで頭がおかしくなりそうなくらいに膨大な事象が、あらゆるところで、あらゆるレベルで、あらゆる次元で、存在している。

 だとすれば、だ。あの瞬間の山田ダチトと、あの瞬間の白石つぐみが、あの瞬間に、交わした言葉、聞き取れなかった言葉、合わせた視線、合わなかった視線、読み取った心象、読み取れなかった表情、山田ダチトと白石つぐみの現時点での最後の最接近時に起きた現象すべてが、まさに今、たった今、どこかで存在しているとしたってなにも不思議ではないわけだ。

 それは少なくともひとりの少年にとって、もっとも大切になる瞬間の記憶だ。

 鮮やかな緑、ビリジアン、エボニー、眩しいほどの白、オイスターホワイト、サンドベージュ、灰色、薄青、群青、ウルトラマリン……印象派の風景に溶け込んだ少女、白石つぐみ。

 決して大きくはないが表情は豊かな目。左目の左下に二つ、小さなほくろ。少し下向きの鼻翼。笑うと目立つ犬歯。えくぼ。

 その瞬間は過ぎ去ってはいない。まさに今、たった今がその瞬間なのだ。その瞬間は永遠に過ぎ去りはしないのだ。

 この場所……恋愛内陸においては。



 帰り道は藤田たもつのとろとろ運転もほとんど気にならなかった。ふたりとも言葉少なだった。なにかに打ちのめされていた。そんなことはよくあることだ。打ちのめされて、このまま二度と立ち上がれないかもしれない、それくらい打ちのめされたとしても、実はその瞬間からもぞもぞと蠢きはじめているものだ。自覚的であれ無自覚であれ、そんな悲劇性のない内陸的な死と歓びのない内陸的な生を、繰り返し、繰り返し、律動しているのだ。いつか生命としての死を迎えるそのときまで。

 こんな時、山田ダチトが考えることは決まっていた。それはこんな無意識下の妄想だった。山田ダチトの視界と脳に同期している特別なカメラが山田ダチトの周りを飛んでいて、見ている風景、感じていること、山田ダチト自身も見落としていることなどを捉える。そこで撮られた映像は遠く離れた、あるいはすごく近いどこかにある、特別なモニタに出力され、それを観ているのが、白石つぐみだと言うわけだ。

 白石つぐみがその映像をどんな感情で観ているのかまでは山田ダチトにはわからない。そこまで踏み込むことはできない。妄想だからと言ってすべてを都合良く仕立てると、しらけてしまう。だから、演じる。視界に捉えるものを意識的に選別する。地名が入っている看板などはフレームから外す。白石つぐみに、ここはどこなのだろう? と興味を持ってほしいからだ。

 脳内で流す音楽にもこだわる。山田ダチトが通常好んでいる速くてうるさい音楽ではなく、ビートの効いたチルアウトっぽい曲、かつ白石つぐみが知らないであろう曲を選ぶ。白石つぐみに都会的でオシャレだと思ってほしいからだ。

 センチメンタルでロマンチックでハイセンス、そんな映像を白石つぐみに届けたくて、山田ダチトは頑張るのだ。この脳内活動が終わるころには、山田ダチトの打ちのめされたダメージはだいぶ和らいでいる。それを脳は経験上よく知っているので、積極的にこの妄想を促す。山田ダチトは癒やされる。たとえ幻の中であっても、白石つぐみと繋がっているという事実に。


 藤田たもつが錦ハイムの前に車を止めた。山田ダチトが礼を言って車を降りようとした時だった。

「山田さん、今夜飲みにいきませんか」藤田たもつがためらいがちに言った。

「なんだ、奢ってくれんのか」

「ええまあ……だって山田さんお金ないでしょう」

「そりゃそうだけど」山田ダチトはなんとなくたじろいで言った。「一体どういう風の吹き回しだよ」

「わかるでしょう」藤田たもつが声を絞り出すように言った。「わかりませんか? 今夜は飲みたい……飲まずにはいられないんですよ」

「わかる。わからいでか、たもつ。だがな……おれは傷の舐め合いはごめんだぜ。どうせ飲むんだったら、今夜ことを起こす。それくらいの気概でもって挑んでもらわんと困る」

「ことを起こす……ですか」藤田たもつがにやりと笑った。「いいですね、それ。乗りましたよ」

「風、巻き起こしてやろうぜ」そう言って山田ダチトはドアをバーンと閉めた。藤田たもつが後で迎えにくると言って、走り去った。

 だいたい夕方くらいだった。さすがに飲むには早すぎる。藤田たもつも日が明るいうちにはさすがに来ないだろう。そう踏んで、山田ダチトはちょっとその辺をブラブラすることにした。

 山田ダチトがこの街に居着いたのはまだ少年と言ってもいい年頃だった。すでに故郷よりも長くここにいることになる。ロカビリー連中、ハードコア連中とよく揉めた。よく飲んだりもした。ほとんどのやつらがどこかに消え去った。なにも言わず、どこかに。

「ことを起こす、か」

 山田ダチトがよく使っていた言葉だった。最近はあまり口にしなくなっていた言葉だった。具体的な提案はなにもないが、とにかく景気よくいきたい時に使っていた言葉だった。

 なぜかはわからないが、山田ダチトは急に人を殴りたくなった。殴っても罪に問われなさそうなやつらばかりがそこらじゅうを歩いている気がした。囲まれている気がした。片っ端からぶん殴ってやりたい。どいつもこいつも。

 こりゃいかん、そう思って錦ハイムに急いで帰った。はやくたもつ来ないかなー、そう思った。

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