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ま、ちょっくらぶちこんでくるわ

 驚いたことがある。去年の職業野球ドラフト会議にて、山田ダチトが全指名選手中最後に指名されていたことが発覚したのだ。指名したのは近年低迷にあえぐハンマーシックルズで、奇しくも山田ダチトの贔屓球団であった。


 そのことを山田ダチトが知ったのは、なんとリーグ開幕戦当日、つまりは今日のことだ。腑に落ちないながらも部屋を飛び出し、契約とかよくわからないものはすっ飛ばして、対戦相手であるエンパイアズのホーム球場、エンパイアフィールドに山田ダチトが到着したのはすでに試合も中盤に差し掛かっていた頃だった。

 ルーキーながらチーム最年長選手となった山田ダチトは、若干の居心地の悪さを感じつつも、ベンチのど真ん中に陣取り腕を組み眉間にしわを寄せていた。はっきり言って、なにをしていいのかさっぱりわからなかったのである。そんな山田ダチトの隣に、たったいま惨めな三球三振を喫してきた若手の有望株、小園が腰を下ろした。ちなみに、昨シーズン球場で山田ダチトが一番野次を飛ばした選手がこいつであった。


「いやあ、すごく球速いです」そう言って、小園は山田ダチトにへらへらと笑いかけた。「打てないですよ、あれはさすがに」

「うむ」なにがさすがにだこの野郎、と内心思いながら山田ダチトが応じた。「調子良さそうだもんな菅原」

 確かにエンパイアズのタフな主戦級投手、菅原のピッチングは手をつけられないほどだった。余裕しゃくしゃく鼻歌まじりにテンポ良く、コースもきっちり、多彩な球種をちぎっては投げ、ちぎっては投げ。タイミングも決め球も絞れないでいるハンマーシックルズ打線を手玉にとっていた。

「しかしおまえ」山田ダチトが小園をじっと見る。「近くで見ると、どえらい体してるな」

「そうですかぁ?」小園がまんざらでもない声を出した。「山田さんだってなかなかのものですよ」

 そんな訳がなかった。職業野球選手としては細身に見える小園でも、山田ダチトと比べればゴーヤーとスナップエンドウぐらいの差がある。

「バッティングもすごいじゃないですか。打撃練習みて、すごいな、センスあるなって思ってたんですよ。割れも作れてるし、軸足にしっかり体重乗ってるし、フォローも大きいし」

「おい、ちょっと待て」山田ダチトがたまらず口を挟んだ。「おれ、バットなんて中学ん時以来振ったことないぞ」

「じゃあたぶんその時に見たんですよ。江田川中の井口投手から打った左中間真っ二つのスリーベース覚えてますか? あれはしびれたな」

「だから待てって。おまえ高卒五年目かそこらだろ? おれが中坊の時は、おまえまだ父ちゃんの金玉の中にいたくらいの頃じゃねえか」

「あれ、そうでしたっけ?」

 その時である。

「おい、やーまだ!」

 ハンマーシックルズ監督の前田が山田ダチトを呼びつけた。

「はい!」山田ダチトは思わず立ち上がり、気をつけをして力いっぱい返事をした。なにしろ前田からの呼びつけである。現役時代は足の怪我に泣かされ続けたものの、異次元の打撃センスを誇り、不世出の天才打者と評されたハンマーシックルズのレジェンド、前田その人である。

「代打いくぞ、準備しておけ」

「は、はい! いかせて頂きます!」


 とんでもないことになった。さしもの山田ダチトもこれには動揺を隠すことができなかった。なにしろ少年時代から敬愛して止まないあの前田が山田ダチトの名を呼んでくれたのだ。それも岩鬼風に。孤高の天才、最後の侍、修行僧、数々の異名を持つ男の知られざるお茶目な一面を見てしまった山田ダチトは、これだけで職業野球選手になった価値ありと思うのだった。

「おい」山田ダチトが小園に耳打ちをした。「準備ってなにすりゃいいんだ」

「ネクスト入って、素振りでもしてればいいんですよ」

「なるほどね、サンキュ」

「山田さん」バットを肩にかついでベンチを出ようとした山田ダチトを小園が呼び止めた。「大丈夫。山田さんなら絶対に打てますよ」

「ぬかしてんじゃねえよ」若者にまっすぐ見つめられ、柄にもなく照れてしまった山田ダチトはヘルメットを目深に被りながら言った。「ま、ちょっくらぶちこんでくるわ」

 山田ダチトがちょっと格好つけて、大きいことを言った時だ。

「宇宙までかっとばしてこい!」

 その声を聞いた瞬間、山田ダチトの全身が粟立った。聞き覚えのある声だった。忘れたくても思い出してしまう声だった。

 振り返る山田ダチトの目に飛び込んできたのは小園ではなかった。それは、あの日のままの白石つぐみ。セーラー服姿でおさげの白石つぐみが、そこに立っているのだった。


「ほらほらダチト、気合い入れて、ガッツガッツ」

 そう言って、白石つぐみはなにがおかしいのか、けらけらと笑った。

「つぐみ……おまえ、なんでいるんだよ」

「なんでって、わかんないよ。たまたま?」

「おまえ、なんで全然変わってないんだよ。見ろよ、おれなんかすげえ老けちまっただろ?」

「うん、老けた老けた。めっちゃ老けた。てか、ダチト。あんたの番なんでしょ、早く行かなきゃ。ほら、早く早く、急げ急げ」

 白石つぐみが両手を伸ばして、山田ダチトの背中を押した。前田監督が球審に代打山田ダチトを告げた。なぜかはわからないが大量の桜の花びらが舞い散っていた。私設応援団の打ち鳴らす太鼓の音がやけにはっきり響いていた。そして、全てが崩れ、形をなさなくなった。太鼓の音だけがやけにはっきり響いていた。


 しつこくドアをノックする音がした。ねちっこく嫌な感じのするノックだった。

「あいてるよ」布団から出ようともせずに山田ダチトが言った。

 玄関のドアがぱっと開いた。わかっていたことだったが、ノックの主は白石つぐみではなかった。神経質そうな小太りの男。アパートの大家の藤田たもつだった。

「入っていいよ」山田ダチトがタバコに火をつけながら言った。

「あっ、あっ、寝タバコは禁止だってあれほど言っておいたじゃないですか」藤田たもつが見た目に不釣り合いな甲高い声を上げた。

「それほど言われちゃいないし、それにな、たもつ。こいつは睡眠をたっぷりとった後の起き抜けのタバコだ。寝タバコとは言えないんじゃないかな」

「あっ、壁に穴が空いてる。なんですか、これは」藤田たもつがこの世の終わりのような悲痛な声を出した。

「あー、それはだな」鼻からたっぷり煙を出しながら山田ダチトが言った。「そろそろこのぼろアパートも寿命だろ。そこで、ささやかながら解体のお手伝いをしてやったってわけだ」

「クズめ!」藤田たもつが顔を真っ赤にして叫んだ。「人をなめるのもいい加減にしろよ! 気違いの貧乏人め!」

「落ち着け、たもつ。ヒスをおこすな。みっともないぞ」

「今日という今日は許さないぞ、山田ダチト! こっちが下手に出てりゃつけあがりやがって……」

「……で?」

「で、とはなんだ、で、とは!」

「いや、用件だよ。なんか用があって来たんだろ」

「家賃だよ、家賃! 山田さん、あんた家賃をどれだけ溜めてると思ってるんだ!」

「いや、見当もつかんね。ただ……」ようやく山田ダチトが布団から抜け出し姿勢を正した。「それについちゃおれからも提案がある」

「提案だと? あんた自分の立場をわかってるのか? 家賃をまる一年溜めてるんだぞ、あんたは!」

「まあ聞けよ、たもっちゃん。おまえはこの部屋をどう思う? 異常なほど狭いわ、隙間風はひどいわ、ゴキブリは湧くわ、シャワーの水圧は弱いわ、幽霊が出るって噂もあるし、壁には穴が空いてやがる。なあ、たもつよ、ひとつ訊くがこの部屋の家賃はなんぼだ?」

「3万だが、それがどうした。ここらの相場よりだいぶ安いぞ。それに壁の穴はあんたが空けたんだろうが!」

「3万か。この部屋が3万……ほんの少し足でつついただけで壁に穴が空いちまうこの部屋の価値が月3万か」山田ダチトがため息をついた。「おれも昔は不動産業界でぶいぶい言わせたもんだ。言わば不動産のプロってやつだな。そのプロの目から見たこの部屋の価値はざっと……ゼロだ」

「ゼロだと?」

「ゼロ、だ」山田ダチトがきっぱりと言い切った。「ここでミスタ・たもつにひとつクエッション。ゼロに12を掛けたら答えはいくつだね?」

「……ゼロだ」

「正解! たもつ天才!」山田ダチトが派手に手を叩いて藤田たもつを祝福した。藤田たもつはちょっと嬉しそうにした。「……まあ、つまりはそういうことだ。とても賢いたもつ君ならわかってくれるな、おれの言いたいことが」


 藤田たもつは山田ダチトの言いたいことを全くわかってくれやしなかった。そればかりか山田ダチトを警察に突き出してやる、と騒ぎ出し、本当に警察を呼ぶ始末だった。

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