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妖霧の卵  作者: 最勝寺 蔵人
14/24

13 屋上(義継)

 屋上に先に着いたのは義継よしつぐだった。今日寄る予定だった合気道部に顔を出して、遅れると伝えた後だったので、てっきり自分が後かと思っていたが、そうではなかった。

 御礼みれいの方も、ちょっと調べものがあると書いていたので、それで遅れているのだろう。

 義継は、荷物を踊り場に置いていた。カバンを持って柵を越えにくかったからだが、屋上に降り立った後で、自分も下で待っていても良かったな、と思った。前にここに来た時にも思ったが、屋上の床は汚いのだ。だからといってわざわざ戻る気にもならず、柵を背にもたれ掛かる。他の外周なら目立つので、入り口の部分だ。ついでなので、腰を半端に屈め、空気椅子のトレーニングを兼ねておく。

 御礼と付き合っているという冷やかしは、義継がトイレから戻ると沈静化していた。御礼が義継と連絡取りたがった理由は、走って帰ろうとしていた義継が猫を蹴っ飛ばしたからだ、と説明されていた。その猫は、今は御礼が保護している、ことになっていた。

 口からでまかせとわかるような、ムチャクチャな説明だったが、義継の顔の傷について、傘波羅かさはらたちに、猫に引っかかれた、と説明していたのが説得力を持ってしまった。御礼が泣いていた、というか義継が泣かした、という指摘にも説明がついた。ただし、御礼は泣いてないと主張したようだが、傘波羅たちには、やっぱり義継が泣かしたと責められた。

 この噓の説明に、義継は反論しなかった。「猫、蹴っちゃった、ミノタウロス」と変なあだ名まで付けられそうになったが、実際に猫にした仕打ちはそれより酷かったのだ。それくらい背負うべき理由があった。幸い、言いづらいという理由から、「猫、蹴っちゃった」の部分はすぐに消えた。

 足音がしたので、義継は立ち上げり振り返る。ほどなく息を切らした御礼が上がってきた。

「お待たせ」

「ああ。何してたんだ?」

 聞いてから、しまったと思った。トイレに関する用事だったら、答えにくいはずだからだ。質問すべきじゃなかった。

「ほら、憑依された二年生の女子がいたでしょ? その人に直接話ができたらなぁと思って」

「それなら、俺も付いて行ってやったのに」

 先週、妖魔騒動に飛び込んだひょろっこい一年生を連れ出そうとしていた先輩たちがいた。あれは単に、目立った一年生をシメようと思っただけかも知れなかったが、被害に遭った女子のカレシ、ないし、ツレかもしれなった。そんなところに、女子一人で乗りこむのは危ない。

 と思ったが、御礼は只の女子ではなかった。いや、術者の娘だという事を隠したいから、普通の女子とは変わらない。でも、こうして無事に来られているところを見ると、迫力でうまくいったのかもしれない。

「あら、美濃部くんが付いてきたら、その女子が怖がってしまうかもしれないでしょ」

 フフフと笑う御礼を見て、義継は、そういえば先輩たちとのやり取りについて話してなかったなと思い出す。自慢することでもなかったからだ。

「でも、どのみち居なかったから一緒ね。一回来た日もあったみたいだけど、また来なくなっちゃったんだって」

「ふーん」

 相づちを返したが、本心は大して興味が無い。

「とりあえず、私もそっちへ行くね」

 そう言うと、御礼は荷物を義継の荷物の近くに置いた。そこで義継はまた、こちら側に来ない方が良かったな、と思った。

 鉄の柵はほとんど縦に格子が通っている。乗り越える足場となる横向きの格子は、扉の中央部分、へそくらいの高さだ。御礼は女子としては背の高い方だが、スカート姿でそこに足を掛けるのは厳しい。義継がこちら側なら、御礼にこちらに来るように強制することになる。

 しかし、こちら側で会った事があるので、越えられるはずだ。そう言えば、術を使ったとかいう話を聞いた覚えがあった。

 そう考えていると、御礼は柵の前で目を閉じて、右手の人差し指を立てた。そこにヒラヒラとチョウチョが止まる。

 もう術は始まっている。邪魔しないように、義継は少し下がると、黙って見守る。

 義継は、術を使えないし、既に慣れている母ちゃんの術しか見たことがないから、良く分からなかったが、すぐ入ったところから、御礼はやっぱりできるヤツだろうと思った。格闘技でも、何となく構えるだけならシロウトでもできるが、一瞬で緊張の糸を張るのは、慣れてないとできないものだ。

 ブツブツと何かを唱えた御礼の指から、チョウチョがフワリと舞い上がる。御礼はゆっくりとした動きで、両腕を少し広げる。頭から手まで線を繋ぐと「人」と書いたような形になる。そして、両膝を曲げると一気に伸ばした。ジャンプだ。

 義継の場合は、柵を乗り越えるのに助走して一気に飛びつく。片足を柵の横格子に掛ければ、両手は柵の上の枠に届く。それで身体を引き上げて越えるのだ。

 しかし、御礼は助走なしだった。さらに、ジャンプも動きが早くなかったから、柵の横格子に届くはずがなかった。それが、普通のジャンプならば。

 御礼のジャンプは不自然にゆっくりとしていた。そして本来すぐに下り始めるはずが、ずっと上り続けていく。

 御礼の頭上二十センチほどの高さで、チョウチョが飛んでいた。その距離を保ったまま、チョウチョが上に飛び、それに御礼が引っ張られているようだった。御礼は伸身のまま、義継でも一気に飛び越えられない柵より高く跳んでしまった。いや、飛んでいると言うべきなのかもしれない。

 これまで母ちゃんの術は何度も見たことがあったが、こんな術は初めてだった。驚きに目を見張る。むしろ、母ちゃんでもできる気がしない。たぶん、たまに母ちゃんが言う「ケイトーが違う」というやつなのだろう。

 柵の高さを越えると、御礼が、というかおそらくメインであるチョウチョがゆっくりと下り始めた。ただし、下りの方が上るスピードより速い。

 突然、これまで黙って見守っていた義継に選択を迫る瞬間がやって来た。

 ゆっくり下りてきている御礼の近くで通常の物理法則が働いていないのはわかっていた。その影響で、御礼のスカートもふんわりと浮かび上がり始めたのだ。御礼のスカートは一部の女子のように短くなっていない、いわゆる標準だったが、それでもこのままだと、太ももの奥まで見えてしまう。そして、術に集中している御礼は、それに気づいていない。

 健全な男子として、義継もスカートの奥に興味がないわけではなかったが、気付いていない相手にそれを一方的に鑑賞するのは、はばかれた。いや、こういうモノは、相手が気づかないから成立するとも言える。

 義継は、邪念を追い出そうと、首を左右に振った。やはり、騎士道として正しくない。義継は両目を閉じたが、そうすると印象に残った白い太ももが、脳裏に浮かんでしまった。慌てて、目を開けると、顔を逸らし、それでも首が動いてしまいそうになるから、くるりと背を向けた。

 しばらくして、後ろで御礼がフーッと長く息を吐くのが聞こえた。着地して、集中状態を解いて居るのだろう。

「ほら、どう――って、なんで見ていないのよ!」

 義継が振り返ると、御礼は片手を腰に当てて軸足に体重を掛ける例の姿勢を取っていた。チョウチョは疲れたのか、御礼の頭の上に乗っていた。義継は少し困ったが、正直に言うべきだろうと結論を下す。

「あのな。その術、フワーッと移動しているのは知っているか? 上っている時はいいけれど、下っている時は空気抵抗のせいか知らないが、スカートが、その、捲れあがってだな……」

 さすがに言いづらく言葉を濁したが、ちゃんと伝わった。御礼は、今更顔を真っ赤にして慌ててスカートの前を押さえた。

「見たの!?」

 ついさっきまでは「見ろ」と言っておきながら、急に「見るな」と意見を変えられるのは理屈としておかしい。が、気持ちは理解できる。

「だから、顔を逸らしてたんだよ」

 本当はちらりと見えてしまってから慌てて顔を逸らしたのだが、時には嘘を吐くのも必要だと思う。

 恥ずかしさからか信頼していないからか、御礼はムスッとした顔で義継をしばらく見ていたが、やがてぽつりと言う。

「ありがとう」

 義継は肩をすくめた。礼を言われるほどのことでもない。

「ンでもねえよ。フカコーリョクとかいう言い訳するには、間がありすぎたしな」

 ……何か間違ったようだ。義継が顔を上げると、御礼が睨んでいた。考えたところで、自分の頭ではすぐにはわからないとわかっている義継は、ごまかすためにも話を進める。

「で、話って何なんだよ?」

 うまくいった。御礼はハッと思い出したような顔になって、話し出す。

「美濃部くん、領内(りょうない)くんが言ってた事、覚えている」

「リョウナイ?」

 義継は、人の名前を覚えるのが苦手だ。クラスの男子もまだ半分くらいしか顔と名前が一致しない。その中に、リョウナイというヤツがいたのかな、と考えていると、御礼のヒントをくれた。

「覚えてないの? ほら、前髪が……」

 言いながら、御礼が片手を横にして、おでこから目までを隠した。それで義継の頭の中にも姿が浮かぶ。妖魔事件に首を突っ込んだ一年生だ。

「あ、アイツな! アイツがどうかしたか?」

「だから、言っていた事!」

「……いや、覚えてない」

「……妖魔について、聞いてきたでしょ? 『結界内なのに、どうして妖魔が入ってきた』って」

 結界と言われて、頭に浮かんだのは、母ちゃんが賽銭箱の周りに施した血の結界だ。あれは、義継が未熟だったから追い込まれた結果だった。

 御礼が答えを待っているのに気づいた。義継は首を左右に振る。

「覚えてない」

「もう、なんでこんな重要な事……」御礼はイラついていたが、急に小さく首を左右に振って落ち着く。「でも、普通はそういうものかもね」

 その時、遅れて、あの変わった髪型の男子がそのような質問をしていたのを思い出した。確か御礼は答えられなくて、不機嫌になっていた。義継があの時、すぐに離れたのは、クラブ活動へ行くためだけではなかった。不機嫌な御礼から早く離れたかったのだ。

「あの時はわからなかったけど、後から、そうでもないな、とわかったのよ」

 義継が見つめる意味を御礼は理解した。そう判断した訳を話す。

「お母さんに相談したら、『前提が間違っているかも知れない』って」

「前提?」

「そう。結界内に妖魔が侵入して、二年生の女子――えーと、確か天宮あまみやさんだったかな――に憑依したんじゃなくて、結界の外で憑依された天宮さんが登校してきて、発異(はつい)したのが午後だったという見方」

「……妖魔の憑依って、すぐ暴れ出すわけじゃないのか?」

「まあ、そこがちょっと問題なのよね。まず、美濃部くんの質問については、『ノー』ね。病気の潜伏期間のように、妖魔憑依にも発異までの時間がある。ん? でも『発異』っていうのも微妙ね。本来は、憑依が完了して行動が大きく変化するタイミングの事を示すんだと思うけど、憑依が始まってからすぐも異常はあるはずよね。そしたら、ここも大きな意味では『発異』と呼ばれるべきで……」

 御礼は言葉の意味にこだわっていたが、義継はあまり気にしない。世間で共通の意味がどうというより、この場でわかればいいからだ。そう思っているのが顔に出ていたのか、御礼は義継の顔を見て、話をぱたりと止めた。

「ともかく、憑依された時から異常はあるわけ。聞いたことあるよね? 悪寒がするとか、頭痛がするとか、肩が重くなるとか、幻聴が聞こえるとか」

 最後の例には苦い経験があった。ついぶっきらぼうに答えてしまう。

「ああ」

 幸い、説明に集中している御礼は、義継の態度を気にしなかった。

「そういう期間があってから発異するんだけど、その期間って短かったら一分もかからないし、長くても一時間以内だと思う。でも、この天宮さんって、登校時に憑依されていたとしたら、発異したのは午後だから、三時間以上耐えていたことになるのよ。そこがちょっと引っ掛かるのよねー」

「それだけその女子がタフだったってことじゃねえのか?」

「うん、それもある。特に、天宮さんに取り憑いたのは、暴力タイプでしょ? あ! その前に、タイプ別について説明しておいた方がいいかな?」

 学校の勉強として説明を聞いていると眠くなるが、御礼の話は退屈さがなかった。自分に欠けていて必要な知識とわかっているからだろう。

「ああ」

「まずは、暴力タイプ。憑依されたら、暴力的になって周囲の人に襲い掛かるようになる」

 知っている。義継は頷いた。

「次に、不調タイプ。さっき言った、憑依時の違和感がずっと続いて、それが重くなっていくタイプね。たぶん一番多い憑依妖魔のタイプだと思う。原因不明の病気として認識されるわ」

 これも、そう言えば、よく聞く。

「最後が潜伏タイプね。暴力タイプと同じように、人を襲うんだけど、見境なしじゃなくて、例えば二人きりの時とか、すぐに妖魔だとバレないように行動する」

「プリテンダーだな」

「うん、そうとも言われるね」

 プリテンダーの恐ろしさは、小学校の頃から教えられていた。妖魔戦争の時は特に多くのプリテンダーが出たらしく、社会が大混乱したと聞いていた。

「実際には、見境なしに襲わないってだけで、やっぱり元の人とは違う、って一緒に生活している人ならわかるみたいだけど」

 それも学校で教わった。だから急に言動がおかしくなった人に注意するよう言われている。ただし、これは生活指導の口実として使われてもいるので、鵜呑みする気にはならない。中学デビュー、高校デビューしたいヤツもいるだろうから、そういうヤツの思いを抑え込むのに妖魔の存在を利用するのはちょっとやり過ぎだ。

「ここで話を戻すと、天宮さんの例は暴力タイプよね。だけど、発異までにかなり時間がかかっている。これを、美濃部くんが言ったように、天宮さんに抵抗力があったと考えても、やっぱり長すぎるのよね」

 御礼は両腕を胸の前で組む。考えながら言っているようだ。

「霊力の多い少ないは生まれつきの素質が大きいから、天宮さんの霊力が大きくて、憑依してきた妖魔が、天宮さんを操るまでに手間取るのはありうる。でも、なんていうか、自己免疫みたいに、天宮さんの中で妖魔と戦っているわけだから、妖魔がそれだけ手間取っているということは負けて消失しちゃうはずなのよね」

「そうか。憑依された方も、何も殴られっぱなしじゃないわけか。地力で倒しちまうヤツもいるんだな」

「そうそう。その自力解決が不調タイプだったりしたら、もう『風邪で一時的に体調が悪かった』というのと区別つかないし」

「ふーん。……だったら、どういうワケなんだ?」

「幾つか考えられる道筋はあるんだけど……。一つは、最初憑依したのが不調タイプで、それが時間をかけて暴力タイプに変化したってパターンね。さっき言った三タイプって、一説には順番に変化していっているんじゃないかというのもあるから」

「ふむ。なるほどな」

「これは裏付けを取る方法があって、もし天宮さんが登校時から体調が優れない状態が続いていたなら、ありうるって理屈になる」

「確かに」

「だから本人に直接話を聞けたらな、と思ったのよ」

「……本人じゃなくても、具合が悪そうにしているなら、周りも気づくかもな。それなら、聞くアテがないでもない」

「ん? 美濃部くん、二年生の人に知り合いがいるの?」

「知り合いっていうか、うーん。……二年生に、髪の毛を赤く染めているヤツいるだろ?」

「うん。二年生かどうか知らなかったけど、赤い髪の毛の人がいるのは知ってるよ」

「その先輩、憑依された女子のツレっぽいんだよな」

「え! ……じゃあ、天宮さんって不良なの?」

「うーん、どうなんだろうなあ。赤毛の先輩が一方的に好きな女子かもしれないけど。仲の良いツレなら、『頭が痛い』とか聞いていたかもしれないだろ?」

「……ええ。そうかもしれない」

「で、それがわかったところで、どうなるんだ?」

「それは、さっきの話にはまだ続きがあって、他の道筋として、やっぱり単純に、お昼頃に暴力タイプの妖魔に憑依されたかもしれないのよ」

「……でも、それって結界のせいで、学校内に入って来れないんじゃ? あ! そうか、昼間に学校を抜け出して戻って来たかもしれねえってことだな」

「え!? そ、そういえば、そういう道筋もある……かもしれないわね」

「なんだ、違ったのか?」

「違うと断言できるわけじゃないけど、私が考えていたのは、結界の切れ目から妖魔が侵入してきたかもしれない、という道筋」

「結界の切れ目?」

 言われても、義継にはイメージしにくい。

「そう。いくら日下先生が結界を張るのに長けているとしても、切れ目一つ残さず綺麗に結界を張れるとは限らない。ううん、若くて経験が浅い分、そういう切れ目があると考える方が自然よね」

「そういうもんか?」

 御礼の言うとおりかもしれないとは思うが、何か引っかかる。その表情に気づいたのか、御礼は義継のモヤモヤに関わる告白をする。

「……実は、今までの話の大半は、お母さんに相談して教えてもらったことなのよ」

 義継は納得した。モヤモヤは、結界を張った者が未熟だ、と指摘している者がずっと若いことだったようだ。おかげでそのモヤモヤは晴れた。

「妖魔がトイレに逃げたと言われているけど、そこがまさに切れ目になりやすいのよね。排水溝だけじゃなく、便器の一つ一つが下水道に繋がっているわけでしょ。だから、理屈としてはそこから侵入してくることが考えられるのよ。便器一つ一つまで封印を施していくのは大変じゃない。まして、それってすぐに汚されるわけじゃん。休憩時間ごとに全ての便器に霊的な蓋をしていくって、実質無理よね」

「じゃあ、実は、トイレは全部危ない場所なのか?」

「そうね。人が多数利用する公共施設であれば、どこも危ないと言えるかも。『トイレの花子さん』の話が全国の学校で広まっている理由もこのあたりにあるのかもね」

「そっかあ。……じゃあ、この学校もいくら周りに結界が張られていても無意味なのか」

「無意味ってわけじゃないわよ。妖魔同士、TREEで連絡し合っているわけじゃないから、下水道からなら入れると広まっているわけじゃないし、トイレも便器一つ一つは無理でも出入口に封印を施すならまだできるだろうし」

「へえ、なるほどなあ。……つーことは、先週憑依された女子はトイレが現場、ってことか?」

「そう。そのあたりを確認したかったのよねえ」

「ふーん。いやあ、なかなかタメになるな。……で、その話をするために、ここに呼んでくれたのか?」

「ううん。これからが本題。……結界に切れ目があって、妖魔が少数侵入しているなら、それを探し出して、弱い相手なら私とアゲハでやっつけてしまおうかな、と考えてて――」

「なるほど。そして、俺はその護衛(ガード)をするわけか」

 直接言われる前に役目がわかった。義継は頷く。

「いいぜ」

 御礼は目をぱちくりさせていた。驚いているようだ。

「あ、ありがとう。……前も思ったけど、美濃部くんってこういう判断、すごく早いよね」

「ん、そうか?」

 義継に実感はない。そうなのだろうかと考えてみて、自分の感覚だから、それが標準になるのが当然だ、と気づく。

「うん。……それに、誘っておいた私が言うのもなんだけど、怖くないの?」

「怖い、か……」

 義継は自分の心の中を探ってみる。怖さより先に見つかったのは怒りだった。自分の無力さ未熟さに対する怒り、苛立ち。早く経験を積みたいという焦りがあるせいで、妖魔に対する恐怖はよく見えなくなっていた。

「うーん、本当は怖がらないといけないんだろうな。でも今はそれより……」

 本音を漏らしかけて、義継は慌てて言葉を呑み込んだ。本音を漏らすと、そこから掘り起こされて、見直したくない事実を見直さなければいけなくなってしまう。

「つーか、それって、そんなに危険なのか?」

 話を逸らすと、御礼は手を左右に振った。

「ううん。全然そんなつもりはないから。もし手に負えない妖魔に出会ったら、無理せずに引き上げる。そういう時にこそ日下先生を頼ればいいんだから」

 御礼の話は、義継の苦い思い出を思い起こさせた。話したくなくてしばらく黙ったが、御礼が同じ過ちを犯すのは避けさせるべきだろう。そうでなければ、義継たちが失敗した意味はない。

「いや、そういうのってさ、無理だと気づいた時はもう手遅れな場合だってあるんだぜ」

「……そ、そうよね」

 御礼が深刻な顔になった。義継が引っ張り込んでしまった。義継は、両腕を胸の前でクロスに組んだ後、一気に両腕を開きながら落とし、大きく息を吐く。おかげで幾らか気持ちがリセットできた。

「だからといって、危険にちっとも近づかないなら成長もねえからな。結局は、運、なのかもしれねえな」

「運か……。やっぱり止めとく?」

 御礼が小首を傾げた。義継はその目を見つめて、御礼が怖じ気づいたわけではないのだと探り取る。それなら、どういうつもりか考えて、義継は小さく笑った。

「どうしたの?」

「いや。俺が『じゃあ、止めておく』と言っても、御礼は一人でやるつもりなんだろ」

「……どうかなあ。すぐはしないかもしれないけれど、やっぱりそうするかも」

「だったら、ガードが付くしかねえだろ。術者は、術を使っている間無防備なんだから」

 実際、飛んでいた御礼は、実に無防備だった。

「あ、ありがとう」

 御礼が目を逸らした。義継が、何を思い出しかけたのか読まれたのかもしれない。ごまかすために、思い浮かんだ質問をぶつけてみる。

「妖魔を探るのって、やっぱ、髪の毛にフッと吹きかけるのか?」

 これに対する御礼の態度は、義継にとって意外だった。キョトンとした顔をした後、眉を寄せたのだ。

「何それ?」

「え? 妖魔の探知の術。髪の毛フッ、じゃないの?」

「そんなの聞いたことないよ。何それ?」

 さっき言ったことを繰り返しているくらいなので、本当に呆れているらしい。御礼は思い当たらないようだ。そういえば、母ちゃんはあまり正式な術者じゃないという話を度々聞いていた。

「いや、母ちゃんはそうやるからさ。そっか、ケイトーが違うってやつかな」

 御礼がじっと見つめてきた。疑わしいような目つきだ。その目力がどんどん強くなる。何を責められているのかわからないが、義継は居心地が悪くなって半歩下がる。

「ちょっと待って。もしかして、美濃部くんのお母さん、術者?」

「あれ? 言ってなかったっけ?」

 義継にとって、母ちゃんが術者なのは当たり前だ。だから、御礼が術者だというのを聞いて思ったのは、「母ちゃんと一緒だな」という感覚だった。その一緒なイメージが広がったものだから、御礼も義継と同じような認識だという気になっていた。

「聞いてない。初耳!」

 御礼は驚くだけじゃなく、怒り始めていた。義継は、すぐに火消しを試みる。

「そうか。じゃあ、今言った」

 火消しは失敗した。御礼の眉が吊り上がる。あっさり言い過ぎたせいかもしれない。

「もしかして、お父さんも術者とか?」

 嫌な話題に踏み込まれたが、これはうまく振り払えるかもしれない。

「あ、いや、それは違う。別に術者としての才能はなくて、オレと同じで凡人。だからAMSを着て、母ちゃんを手伝っている。オレがここに入ったのも、術者としての才能はないから、父ちゃんと同じように――」

 義継は話を止めた。途中から、御礼の表情が変わったからだ。何か思い当たったように視線を落とすと、ブツブツ呟き始める。

「……もしかして? いや、でも……美濃部くんだし……」

 名前が聞こえたので自分についての事だろうとはわかった。質問すべきか迷っていると、御礼が急に顔を上げた。その視線は強かったが、迷っているのも感じ取れた。

「美濃部くんって、もしかして……紫村(しむら)くん?」

 義継は仰天した。入学してから一番驚いたのは、誰も居ないと思っていたこの屋上で御礼に声を掛けられた時だったが、今回はそれを超えてきた。あの時は体が反応したが、今は、口を開いたのに言葉がすぐに出てこなかった。御礼を指差すと、義継はよろよろと下がる。

「……な、な、なんでそれを」

 ハッと気づいた義継は、突き出していた腕を戻して胸元に寄せる。

「まさか、心を読んだのか!?」

 御礼も驚いた表情をしていた。だが、心を読んだのかと聞くと、目の色が戻り、首を左右に振る。

「ううん。単なる……推理ってやつ?」

 そう言われても、義継の頭は働かない。ただでさえ頭の回転は良くないのに、驚いているのだから尚更だ。

「AMSを着て退魔活動をしているってことはフリーランスでしょ? だったら、東京や関西なんかと違うんだから、そんなに数はいない。まして、奥さんが術者で、夫婦で退魔しているなんて、ここらじゃ『レディ&ナイト』くらいしかいないでしょ?」

「ん? なんだ、そのナントカナイトって?」

 聞いたことのない単語だったので、よく聞き取れなかった。

「あ、ごめんなさい。今は確か……『紅蓮ぐれんの騎士』だったわね」

 そっちは知っている。義継は頷く。

「やっぱり、そうだったんだ!」なぜか御礼は嬉しそうな顔をしたが、それはすぐ曇る。「あ、でも、名前が違うってことは……離婚?」

 御礼は、気まずい話題に踏み込んだというより、本当に悲しそうな顔をしていた。なんか悪いなと思えて、義継は慌てて手を左右に振る。

「いや、そういうわけじゃなくて」否定してから、そうでもなかったという事を思い出す。「あ、いや、まあ、法的にはそういうことになっているんだけど……」

 御礼が小首を傾げる。当たり前だ。義継の言った内容がグチャグチャだからだ。

 義継は観念した。ここまで来たら、言うしかない。大きく息を吐くと覚悟を決める。しかし、口にするつもりの言葉を胸にためただけで、目頭が熱くなった。涙がこぼれないように、瞼を閉じる。

「……父ちゃんは、鬼にやられた」

 ハッと息を呑む音がした。脅かすつもりも、傷つけるつもりもなかったが、事実だから仕方ない。

「え!……その…………ごめんなさい」

 下を向きながら、義継は口元を緩めた。別に謝られることではない。むしろ、義継たちの方が謝るべきなのだ。

「いや、いいよ。……三ヶ月近くも前の話だしな」

 ようやく、義継は前を向いて目を開けられた。

「え!? そんな?」

 御礼の驚きは理解できた。義継は頷く。

「ああ。秘密にしていた。警察には一応伝えていたんだけどさ。『近隣の住民を不安にさせると妖魔が出るかもしれない』って言われて、なんとなく伏せるように指示されてさ」

「……そうね。一説には『不安や恐怖の負の感情が集まると妖魔を招く』と言われているわ」

「でも、正直言うと、オレも母ちゃんも未だになんか受け止められていない所があってな。話したくないから、ここに入学する時も名前を母ちゃんの旧姓に変えたんだよ。オレは偽名、っていうか仮の名のつもりだったんだけど、こないだ法的には本当にそうなっているって知ってな。まあ、そりゃそうだよな。入学願書で嘘を書いたら、ダメだもんな」

 軽く笑いながら言えた。意外にも、一旦口にすると、気持ちが楽になった。

「……確かに、AMSを学びに来ている場所だから、紫村しむらさんの名前だったら、すぐ『紅蓮の騎士だ!』ってなるもんね」

「まあ、でも、もうじきにバレるんだけどな。母ちゃんが取材を受けたから」

「え! そうなの?」

 御礼は詳しい話を聞きたそうにしたがっていたが、義継の方が嫌だった。初めての妖魔退治だったが、後味の良いものではなかったからだ。話を逸らす。

「それがいつ公表されるは、良く知らないけど。明日か、それとも一ヶ月後か」

「ふーん」

「そういや、前から思ってたんだけど、御礼の方は、なんでここに来たんだ? 術者だったら、御剣(みつるぎ)へ行くんじゃないのか? 母ちゃんも、そこへ行ってたのに」

 義継は、術者としての才能がないから良く知らなかったが、京都には全国から術者の卵が集まる専門の学校があるというのは有名だ。

「あ、わかった! 将来、ガードをやってくれるヤツを見つけておこうってハラだったのか」

 義継は、両手をポンと打つ。しかし、そこで少し困る。義継は、紅蓮の騎士を受け継いで、母ちゃんのガードとして生きていくつもりだった。そして、いずれは、母ちゃんの才能を受け継いでいるだろう蒼次郎の盾としても働くだろう。だから、いわば先約が付いている形で、今は御礼のガードを務められるが、いずれは専属のガードを別に見つけてもらわなくてはいけない。

「いや、そんなんじゃないわよ!」

 義継の見方が意外だったのか、御礼は少し笑って否定した。

「でも、術者が無防備な間、守ってくれるガードが――」

「そのガードって発想は、本来なかったのよ」

 説明を割り込まれた。言われた内容が意外だったので、義継はあっさり止まった。

「え!?」

「だって、本格的に妖魔に対してガードができるようになったのはAMSが登場してからでしょ。開発段階から見ても、十年は経ってないんじゃない。最近よ。でも、妖魔との戦いは、ずっと前から続いている」

「その頃は、どうやって妖魔と戦っていたんだ? ん? そういや、AMSが出てくる前から父ちゃんは母ちゃんのガードしてたって言ってたな」

「それは、レディ&ナイトが特別なだけよ」

「……さっきも言ってたけど、なんだ、そのナントカナイトってのは?」

「え? レディ&ナイト、知らないの? 息子なのに?」

「……悪かったな、知らなくて」

「あ、ごめんなさい。そう言えば、私もお母さんたちがどうやって付き合ったとか聞かないもんね。子供はそういうものかも」

「それはいいから、ナントカナイトって――」

「はいはい。レディ&ナイトは美濃部くんのご両親が――あ、本当は紫村だっけ?」

 義継は片手を払った。

「今までどおり美濃部でいいよ」

 最初は慣れない呼ばれ方だったが、さすがにもう慣れてきた。それに、御礼に紫村と呼ばせると、みんなの前でもそう呼ばれた時に、話がややこしくなりかねない。

「うん。じゃあ、美濃部くんで。……そう、美濃部くんのご両親が学生時代にやっていた退魔士としての――屋号って言ったらいいのかな――とにかく、呼び名よ」

「へえ。……いや、俺は二人が学生時代から一緒に戦っていたのは聞いていたけど、そういう名前だったのは知らなかったな」

 言ってから、その理由もなんとなくわかる。子供に対して言うのは恥ずかしい名前だからだろう。

「実は、私のお母さんがレディ&ナイトのすごいファンで! 『ああいった夫婦の関係、憧れる』って感じなのよ。だから私も聞いたことがあったの」

「そうか。わかった。ありがとう」

 いつか母ちゃんにレディ&ナイトについて冷やかしてやろうかと考えたが、想像して止めた。逆ギレされるか、ノロケられるかのどちらかだ。どっちも嬉しくない。

「でも、そっか。美濃部くんはレディ&ナイトの息子さんなんだよね! 考えてみたら凄いよね。ううん。クラスのみんなにとっても紅蓮の騎士の息子なんだから、打ち明けたら今以上に人気が出ちゃうね」

 義継はそんな事を望んでいなかった。しかしこれは、話さなくてもわかるはずだ。義継は、黙って御礼を見つめる。御礼はほどなくその意図を理解する。

「……そうね。話さない方がいいわね。というか、これでようやく交換条件成立ね」

 交換条件というのは、御礼が術者の家で育ったという話だろう。確かに、考えてみたら似た者同士だったというわけだ。

「ああ、そうだな」

 フーッと息を吐くと、御礼が背を伸ばした。

「でも、これで今まで気になっていたことが色々納得できた。だって、美濃部くんって術者について妙に詳しいところがあるくせに、あまり興味がなさそうな変な感じだったんだもん。術者の息子さんだったら、私なんかを怖がることもないしね。――あ! それで桑実先生に勝てたんだ。紅蓮の騎士の息子さんだからね」

「いや、それは違うだろ。名前だけでは勝てねえから」

「もちろんよ。そうじゃなくて、それだけ訓練を積んでいたんだなという意味」

「……まあ、そうかもしれないが、勝てたのはたまたまだ」

 桑実先生との戦いについて褒められるのは、あまり嬉しくない。自分が過大評価されているというのがわかるからだ。事実を言っているだけなのに謙遜だと思われるのも、ずれていて嫌だ。義継は、話を戻す。

「じゃあ、オレの親は変わり者って事にしても、他の術者はガードなしにどうやって戦っていたんだよな?」

「そ、それは普通に、術者が妖魔に対して――」

「いや、無防備状態の守りはどうなんだ?」

「そ、それは、たとえば、憑依された人がいたとして、それを調伏(ちょうぶく)しようとしたら自然と相手も動きを止めるから問題なかったんじゃないかな」

「……そうか。……でも、相手が複数の時はどうするんだ? 一人に集中している間、無防備だろ?」

「その時は、術者も二人いればいいだけじゃない!」

 ヘリクツだと思われているのか、御礼がイライラし始めた。が、ふと思い出したように付け足す。

「そう言えば、お兄ちゃんが今の美濃部くんの言ってたような事をお父さんに言ってた事があったな」

「へえ。御礼にはお兄ちゃんがいたのか」

 単純に興味を持っただけだが、なぜか御礼は顔を赤くした。

「な、なによ。……別にブラコンとかじゃないんだからねっ」

「こっちこそ、別にそんなつもりで言ってねえよ」

「……ともかく、お(にい)は……お兄ちゃんは、術者も護身術が必要って言って、お父さんと大喧嘩して、でも結局、合気道を習いに行ってた」

「へえ。合気道ねえ。強いのか?」

 さらに興味が湧いたが、御礼にきつく睨まれる。

「ちょっと、お兄ちゃんを投げ飛ばそうとか考えてるんじゃないでしょうね?」

「い、いや、別にそういうつもりでは……」

 否定はしたが、内心、強ければ手合わせしてもらいたいと思っていた。

「でも、あいにく、お兄ちゃんは今、御剣に通っているから、こっちには居ないの」

「そっか。……いや、そうだよ、御剣! なんで御礼も御剣に行かなかったんだ?」

「何よ、その言い方! 私がここに来ず、御剣へ行っておくべきだったと言いたいの?」

 何か機嫌が悪くなるところを踏んでしまったのか、御礼が噛みついてくる。理由がわからない義継は引いて距離を取るくらいしかない。

「いや、そういうわけじゃないよ。ただ、疑問に思っただけだ」

 御礼はため息を吐くと、拳でコツンと自分の頭の横を叩く。

「ごめんなさい。卑屈になり過ぎてたわね」

 御礼は目をつぶり、視線を落としていた。義継も、自分が同じようにして気持ちを整えていたのだから、そっと見守る。やがて、御礼は大きく息を吐いてから話し始める。

「実は、私、家の中では落ちこぼれなの。家族の中で一番、術者としての才能がないのよ」

 実情を知らない義継は、気軽に口を挟めなかった。だけど、才能というのは、目で見てはっきりわかるたぐいのものではない。要領よく覚えていく者もいれば、覚えが悪くてもしっかり身に着く者もいる。全く才能がないのでない限り、かなりの時間が経たないと本当に才能があるかないかは判断できない。そして、御礼は少なくとも、目の前で術を使っていたのだから、全く才能がないわけではなかった。

「……まだ決めつけるのは早くないか? もし今の時点での能力って話なら、経験がない俺たちは不利だ」

「ありがとう。……そうかもしれない。でも、高校になった時点で、退魔の経験が一度もなかったのは私だけなのよね。ううん。お母さんは『高校一年生くらいだった』と言ってたけれど、あの人はおっとりしているから、慌てていなくてもそれくらいの歳にできていたという見方をすると、やっぱり私が一番下なのよ」

「退魔の経験だけで見るのは、意味がなくねえか? 実力があってもそういう機会がなければ、経験ナシなんだしよ。伸びしろがどうとかいう話もあるし」

 義継は、御礼を励ますためだけに言っていなかった、半ば自分にも言っていた。

「それに才能がないならないで、頑張るしかねえだろ」

「……そう。そうよね。だから、これが私なりの頑張り」

 伏し目がちだった御礼が顔を上げた。いくらかすっきりした表情になっていた。

「AMSって、術者にとってはある意味商売敵なの。いわば術者が独占していた退魔の仕事を、術者の才能がない人でもAMSがあれば参入できるじゃない?」

 義継は頷きながらも意外に思った。才能のない側からすると、ようやく術者だけに負担を掛けずに済むと考えていたからだ。それを迷惑がられているとは思っていなかった。

「お父さんもかなりAMSの事が嫌いで、私が三徳高校の特別介護科へ行きたいって話をしたら、かなり怒って……。でも、『敵を知れば対策も考えられる』と言ったら、話が通った」

「するってーと、御礼は、AMSの弱点を探りに来たのか?」

「ううん。お父さんに行ったのは方便。本当にそういうつもりだったんじゃない。私は、AMSを術者の敵だと撥ねつけるんじゃなくて、術者としても利用できる所がないかを調べたかったの。それがうまくいったら、才能の差も埋められるかもしれないでしょ?」

 義継は、納得した。頷く。

「もし、それがうまくいったら、それが御礼の才能って事だな。自分なりに努力して道を見つけているからさ」

 御礼の顔がぱっと輝いた。そこまでは思いついていなかったらしい。

「そうね。そうなるといいな」

 そこまで喜ばれると、妙にこちらが恥ずかしい。

「じゃあ、話ってのは、妖魔退治を手伝ってほしいって事だったんだな。いつからだ? 今か?」

「い、今って、そんなに急いではいないって。こっちにも準備が必要だし」

「そういや、そうか……。じゃあ」

 そう言って義継は去りかけたが、柵に手を掛ける前にある事を思いつき、振り返る。

「あ、そういや、オレも相談に乗ってほしいことがあったんだった」

「あら、何かしら。私でよければ」

「クラブ活動についてなんだけど、運動部って三つ……いや四つ掛け持ちできねえもんかな?」

「そんなに! 多すぎでしょ。何を掛け持ちしたいの?」

「剣道、柔道、合気道、あと陸上」

「陸上? ……前の三つはわかるけど、陸上部は意外」

「オレも最初は、スタミナつけるために長距離走するんだったら陸上かな、くらいしか思ってなかったんだけど、見学したら、砲丸投げと槍投げが面白そうだなあと思ってな」

「……それって、また戦いに関係するものって事?」

 呆れた顔をした御礼だったが、すぐに納得する顔に変わる。

「ああ、そっか。美濃部くんにはフリーランスという目的があるから、それでいいんだ。……でも、槍にしても砲丸にしても、戦いに使うのとは違うんじゃない? あれは当てるのじゃなくて、遠くに飛ばす競技でしょ」

「競技としてはそうだが、オレは別に、遠くに飛ばすことは考えてないからさ」

 キョトンとする御礼に、もう少し詳しく説明する。

「妖魔と戦ってると空を飛ぶ相手も出てくるかもしれねえだろ。その時に、何か投げるしかなくて、そしたら、槍投げとか砲丸投げとかコツを知ってる方が有利だろ」

「そうだけど、そのコツは遠くに飛ばす事がメインで、命中精度は二の次だから、あまりプラスにならないんじゃない」

 説明したつもりだったが、うまく伝わっていない。仕方なく、また義継は同じような言葉を繰り返す。

「だから、オレがそういうルールに縛られなければいいんだよ。例えば、槍を投げる練習の時に、ある空中の一点を目がけて投げる。それがうまくいくかどうか見極めて、高かったり低かったりしたら、角度を変えたり力の具合を変えたりして覚えていけばいいんだろ」

 御礼は何も言わなかった。ただ、今までより伝わったようで、考えている顔をしている。

「まあ、むしろ距離は出ないんだろうから、先輩たちには怒られるかもしれないけれど、『はいはい』言ってアドバイス聞いているふりをして、自分の極めたいことをやるだけさ。そもそも部活って、なんでみんな揃って、大会がどうだのランキングがどうだの競うしかないって決まってるんだよ。それぞれ違う目標があってもいいだろう?」

「…・・・美濃部くん、って、すっごく変わってるね」

 バカにされているのかと思ったが、御礼は真面目な顔をしていた。

「あ、もちろん、いい意味でよ。本当は、最初、クラブの話をされた時、『知らないわよ』って思うところもあったんだけど、そういう理由なら、私も真剣に考える。……オリエンテーションでは、確か、掛け持ちは運動部と文化部で一つずつならアリ、って話はしてたよね?」

 あいにく、義継はあまり聞いていなかったし、聞いていたとしても覚えていない自信があった。なので、御礼の記憶に従う。

「じゃあ、やっぱ、運動部を四つは無理か」

「ううん。でも、運動部を複数ってのはナシ、とは言ってなかったわよ」

 御礼がニヤリと笑った。ヘリクツだが、それを押し通すのはどうだ、と言っているのだ。とはいえ、学校でこの手の理屈が簡単に通らないのはみんな知っている。

「で、具体的にはどうしたらいいと思う。既に、クラブの先輩たちにはそれとなく、こういう感じで通いたいな、と話してみたら、猛反発食らったんだけど」

 だから、今は顔を出しにくい雰囲気になっている。

「学生相手だったら、たぶんそうなるよね。でも、顧問の先生を説得できたなら、学生たちも従うしかないんじゃないかな? 最悪、紅蓮の騎士の息子って肩書が物を言うと思うし」

 できれば、そこは最後まで知られたくなかった。父ちゃんは偉大なフリーランスでも、義継自身は半人前だと自覚している。周りから実力以上の存在だと思われるのは面倒くさい。

「顧問ってそれぞれのクラブで別だろ? そしたら、四人の教師と話さなきゃならねえのか。かーっ! 自分の選んでいる道とはいえ、厳しいねえ」

 多くの学生もそうだと思うが、義継も教師と話すのは苦手だった。しかも、相手の説教をただ聞くだけならまだしも、こちらが相手を説得しなくてはいけないのだ。始める前から無理だとわかる。それでも、やる前から諦める気はしなかった。

「それか、それより上の先生に話を通すか。校長先生になるのかな?」

 軽く言われた内容だったが、義継にとっては、暗闇に明かりが射したような気がした。義継の教師嫌いは、相手に話が通らないとわかっているからだが、あの校長先生なら話をすればわかってくれる気がした。

 義継は、ビシッと御礼を指差した。アメリカ映画だったら、抱きつきに行くくらい嬉しいアドバイスだった。

「御礼、えらい! それなら何とかなりそうだ」

 声も大きかったせいで、突然人差し指を向けられた御礼は、一旦のけぞった。が、義継が本当に喜んでいるとわかると、満面の笑顔を浮かべた。

 御礼はクラスの男子に人気があった。背が高くて、いわゆるモデル体型に近いし、義継はつり目がキツイなと思うが、美人という枠組みに入るのには同意できる。だけど、他の男子ほどカワイイという気はしなかった。一番の理由は、クラスのみんなの前では、穏やかな笑みを浮かべているが、義継と二人なら怒ったり睨んだりキツイ表情をする事が多かったからだ。きっと、二人の時の方が素に近いと義継は思っていた。

 でも、この時初めて、義継は御礼のことを、カワイイかもな、と思った。やっぱり、ムスっとしている顔より笑顔の方が良かった。そして、この笑顔は心の底から出ている素の笑顔だと思った。

 御礼が小首を傾げた。自分が見惚れてしまっていたことに気づかされた義継は、慌てて頭を左右にブンブンと振る。

「よし、そうと決まれば善は急げだ。早速、校長先生のところへ話してくるか」

「ねえ。どうせなら、掛け持ちの数五つにしたら? そうしたら曜日ごとに分けられるから管理もしやすいじゃない?」

 それはそうだ。義継は、あと一つの候補を考えるが、興味のあるクラブは思いうかばなかった。代わりに別の活動が思い浮かぶ。

「じゃあ、その一つは、妖魔退治というか調査? それでいいんじゃない?」

「え!?」

 御礼が驚いた顔をした。まずい提案だったのかなと思い始めたところで、ぼそりと聞かれる。

「でも、いいの?」

 何についていいの、と聞かれているのかよく分からなかった。日程については、空いている曜日だから問題ないし、妖魔退治の活動が怖くないかとかいう再確認だとしたら、こちらも問題ない。……何について聞かれていたとしても、思いつく限りでは、問題はなさそうだ。

「ああ、いいぜ。そっちこそ、いいのか?」

「私は大賛成よ、もちろん。だって、言い出したのは私の方だし。でも、なんていうか…………ありがとう」

 最後は、恥ずかしそうに付け加えられた。義継としては、自分のためでもあったが、御礼を手伝ってやりたいという気持ちがなかったわけでもない。

「お、おう」

 何だか妙な雰囲気になってきた。慣れないムードに、義継はお尻がむずかゆくなってきた。

「あ、あの。校長室、私も一緒に行こうか?」

 自分だけで行くより、御礼の方が賢いから助かるかな、と思った。でも、そうするためには、御礼はまたこの柵を越えなくてはならない。そうしたら、またあのスカートが――

 義継は、慌てて首を左右に振った。まずい。今、またあの場面に遭遇したら、背中を向け続けられる自信はなかった。

「あ、いや、いい。大丈夫。じゃ、オレ、行くから」

 煩悩を打ち消すためにも、義継は駆け出して、柵に跳びついた。

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