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どうしようもない恋の唄

 オーケイ。どこから始めようか、この最高にいかれた物語を。

 詳細な記憶は定かではないが、このような書き出しではじまる小説がある。実際に、この国のどこかにある。

 これは人類が到達した最悪の書き出しのひとつだ。まともな人間ならばこの時点で吐き気を催して読むのをすぐに止めるはずだ。精神衛生に差し障りがあること間違いなしだからだ。

 たぶん暴力的な男が登場して、くそったれ、ぶち殺してやる、この売女、ファックしようぜ、てめえのおふくろのケツの穴、等々の言葉が飛び交う中、人がたくさん死ぬだろう。少なくとも五人は死ぬ。それも丸めたティッシュをくずかごに放り投げるようにあっさりと。そんな感じがクールだと思い込んでいるのだ。

 おそらくその物語はいかれていない。いかれた物語がこのような書き出しではじまるわけがない。いかれた物語が冒頭で、私はいかれた物語です、なんて自己申告するだろうか? いかれた物語を書いてやろうと興奮しているやつがいかれた物語を紡げるものだろうか? 

 作者は今でもどこかで気の利いた書き出しを書いてやったと悦に入っていることだろう。自分がどれだけの糞爆弾をまき散らしたのかも知らずに。それがどれほどの害悪であるかも気づかずに。素直な中学生あたりが汚染されてしまったら、どう落とし前をつけるつもりだったのだろうか。本当に嘆かわしいことだ。

 ひとつ断言できることがある。

 こういうやつには決して白石つぐみは笑いかけてくれない。

 決して。



「なにしてくれてるんですか!」

 めがねを曇らせた藤田たもつがぷりぷり怒りながら言った。なだらかな肩が上下し、濡れそぼった前髪が額にぺたっと貼り付き、そこからとめどなく汗が流れ落ちた。

「いきなりあんなこと……犯罪ですよ、犯罪! 下手すれば逮捕案件ですよ」

 山田ダチトと藤田たもつはどこかの有料駐車場に逃げてきて、通りからは丸見えだったものの、誰かの車の陰で一応隠れているのだった。

「たもつってさー」山田ダチトがタバコに火をつけながら言った。「いつもかけっこびりっけつだったろ」

「えっ」藤田たもつは虚を突かれたような顔をした。「そんなこと、どうでもいいじゃないですか」

「おれもなんだよ」山田ダチトが煙を吐き出し言った。「ガキのころは運動もなにもかもからっきしでよ、おまけに地域で一番の貧乏な家に生まれてよ。とことんいじめ抜かれてよ」

「ええ? 全然想像つかないですよ、それ」

「だろうな。おれもそうだもん。あの頃のおれといまのおれがどう繋がってるのかよくわからねえよ。でもよ、ああいう笑い方する連中を見るとよ、おれの中にいるちっちゃいおれが泣き出すんだよ。痛い痛い、誰か助けてってよ」

「山田さん……」

「そんな時でもよ、あいつは笑ってくれたんだよ。嗤うじゃなくてよ。この違いわかるかよ、たもつ。こんなおれによ、ちゃんとまっすぐ笑いかけてくれたんだよ。なんのてらいもないその笑顔がよ、そりゃあもう眩しくてなあ……。でもよ、身分の違いってあるじゃん? いや今から考えるとよ、あいつんちは普通の漁師で、身分の違いもクソもあるかいって感じだけどよ、あの頃はそう思い込んじまってたんだよ。だからだよ……たもつ、おれ今きづいた! だからなんだよ、おれがあいつのことずっと忘れてたのはよ! あいつの優しさが恐れ多くてよ、もったいなさすぎてよ、おれ、あいつを避けてたんだよ、逃げてたんだよ、おれは! 礼も言わずによぉ……それどころか唾ひっかけたりしてよぉ……しょんべんかけたこともあったよ……最低過ぎるよな……ひっ、ひっ、なあ……たもつよぉ……おれってさ……なんか……かわいそ過ぎねえか……?」

「ちょっとちょっと山田さん、なんで泣いてるんですか? なんの話をしてるんですか?」

 突然の山田ダチトの涙に藤田たもつが混乱しているその時だった。

「見つけたぞコラ!」

「ねーえー、ミツ、やめなよー、相手にしない方がいいって」

 ラーメン屋の二人組が登場した。ミツと呼ばれた男はやる気まんまんで、鼻息も荒くふんふん言っている。女の方はそんなミツにちょっとうんざりといった感じだった。

「おっさん、さっきはよくも恥をかかせてくれたよな」

「ひぐっ、なんだよ、おまえら。ひぐっ、たもつ知ってる?」しゃくりあげながら山田ダチトが言った。

「いやっ、知っているというか知らないというか……」藤田たもつが言った。

「うわ、なんか泣いてる!」山田ダチトを指さしながらミツが言った。「なに泣いてんだおっさん、きも! うーわっ、きも! まじできもい! うわ、さぶ! きも! え、え、まじきもいんですけど。さっぶ! きんも!」

「なんだおまえ、まともにしゃべれねえのか」山田ダチトが涙を拭いながら言った。

「ミツー、もういいじゃん、行こうよ、やめた方がいいってー」ミツの腕を引っ張りながら女が言った。

「わかった、おまえ名前みつおだろ!」泣き止んだ山田ダチトが言った。「人間だものってか? あ? 作務衣着てよ、筆でしたためるんだろ? いきなりかみのけつかまれたら、びびっておしっこもらしちゃう、にんげんだもの、ってよ? なあ?」

「ちげーし! みつおじゃねーし! みつなりだし!」なぜか女の方が怒って言った。

「みつなり? 名字は石田か。石田みつなり……? たもつ、石田みつなりって誰だっけ?」山田ダチトが藤田たもつに訊いた。「詳しく話すと長くなりますが」藤田たもつが言う。「じゃあいいや」山田ダチトが言った。

「みほ……違うよ……」ミツが肩を落として言った。「おれ、みつなりじゃないよ……みつあきだよ……」

「ごめーん! まじでごめーん! いっつもミツって呼んでたから……ほんっとごめん……わたしどうかしてた……ミツ、ごめんね? ごめんね?」みほと呼ばれた女がやっちゃったという顔をしてからなだめるように言った。

「大丈夫。気にしてないから……大丈夫だから。みほ……だからよ……大丈夫だっ、つってんだろうがよ!!」

 すっかりしょげてしまったと思ったみつあきが、突然大声を出してみほの手を振りほどいて走り去ってしまったものだから、残りの三人はとても驚いた。特にみほは一瞬なにが起こったのかわからなかったらしく身動きがとれないでいたが、しばらくするとしゃがみ込んでしくしく泣き出したのだった。

「おいたもつ、どうするよ……?」

「私に訊かれてもどうしていいのかわかりませんよ」

「これって、やっぱりおれのせいかな?」

「うーん、微妙ですね……」

 山田ダチトと藤田たもつはすっかり困ってしまって、顔を見合わせることしきりであった。

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