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妖霧の卵  作者: 最勝寺 蔵人
24/24

23 サバイバー

「な! 校長先生、話がわかる人だろう?」

 校長室から出ると、美濃部くんが嬉しそうに聞いてきた。千茶は、うまく丸めこまれた気がしないでもなかったが、確かに教師特有の上から目線は感じなかった。

「まあね。……でも、桑実先生について、真実を語れないなら、どうやってごまかせばいいのよ?」

 教室に戻りながら聞く。すぐに答えが出せる問題ではないので、また屋上への階段で話すしかないかと思うが、問題はそこへどうやって行くか、だ。休憩時間になれば、包囲されるのは目に見えている。それをどうにか掻い潜ったとしても、尾行されたり捜されたりして、秘密の会合場所が突き止められる可能性は高かった。そうなるよりか、千茶の家に招く方が良いのだろうか? でも、その場合は美濃部くんが男子という点が問題になる。家にお婆ちゃんは、いつもいるから、妙な誤解を――

「それなんだけど、あの手で良いんじゃないか?」

 予想していなかった事に、美濃部くんが先に案を思いついたようで、話しかけてきた。妙な考えに嵌まりかけていた千茶は、考えが読まれたわけでもないのに、ドギマギしてしまう。むろん、話しかけられた内容を処理できる状態でもなかった。

「え! な、なに?」慌てながら、美濃部くんの言葉を反芻し、そもそも具体的でなかった事に気づく。「……あの手って何よ?」

 千茶は、無駄に慌てさせられた事へ、ちょっとムッとしていた。幸い、美濃部くんは、そんな千茶に気づいていないようで、頭の中にある内容を言葉にしようと努力していた。

「だから、あれ!……ほら、みんなが知ると不安になりすぎるとか、そんなヤツだよ」

 まだ曖昧な指摘だったが、千茶はおおよそわかった。恐怖の伝染とそれによる妖魔の誘引についてだろう。真実性は不明だが、有名な説だ。そう言えば、これについて最近どこかで聞いたな、と思って、考えるとすぐに答えに至った。まさに、今話している美濃部くんから聞いたのだった。そして、思わず息を呑む。それは、美濃部くんのお父さんが殺された事を秘密にしていた理由だったからだ。

 一瞬止まってしまってから、美濃部くんは苦々しく吐き出したい感じで言っていなかった、と気づいた。もしかすると、美濃部くんの中では整理がついてきた問題なのもしれない。だからと言って意識させると、また心に刺さるかもしれない。千茶は、何でもないように取り繕う。

「そ、そうね。それが無難、っていうか、それがいいかもしれないね」

「でも、それだけおっかねえ話だ、と逆に興味をそそらせる事になるなぁ。だったら、傘波羅あたりはしつこく聞いてきそうな気がするなぁ」

「傘波羅くんって、口が堅いの?」

「いや、俺もまだそこまで知っているわけじゃねえからな。秘密は守るつもりでも、思わず口がすべるって事もあるだろうし」

 千茶は思わず、「それって、美濃部くん自身の事よね」とツッコミそうになった。でも、言葉にする前に、そういう人だからこその発言かもしれないと思い、妙に納得してしまった。

 その時、千茶たちは渡り廊下に差し掛かったところだったが、逆から学生が近づいているのが見えた。授業中なので、これまで廊下に人影はなかった。トイレに行く生徒であれば、渡り廊下へ来るまでにあるはずだった。

 些細な事かもしれないが、それでも異常事態だった。しかも、その学生が知っている人だったので、千茶はそう思うのが過敏ではない気がしていた。

「よう! ……どうしたんだ? こんな所で」

 美濃部くんは気軽に声を掛ける。ちょっと間が空いたあたり、きっと名前を覚えていないのだろう。でも、千茶はもちろん知っていた。そして、顔というか、その印象的な容貌から間違えることもなかった。顔の上半分が髪に隠れた細身の男子。領内くんだ。

「校長先生に話が」

 ボソリと領内くんが答えた。

 領内くんは右側通行をしていたが、千茶たちは誰もいないので、真ん中を通っていた。美濃部くんは、話しかけるために領内くんに寄ったので、通行の邪魔をする形になっていた。

「おお。お前もか」

 そう言って、美濃部くんが道を譲ると、領内くんは、千茶と美濃部くんの間を、こちらも見ずにスッと通り過ぎた。思わず、千茶たちはその後ろ姿を立ち止まって見送る。

「あれ、何の話なんだろうな?……もしかして、あいつも何かやったのかな?」

 美濃部くんに言われるまでもなく、千茶は既にその可能性に気づいていた。その上で、認めたくなかった。

 今回の妖霧事件では、千茶は、美濃部くんの貢献のおかげで、身に余る功績を挙げられた。それを上回る貢献を挙げたと評価されても納得できるのは、鬼を撃退したかもしれない日下先生だけだった。日下先生は、千茶が泣きべそかかされるほどの力の差があると、認めていたからだ。

 でも、領内くんが、千茶と同じように今回の事件で何か貢献していたら、納得できなかった。天宮さんが憑依された事件では、首を絞めて妖魔を脅す、という訳の分からない方法で解決してしまったのだ。そんな常識外れの存在が、評価されるべきではない。

 あるいは、領内くんは別の流派の術者かもしれない、と考えたこともあった。でも、そんな気がしなかった。言動や雰囲気に術者らしさを感じなかったからだ。

 もし、術者ならそれを他人に知られたくないのはわかる。千茶もそうだからだ。だけど、千茶が術者だとわかってからも、それを隠されているのなら、やっぱり気に入らなかった。

 そこで、千茶はふと考え直す。千茶が陰陽師の娘だと教えたのは、クラスメイトとその時の先生だけだった。TREEで拡散しているから、今はもっと多くの人に知られているだろうが、普通科には届きにくいだろう。まして、領内くんは友達が多そうに見えない。千茶の話は未だ知らないのかもしれない。

「二年生の女子が首を絞められた事件は、アイツが解決しちまったらしいから、今回もやっているかもな!」

 嬉しそうに話す美濃部くんを見て、領内くんを少し許す気になっていた千茶は、また評価を元に戻した。

 やっぱり気に入らない。

 一般人が、領内くんの言わばまぐれ当たりの成果を褒めそやしても仕方ないところがあるが、美濃部くんには考えれば違いが分かるだけの素養があるはずだ。きっと今回も深く考えていないんだろうが、もし領内くんのやり方が常識外れと認識したうえで、評価しているなら始末が悪い。

「たぶん、違う。きっと、前に勝手をやらかしたから、釘を刺されている程度の事でしょ。て言うか、今回も当てもなく飛び出しちゃったんで、叱られるのかも」

 美濃部くんが不思議そうな顔をして、千茶を見た。意地悪い発言をし過ぎたかもしれないと思ったが、今更後には引けない。そこで、美濃部くんの気が逸れるようにごまかす。

「それに、そもそも首を絞められた事件ってのがおかしくない? 首を絞めたのは領内くんでしょ!」

「あ、そういや、そうか。……じゃあ、何て言ったらいいんだ?」

「そ、そんなの、知らないわよ。好きに呼べばいいでしょ」

 そう答えてから、千茶は自分の発言が矛盾しているのに気づいた。美濃部くんが好きに呼んだ言い方にケチを付けていたからだ。

「うーん」

 ギプスの右腕に左腕を乗せる形で考え出した美濃部くんが、その矛盾に気づく前に、千茶は話を逸らそうと考える。が、答えを得る前に、美濃部くんが口を開く。

「やっぱ、本人に聞くのが一番だろうな。校長室から出たところを捕まえて聞き出そうぜ」

 言うとすぐ、美濃部くんが来た道を戻るように歩き出す。予想外の言動に、千茶は呆気に取られたが、すぐに後を追う。

「ちょっと! どうせ領内くんも口止めされるんだから、聞いても教えてくれないかもしれないじゃない」

「そーか。……じゃあ、こっちも秘密を教えるって物々交換ってのはどうだ?」

 秘密は物ではないが、言いたいことはわかった。

「でも、それだったら、校長先生から『話さないで』って言われた約束を破る事になるわよ」

 これには、美濃部くんも足を止めた。

「それもそうか」

 だけど、千茶が追いついてから五秒も経たないうちに、また美濃部くんが話し出す。

「だったら、アイツにも秘密にしてもらえばいいんだろ? 確か、『秘密にしておいて』とは言われたけど、『一切話すな』とは言われなかっただろ?」

 そこまで、千茶は覚えていなかった。それについて思い出す前に、美濃部くんはこういう事には頭が回るんだ、と感心なのか、呆れたのか、良く分からない気持ちにさせられていた。

「でも、授業の方はどうするのよ?」

 千茶が、これが最後の説得策になるだろう、と思いながら言うと、美濃部くんはニヤリと笑った。言葉にされなくてもわかる。それも目的だ、という考えに違いない。

「呆れた」

 美濃部くんは、悪びれずに肩をすくめる。

「でも、今後のためにも聞いておくべきだろ? 御礼は聞きたくないのか?」

 興味があるかないか問われれば、もちろんあるに決まっている。

「そりゃあ、聞きたいわよ。大した内容じゃないと思うけど」

「じゃ、決まりだな」

 美濃部くんは、左の拳の親指を立てると、それを行く手に傾けた。



 扉をノックされた時、校長は美濃部が戻ってきたと思った。この時期、非常に多くの対象に応じなければならなかったが、そのほとんどが電話かメールを通じてだった。隣の職員室にいる教員でさえ、決済印が必要でなければ、どちらかの手段で連絡を取る。そして、それらの訪問も通常は前もって連絡される。

 だから、校長は何の躊躇いもなく「どうぞ」と声を掛けて、少し考えてから、パソコンで開いている文書を念の為閉じた。その間、扉には目を向けていなかったので、いざそうした時、あのギプスを付けた若者が立っていないことに驚いた。

 立っていたのは細身の学生だった。前髪が、顔の上半分を隠すほど長い。

 驚きのあまり数秒間止まった後、校長は笑顔を湛えた。

「これは……何か相談でもあるのかな? しかし、今は未だ授業中ではなかったかな」

「名前は聞かないの?」

 学生が平坦な声で聞いた。

「いや。それより、授業の事が気になってね。もし、授業を抜け出してきたなら、今は教室に戻って、休み時間なり他の機会に、また話すことにしないかね? ……長く掛からない話なら、どこかで時間を作れるかもしれないが、私でなく、担任の先生でよければ、そちらに話してもらった方が、お互い早く済むと思うが、どうだね?」

 学生が首を左右に振った。その後、顔を校長に向ける。目が見えなくとも、校長は見つめられているのが分かった。

「貴方でしょ? 今回の事件の黒幕は」

 沈黙が下りた。校長は無表情で、学生を見つめる。一方、学生は様子が変わらないまま、数秒後にはまた口を開く。

「きっと後ろにはもっといるんでしょ? そういう意味では、真の黒幕とは言えないけど、現場で指揮を執っていたのは貴方だ」

 また沈黙がやって来た。しかし、今度は数秒後経っても、学生は口をつぐんだままだった。まるで、校長が答えるべきだと言わんばかりの態度だった。それを受けて、校長が口を開く。だが、そこからまず漏れたのは笑い声だった。

「ふ、ふふふふ。……いや、すまない。若い人の想像力は愉快だなと思ってしまって。最初は、予想外過ぎて、頭が着いてこなかったよ」

「しらを切るの?」

「しらを切るも何も……」校長はまたクスクス笑いかけ、咳払いでごまかす。「私には何の事か分からなくて」

「そう。だったら、僕は公表するしかない」

「公表? 今の話をかね?」

「それも効果はあると思う。僕の説には証拠がないから、世間にはまともに相手にされないだろうけど、説の片鱗さえバラ撒かれれば、興味を持つ人も出てくると思う。例えば、陰陽庁とか」

「…………この高校の代表として、余計な波風を立てられる行動は、厳に戒めて欲しいね」

 校長の声色が変わっていた。注意や警告という色が露骨に示されていた。

「でも、陰陽庁の目に留まる以前の問題になるんでしょ? 僕に照明が当たる事、それも上から戒められているんじゃないかな?」

「…………」

「今回の事件について、僕がどうこう言うより、僕自身の生い立ちを話した方が、世間はきっと注目するね。陰陽庁だけでなく、世間全体から非難な集中するよ。人権侵害、一線を越えた人体実験。軍だって、きっと暴走した一団として、貴方たちを切り捨てる。まあ、事実、そういう側面があるんでしょ? 軍上層部の全てが許可するにはリスクがあり過ぎる行為だったからね」

「なかなか、想像力が豊かなようだ」

 校長の声も平坦なものになっていた。相手にすれば、心情が読みづらいはずだ。

「そう言えば、最初の問いに答えていなかったね。僕の名前、聞いていない。知っているからでしょ?」

 校長は黙ったまま答えなかった。代わりに、手振りでどうぞと促す。

「領内若葉。でも、サバイバーという名前の方が聞こえがいいかな」

 校長の机にある携帯電話が鳴った。校長は領内から目を逸らさずにそれを取ると、引き出しを開け、そこに携帯電話を落とし、引き出しを閉じた。次に、固定電話の「会議中」と書かれているボタンを押す。

「掛けなさい」

 領内が、校長に対する位置の椅子に座ると、校長は机の上で両手を組む。

「では、まず、何故そういう考えに至ったのかを聞かせてくれたまえ」

「それは一つの情報に基づいた、僕の推論でしかない。でも、繫がった。たぶん、真実に近い。貴方の態度からもそれが裏付けられている」

「で、その情報とは?」

「この学校の生徒は、霊力の高い者が集められているという事。御剣大学附属高校なら当然だけど、違うんだから、故意と考えられる。そして、ここの入試に面接があるのを思い出した。それから、面接室前の受付に、あの女の人が居たことも。あの時は白衣じゃなかったね」

「それで、私が、日下くんから受けた情報を元に、学力ではなく霊力で生徒を合格させたと?」

「うん、部分的には。いわゆる合否水準にいる受験生だけでもそう采配したら、全体の六割から七割は平均以上の霊力を持つ人になるんじゃないかな? もちろん僕のように霊的にカスな存在も混じるけど、輝きの前では埋もれてしまう」

「ならば、そういう工作をする目的はどう考える?」

「鬼を招き、捕まえるため。プールのコースロープから判断するに、あそこに罠を張っていたんでしょ?」

「やはり、君は鬼に会っているんだね?」

 校長の目が輝いた。椅子から立ち上がり、領内の方へと身を乗り出す。

「女性の鬼には出会わなかったかね?」

 異様な熱気を持つ校長に対して、領内は静かに目を閉じた。そのまま数秒間。校長が焦れるように体を揺すった。その後、領内は目を開けると、首を左右に振る。

「ううん。考えてみたけれど、会わなかっただけでなく、居なかったと思う。居たら、僕はきっとこの場にいない。他にも何人か生徒が食われていただろうね。妖霧も晴れずに籠城状態だったかもしれない」

 領内が話している最中から、校長はがっくりと力を落として、席に沈み込んだ。

「そうかね。……生徒を餌にする、教育者としての魂を売っても、やはりあの子には会えなかったのか」

「……鬼となった人に、心当たりがあるの?」

「ああ。私の娘だ。十三年前に、煙流町へ侵入を試みた霊能力者の一人だ」

 校長から覇気が失われていた。視線は机に落ち、背は丸まっている。

「その人が鬼になったの?」

「あるいは……。少なくとも、娘に似た鬼が煙流町にいると、軍から聞いた」

「……なるほど。僕は貴方が軍の手先だと思っていたけれど、どちらかというと、利用されている立場だったようだね」

「利用か……そうかもしれない。いずれにせよ、私はもはや用済みだろう」

「それは困るな。貴方にはここに残って、僕たちを守ってもらわないと」

 校長が頭を上げた。

「しかし、君は私を信用できるのかね?」

「信用はしていない。でも、貴方はそうすべき義務を感じているんじゃないかな? 罪滅ぼし、ってやつ」

「私が、罪滅ぼし。……許されるのか?」

「さあ。それを決めるのは貴方自身でしょ? 僕は、ここがまた鬼に狙われたり、軍の実験場にならなければいい。貴方にはその防波堤になってもらう」

「私には、そんな力はない。大きな力が働けば、簡単に首が飛ぶ」

「じゃあ、そうならないよう努力してよ。少なくとも、世間の目、というか陰陽庁の目が注がれているから、後ろの方でも、また何かしろと言ってこないだろうけど、話の通じない新しい人が来るより、貴方がここを仕切っている方が、僕にとっては都合がいい」

 校長は、自分の両手を見つめて、答えなかった。しかし、領内はさらに注文をつける。

「あの、術者の女の人も戻してほしい。もう心が壊れてしまっているなら仕方ないけれど、まだ立ち上がれるなら、怪我を治して、もっと強くなってもらわなきゃ」

「日下くんをか? しかし、彼女こそ……」

 校長は、言いかけた事を止めた。だが、領内は頷く。

「うん。貴方が、軍に利用されていたなら、軍の意向を受けて動いていたのは実質あの人だね」

「いや、私はちゃんと報告を受けていた。責任は私にある」

「ふーん。ちょっとはやる気が戻ったんだ。でも、責任問題は気にしていないから、どうでもいいよ。むしろ、僕も、知らずとはいえ、手を貸す形になっていたと言えるし。……鬼をここに呼ぶのに、妖魔を使ったんでしょ? 僕が一旦憑依を剥がしたやつ」

 校長は観念したように頷いた。

「能力のない私に調べる術はないが、そう報告を受けた」

「うん。舞台を整えても、目当ての客がここへやって来ないと意味ないからね。だから、まず人に憑依させて、それなりの知恵を付けさせて、その後、制御可能な憑依先に移った妖魔を脅して、より強力な存在を招く」

「おそらく、日下くん自身もこうもうまくいくとは思っていなかった。妖魔がどのような協力体制を取っているかはわからなかったからな」

「協力と言うより、互いに利用しているだけだと思うけれど。……いずれにせよ、煙流の鬼たちが、あの妖魔の情報に従って、この場所を知り、やって来た。まあ、鬼は簡単に捕まえられる存在じゃあなかったんだけど。このあたりはもう、軍の方も反省しているよね」

「私が報告した限りでは、そう受け止めていると思う。どう判断し、どういう指令が下るのかは、私のあずかり知るところではない」

「うん。それでいいよ。じゃあ、僕はこれで」

 領内が立ち上がった。

「もう一度言っておくね。僕の望みは、貴方が今後ここを安全にするよう努力する事と、日下さんをまた戻す事。もし、できなかったら、それはそれで仕方ない。だけど、敢えて、やらなかった場合は、貴方を潰す」

 領内はさらりと言い終えた。校長が黙っていると、領内は扉へ向けて歩き始める。その背中にようやく、校長は言葉を掛けた。

「サバイバー。大人しい少年と聞いていたが、全く印象は違っていたよ」

 領内が振り向いた。

「そう? 自分では大人しいと思うけど」

「そうだな。大人しい。それは正しい。ただ、底が知れない。それは聞いていなかった。さすがに、煙流町から唯一脱出できただけのことはある」

「それは、僕の力じゃないから。脱出した時は、子供だったし」

 また背を向けて出て行こうとする領内を、校長は引き止める。

「待ってくれ。一つ教えてくれ。あっちでは時間の流れが遅くなっているというのは本当かね?」

「知らない。だって、むこうではそれが普通としか思わないから」

「しかし、領内という名前は、三十年近く前に煙流に突入した霊能者の名前ではなかったのかね? 君は、そこで産まれた。外から入った男と、中で暮らしていた女との間に生まれた子供、それが君ではないのかね?」

「僕もそうだと聞いている。だけど、誰しも赤ん坊の頃の記憶はないでしょ? 父さんと母さんと暮らした記憶も、もうほとんど薄れている。霧から出られた後、研究施設に連れて行かれて、散々色々された事は覚えているけれど、思い出したくもないし、話されたくもないでしょ?」

「いや、違う。私が聞きたいのはそんな事ではない。もし、あの霧の中で時間が進むのが遅ければ、あの子は、まだ昔のままの姿なのかね?」

 首と半身を校長へ向けていた領内が、向き直った。

「おせっかいだと思うけれど、言っておく。貴方の娘は、きっともうこの世にはいない。貴方がいると信じている相手は、貴方の娘の姿をしている鬼だ。軍が貴方に見せた写真か何かの資料には、その鬼が貴方の娘の姿をしていたのかもしれないけれど、今もそうだという保証すらない。鬼がその姿を捨てて、別の人に憑依している――」

 そこで領内が不自然に止まった。しばらく話を続けないでいると、校長が期待を込めて聞く。

「どうした? 何か思い出したのか? もしかして、霧の中で、娘と思われる鬼に会ったのか?」

 その呼びかけで、領内がまた動き出した。小さく首を振る。

「ううん。思い出して、気付いた事はあったけれど、それは貴方には関係ない」

 言い捨てると、領内はまた背を向ける。

「でも、煙流の中にいた時、女の姿をした鬼が居たのは確かだよ。もちろん、会った事はないけれど、会っていたら、生きて脱出できていないからね」

 その言葉でも励みになったのか、それとも辛い思い出を呼び起こしたのか、校長先生がすすり泣き始めた。領内は振り返りもせず、部屋を出た。



 校長室前の廊下で待ち続けるのは良くないとすぐわかった。近くに職員用のトイレがあり、校長室の隣の職員室から出てくる教師に見つかると、予想がついたからだ。だから義継は、御礼と廊下の突き当たりの扉を開けて、階段へと出た。

 これは、御礼と話し合いをした屋上へ続く階段ではなく、建物の反対側にある階段だった。だから、きっとこの階段も屋上へと続いているはずだ。

 もちろん、今は屋上へ上がる用事はなく、むしろ、扉の小窓から中を窺う必要があるので、あまり離れられなかった。胸の高さまであるコンクリート製の囲いからは、体育館が見える。グラウンドで何かやっているのが見えたら時間つぶしになるかもな、と思ったが、向こうから見られたらいけないのを思い出して、義継は階段の内側へと身を引いた。

 そこでしばらく、御礼と二人で、妖霧の事件について話し合う。義継にとって、鬼がいたのかどうかが最大の関心事だったが、御礼の方でも、その可能性は高いがよくわからない、という考えだった。一番わからないのは、鬼がいたとして、なぜ大きな被害を出さずに退散したかだった。日下先生がそれほど強かったという考えはあるが、義継は納得できなかった。鬼は、父ちゃんが敵わなかった相手なのだ。もし日下先生がそこまで強かったなら、御礼が痛めつけられた時、義継が日下先生を止められなかったはずだ。強いのは認めるが、あの程度の隙ができるなら、父ちゃんより弱いと思う。

 他にも色々話したが、結局、良く分からないことだらけだった。なんだか、このままずっとわからないままで終わりそうな気もする。

「そういやさ、あのチョウチョ、褒めてやったのか? ご褒美はやっぱり花の蜜なのか? それとも砂糖水とかなのか?」

 何気なく聞いたつもりだったが、御礼を見ると、驚いた顔をしていた。義継は、また地雷を踏んでしまったと思った。そういえば、式神や妖魔みたいなものだとどこかで聞いたので、式神は人に言えないようなものを食べているのかもしれない。

 と思ったところで、御礼がにこりと笑った。エヘヘと声さえ出している。どうやら、失言ではなかったらしい。

「そっか。美濃部くんだけだな、アゲハの事を褒めてくれたのは。お父さんもお母さんも、って言うか、陰陽師にとっては、式神って手足みたいなものじゃない? だから、よく頑張ったとかいう感覚があまりないのかも」

「へえ。じゃあ、御礼は良いマスターなんだな」

 また気軽に言っただけだが、御礼が固まった。マスターという表現が間違っていたのかもしれない。心なしか、御礼が涙ぐんできた気がして、やばいと思った時、扉の小窓に、教室へ戻ろうとしているおかっぱ頭が見えた。

「お、出てきた!」

 慌てて、義継は扉を開けて、捕まえに行く。

「えーと、待てよ……領内」

 御礼に先程教えてもらった名前がすぐに出てこなかったが、なんとか呼びかけに成功した。領内は、立ち止まるとこちらを向く。もちろん、前髪で目までちゃんとこちらを向いているのかはよくわからない。

「あ、美濃部くん。ちょうど僕も話す事があったんだ」

「へえ。やっぱ、お前も何かしたんだな? 物々交換しようぜ」

「ブツブツ?」

 領内が首を傾げると、後ろから来た御礼が、付け足してくれる。

「秘密の交換。校長先生に、口止めされなかった? 私たちは、妖霧の中でやった事を他の生徒に話さないで、って言われたんだけど、領内くんもそうなら、お互いの秘密を交換しない? もちろん、それ以上は他に漏らさないって前提になるけれど」

「へえ。君たち、あの妖霧の中で行動して……何か成果を上げてたんだね」

 どこか他人事のような言い方に、御礼が眉をひそめた。

「もしかして、領内くんは何もしてないんじゃない?」

 領内は、御礼には答えなかった。義継の方を、たぶん向くと(顔は向いているけれど、目はわからない)、ぼそりと言う。

「その前に、美濃部くんに話があるんだけど」

「ああ、いいぜ」

 義継は答えると、領内は顔を、義継と御礼の間で行き来させた。

「君たち、付き合いは長いの?」

「そ、そ、そんな、私たちは別に、そんな――」

 なぜがしどろもどろになった御礼に変わって、義継が答える。

「いや。こないだ同じクラスになって初めて会った」

「だったら、彼女には席を外してもらった方がいいと思う」

 良く分からないまま御礼を見ると、睨まれた。仲間外れが気に食わないのだろう。「うーん」と義継が唸ると、御礼がすねたように言う。

「別に、私はいいわよ。男同士の話し合いってやつでしょ」

 領内は男同士の話し合いとやらが似合うタイプではないと思うが、御礼の本心ではそうじゃなくても許可が出たなら、さらにややこしくなる前に話を進めた方が良さそうだ。しかし、御礼に向こうへ行けとは言えないので、義継は、左手で領内の肩を叩くと、先程までいた外の階段へと行くように指を差す。

「で、話ってのは何だ?」

 先に扉を出て振り返ると、領内は淡々と言った。

「君の父親、鬼だよね?」

 それから、数秒間、義継は意識がぶっ飛んだ。気が付くと、左手で領内の胸倉を掴み、扉に押し付けていた。ガシャンと扉が音を立てていたのを、思い出す形で認識する。

「てめえ、何でそれを!」

 押し殺した声で聞くと、領内は息苦しそうに答える。

「放して、くれないと、しゃべれない」

 しかし、乱れた前髪の隙間から覗く目は、ビビってもおらず、怒ってもおらず、ただ冷たかった。そのせいで、義継は力を緩める気にならなかった。義継を我に返らせたのは、小窓の向こうに見えた御礼の顔のおかげだった。驚いて、少し怯えてすらいた。扉を叩いて開けるよう促している。

 義継が、扉に押し付けつつ浮かしていた領内の体を下すと、領内が深く息をした。息苦しかったのは本当らしい。その後、御礼に扉が押し開けられ、それに押されるようにして、領内が端へと寄る。

「ちょっと、美濃部くん。突然、どうしたのよ?」

 義継は答えられなかった。ただ、少し冷静になってきた頭は、右腕をギプスしていて良かったな、と考えていた。ギプスをしていたおかげで、領内の胸を押さえる程度しかできていなかった。もっと自由になっていたら、殴ったり、首を絞めていたり、していたかもしれなかった。

「どういう事?」

 義継が答えないと、御礼は領内へと話を振る。領内は、息を整えながら、首を左右に振る。

「答えられない。これは、美濃部くんの、問題」

「いや、いい」

 義継は短く言った。いずれ、御礼にも話しておかなくてはいけない問題だとずっと思っていた。ただ、話す心の準備が整っていなかったのだ。そして、今なお、その準備が整っていなかったのがわかったところだった。しかし、ここまで知られてしまったなら、もう伝えるしかないと思う。

「じゃあ、お前は、父ちゃんに会ったんだな?」

「正確には、違う。君の父親の姿をした鬼だ」

「え、ええ!?」

 御礼が動揺した声をあげた。しかし、義継には、そちらに気を回す余裕はない。

「もしかして、お前、倒したのか?」

 自分で言った内容を信じていないが、万が一に備えて、左の拳を固める。

「まさか」

「え、ちょっと待って。鬼が……その……」

 御礼がチラリと義継を見た。その上で、質問をかぶせてこなかったので、真実を理解しているのは分かった。

「そうだ! 日下先生。日下先生はどうしたの? あの人が鬼を撃退したのじゃなかったの?」

「彼女は健闘したみたいだけど、負けていたよ」

「じゃあ、やっぱり、あなたが鬼を……追い払ったの?」

「僕は話しただけ」

「じゃあ、まさか説得したの? 鬼を?」

「説得というより、交渉だね」

「どういう内容の?」

 続いていた御礼と領内のやり取りがここで止まる。

「美濃部くんはあの鬼、倒せるの?」

 あくまで鬼と言い張る領内を、義継が睨みつける。

「倒すんじゃねえよ。父ちゃんを取り戻すんだよ!」

 思わず大きな声が出た。

「その考え方じゃ、死ぬよ」

「ンだとぉ?」

「ちょっと待ってよ、二人とも」

 御礼が間に入ってくれなかったら、義継は領内にまた掴みかかっていただろう。義継も頭では分かっていた。一番認められないのは、父ちゃんが鬼になっている現実だ。

「外見に惑わされちゃいけない。中身は別なんだから」

「そんなはずはない! 父ちゃんは俺だとわかっていた!」

 言ってから、義継は無意識に左手で首を押さえていた。それに気づいたらしい領内が小さく頷く。

「そうだったんだ。それ、殺されかけたんだね。さっき掴まれた時に、跡があるのが見えた」

 御礼は訳が分からない顔をしたが、義継には自分が押さえた下に何があるのか当然知っていた。

「でも、父ちゃんはちゃんと止まってくれた」

 義継の手の下には、一筋の傷跡があった。鬼と化した父ちゃんに、父ちゃんが愛用していた剣『五郎丸』で切りつけられた時についた傷だ。そのまま振られていたら、義継の首は胴体を離れていたはずだったが、五郎丸を持った腕は振るえたまま、寸前で止まった。鬼の目は怒りに燃えていたが、義継はその奥に父ちゃんがいるのを実感した。

「それは、きっと憑依し直後だったからじゃないかな? 角砂糖をプールに投げ込んでも、しばらくは形を保っている。でも、時間が経てば、角砂糖は溶けてなくなる。次はないよ」

 そうかもしれない。いや、母ちゃんも似たような事を言っていた。だけど、義継は諦めるつもりは無い。

「やってみなきゃ、わからねえだろう」

「……そこは、自由にしてもらってもいいよ。ただ、また、その父親に会いたいなら、強くなりなよ。そうしたら、僕がまた会わせてあげられると思う」

「どういう事だ?」

「言ったとおりさ。強い人を集めて、煙流に送り込む。それが交渉の中身」

「ちょ、ちょっと待ってよ。それって、美濃部くんが煙流に突入するって事? そんなの自殺行為じゃない」

「自殺行為になるかどうかは、どれだけ強くなれるかに依るね」

「何よ、他人事みたいに!」

 御礼が怒って、領内に詰め寄る。だけど、領内の態度は変わらない。

「他人事じゃないよ。うまくいかなければ、真っ先に殺されるのが僕だから」

 さらりと言われた内容が残酷だったからか、御礼はそれ以上言えなかった。その時には、義継の決意は固まっていた。

「その日はいつだ?」

「ちょっと、美濃部くん!」

 たしなめてくる御礼の言葉は、義継の心に届かない。

「それを決めるのは向こうだから、僕にはわからない。一年以上を望んでみたけれど、どうなるのかな」

「一年か」

 義継は、右腕に視線を落とす。ギプスが取れるのに一ヶ月はかかる。それからリハビリと、さらにこれまでの実力を超えるためのトレーニングが必要だ。十分な時間ではないが、全く間に合わないわけではない。それまでにどこまで高められるか、という話だろう。

「わかった。その話、乗った」

 義継は、左手を領内に差し出した。領内から、こんな話をされなくても、義継はいずれ煙流に行って、父ちゃんを取り戻さないといけないと考えていた。領内がした、角砂糖の話によれば、それは早い方が良さそうだ。三ヶ月経った今ではもう間に合わないかもしれない。そう考えかけて、義継は頭を左右に振る。いや、信じなくては始まらない。ひとまず、一年という目標ができれば、それに向けて頑張れる。

 領内は、義継が出した左手の意味を分かっていないように首を傾げていたが、時間が経つと理解したらしく、そっと手を伸ばしてきた。握った領内の手は、細く冷たかった。

「御礼さんも乗らないの? 戦力は多い方がいいんだけど」

「な、何でそんなむちゃくちゃな話に!」

 御礼は怒っていたが、それでも自分の手を、義継と領内が繋いでいる手に乗せてきた。

「美濃部くん、後で話があるからね」



 世間を一時期騒がせることになった、妖霧の異常発生事件。その舞台となった高校で、ひっそりと奇妙な同盟が結ばれた。

 それが、今後どう展開するのかは、また別の話。

最後の座りが悪いですが、この話は、ひとまずこれで終わりです。

最後まで読破していただいてありがとうございます。


この作品を含めて、書こうと思って待ち行列に詰めている(いた)作品は、どこかに投稿しようと考えていた話です。この話は、締まりが悪いだろうなあと予測していましたが、たまに映画であるように、「ええぇ!」と思いながらエンディング、という展開になればいいなと期待し、実際に書くと想像以上に締まりが悪かったので、お蔵入りにしていました。

あれから結構時間が経って、何とかまとめられるようになっているかな、と根拠のない期待をしていましたが、まあ大差なかったですね。


このシリーズについてのラストは、既に頭の中にあり、そっちの方が座りが悪いわけじゃない、と思います。

ただ、待ち行列には、別世界の作品が並んでいるので、続きを書くのはしばらく先になります。

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