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好き好き大好き

 言葉に求められたのは正確性だったはずだ。意味を逃さず、牢屋に閉じ込めて、かちっと定義する。そういった役割を求められ、登場したはずだったのだ。

 だが言葉はその期待を裏切り続けた。言葉は驚くほど、貪欲で、いい加減で、日和見で、多情で、淫乱だった。目の前のものすべてに食らいつき、あらゆるものごとを曖昧にした。雑な情交を繰り返し、仲間を増やし続けた。

 例の塔の一件よりも以前から、すでにこんな有様だったのだ。現在の、混沌そのものと言える状況は、すべて言葉の不誠実さ、不正確さが招いた結果だと断じてなにも問題はあるまい。

 立て板に水のように言葉を操るやつらには最大限の注意を払っておけ。なぜなら連中は言葉の構造的欠陥を熟知し、その欠陥を最大限利用して、知性ではなく感性に訴えかける。悔しいが効果はてきめんだ。皆、知らず知らずのうちに凡庸な悪に染まってゆく。そんな風景をきみはずっと見てきたはずだ。

 耳を貸すべきではない。やつらにつけたチェックを外すべき時がきたのだ。耳を貸すべきではない。もはや目撃に値するものはそこにはない。

 恋だ。恋がいい。赤い恋ならなおいい。熱い恋なら最高だ。

 恋だ。恋がしたい。何度でも訪れる最後の奇跡。その一瞬に懸けてみるべき価値は十分にある。



「本当に気持ちはすごく嬉しいんだよ? これは本当。本心です。まずこれが前提としてあります」みほが山田ダチトと藤田たもつを諭すように言った。「でも三人で行くってのはなんか違うんじゃないかな……って、そう思うんだけど。だってこれはやっぱりわたしとミツの問題なわけで。山田さんもたもつさんもミツのことなにも知らないでしょ? むしろ喧嘩しそうになってたわけだし。気を悪くしないでほしいんだけど、正直なところ迷惑って言うか……まあ、迷惑なんだよね」

「なんと!?」山田ダチトが面食らった。「ううむ……そうくるか。たもつはどう思うんだ」

「冷静に考えてみれば、みほさんの言う通りかと」

「でもよ」山田ダチトが食い下がった。「相手は抜き身の妖刀村正だぞ。みほひとりじゃ切り刻まれて四肢断裂の首ちょんぱがオチだぜ」

「ご心配なく」みほが自信たっぷりに言った。「わたし、この手の事件のプロだから」

「なんだと?」山田ダチトが面食らった。「みほ、おまえ何者だ!?」

「ヴァンパイアハンター……」藤田たもつが独り言のように呟いた。「まさか本当にお目にかかれるとはね……」

「知っているのか、たもつ……!?」山田ダチトが面食らった。

「ええ……先ほどの手負いの獣のような地響きのようなヴヴォオオオって咆哮……あれを聞いてピンときましたよ。ああ、これは人間じゃないな、絶対に人間じゃないな、人間じゃないってことは、つまり……ヴァンパイアだな……ってね」

「適当言わないでよ」みほが即座に異議を唱えた。「ミツはれっきとした人間です。世界で数人しかいないウルトラヴォーカルの持ち主なだけ。つまり喉に超大型のスピーカーが仕込まれているようなものと思ってくれて構わない。でも特別な才能の代償なのかな、ミツの精神はちょっと……いいえ、かなり不安定。少しでも傷ついたりすると、とんでもない大声で泣き出しちゃうの」

「じゃあ、さっきのは……」山田ダチトが藤田たもつをつねりながら言った。

「ええ、ミツが泣き出しちゃったの。いつもはあんなに大きな声で泣かないんだけどね。今日のはちょっと効いちゃったみたい。わたしが迂闊でした。でもきっと起きるべくして起きたこと。なぜならわたしはずっとミツのこと、みつなりだと思ってたから。今だってそう。わたしの頭の中から、みつなりを消そうとしても上手くいかないの」

「面倒くせえな」山田ダチトが鬱陶しそうに言った。「おまえら好き合ってんだろ。お互いを信じてるんだろ。名前を間違えたくらいどうでもいいことじゃねえか」

「うん、ミツはすごく面倒くさいやつ」少しはにかみながらみほが言った。「わがままだし、束縛は強いし、人をすぐ見下すし、店員に偉そうな態度をとるし、金銭感覚は壊滅的だし、いくら止めてほしいって言っても、ヘイトスピーチはするしね」

「端的に言って、いいところがまったくない気がするのですが」と、藤田たもつ。

「そうなの。でもね……」みほがいたずらっぽく笑って言った。「好きなの。どうしようもなくミツのことが。ミツがわたしの前から消え去ったら、たぶんわたしの血は凍ってそのまま死んじゃうの。ミツがわたしのことを嫌いになったら、たぶんわたしはミツをその場で殺しちゃうの」


 恋は病気だ。れっきとした疾病だ。十分に熱した鉄板の上で、チャチャチャを素足で踊るようなものだ。だが恋に陥った人間の表情は、時に息を呑むほど美しい。はっきり言ってかなりそそるものがある。だからといって軽い気持ちで手を出してはいけない。やつらはかなり凶暴だ。繁殖期のマムシにちょっかいかけてみるといい。つまりはそういうことだ。


「最後に教えてくれ」山田ダチトがみほに向けて言った。「おまえ、この手の事件のプロ、とか言ってたよな。ありゃどういう意味だ?」

「ああ、あれ? あれはね、なんとなくそういう雰囲気になってたから言ってみたの。劇的効果ってやつかな」

 そう言ってみほはクスクス笑った。

「なるほどな」

「でもある意味間違ってないかもね。ミツのことはわたししか慰めることできないし」

「そりゃそうだ」

「なんか山田さん、返事適当になってない? たもつさんはあからさまに時間気にしだしてるし!」

「いや駐車料金のことが気になって……」藤田たもつがそわそわしながら言った。

「まあいいや。じゃあ、わたし行くから。山田さん、たもつさん、なんかありがとね」

「ミツに伝えとけ」山田ダチトが言った。「おれの前でヘイトスピーチかましたらぶち殺すぞってな」

「あはは、うんわかった、ちゃんと言っておきます。……じゃあね!」

「みほ、死ぬんじゃねえぞ! 殺すんじゃねえぞ!」

 みほは一度だけ振り返り、ちぎれるように手を振って、そのままどこかに駆けていった。


「行っちゃいましたね……」藤田たもつが言った。

「ああ……なんつうかよ、こうやっておまえと二人になってみるとよ……」

「山田さん、それ以上はいけない! 口に出したらもっと辛くなります!」

「うるせえ、言わせろ! なんだよこれ、めちゃくちゃ寂しいぞ! それになんか悲しいぞ……。なあ、たもつ、おれはどうしちまったんだ……? なんだよこれ、なんなんだよこれは、一体よお!?」

「喪失と羨望のミックス状態といったところでしょうか……」藤田たもつが深いため息をついた。「我々は安易に近づき過ぎたんですよ。……恋ってやつにね」

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