プロローグ(9)
路面電車が走る男が横切る。
その音でようやく、ここがただの住宅街で、喫茶店の前だということを思い出した。
ずっと、静寂が場を支配していたように思っていたのは、話に集中しすぎていて、周りの男が耳に入ってこなかったからなのか。
それとも、【呪い】の効果で何かの影響を受けてしまっているからなのか。
「これで無意識か……いや、【呪い】という特性上、そうなってしまうものなのかな」
「……先生。ボクには争うつもりがない、って言っても、無駄ですか?」
「…………」
静かに、不敵な笑みを浮かべられるだけ。
でも、肯定された訳ではない。
何とか説得して、見逃してもらえれば、もしかしたら……。
「だったら、ボクがその学校の仕組みを変えた変化を、また変えれば見逃してもらえますか?」
「そんなことは出来ない。言っただろ? 無意識下での変化だって。
だから出来てしまったら逆に、もっとイオリを倒す必要性が出てくる」
そりゃそうか。
世界の変化を嫌っているからこそ、転生人を否定しているのだから。
先生にとって都合のいいよう変えれるようになる、なんて言えばきっと、すぐさま【呪い】を強められてしまう。
……いや、そういえばどうして、今すぐその強い【呪い】をかけられていなんだ? ボクは。
もしかしてまだ、何かしらの条件を満たさないと、先生はボクを強く呪えないんじゃ……。
「じゃあもう二度と、この能力を使わないようにしますから」
「そうか……それは“ありがとう”」
「っ!!」
ビクンと、身体が急に震えた。
寒気とは違う、何かが直接、身体の中に入り込んでしまったかのような……。
咄嗟に、振り向いてしまう。
その入り込んでしまったような感覚が、背骨を貫通してきたような気がしたからだ。
「なん……だ……?」
背中から押し込まれたような気がしたが……何もない。
ならこれも……【呪い】か……?
だったらキッカケは……先生のお礼……?
「そっちがした約束にお礼を言って、その言葉に【呪い】を込める。
そうすればそっちが言葉と一緒に【呪い】を受け入れることになるから、そっちのその異能をすり抜けることになる」
なるほど……防御無視攻撃みたいなものか……。
そしてそれをボク自身に教えることで、より強く、体内に入った【呪い】を強くしてきている。
こうなればもう、言葉を交わせば交わすほど不利になってしまう。
その言葉の中に、どんな【呪い】が込められているのか、分かったものじゃないのだから。
「すぅ……はぁ……」
深く呼吸をしたところで、何もマシにならない。
むしろ酸素がいつもより回らない感覚のせいで、しんどさに磨きがかかっている気がする。
しんどい、と一言で済ましてしまっているが、コレは中々に辛い。
息をすればするほど、体力が奪われているような感覚。
全ての熱が頭の中に集まっているのではという辛さ。
足に込めている力が抜けていくような感じもするが、それは気のせいでちゃんと立てている。
その「立っている」という感触に、どこか自信が持てない不安感。
それでもまだ、ちゃんと立っている。
分からなくなってきているが、自分の足元を見ればまだ、ちゃんと立てていることが分かるのだ。
それがより、言葉に出来ない恐怖心を煽ってくる。
もっと酷くなる前に……対策を……。
……対策……?
何が対策だ……?
……自分の異能、か……。
ボクが望んだ……忘れてしまった……この世界に来た際にもらった、特殊な能力。
固有スキルのようなそれを……。
……あの先生が警戒し、入念に準備を行わなければかけられなかった【呪い】を防ぐ、何かを――。
「っ!!」
酷く長い思考。
けれども思考でしかないそれは、ほんの一瞬でしか無い。
……その常識はきっと、体調が万全ならばだ。
気付けばその確証の持てない足は払われ、手首を取られ背中に回され、地面に押さえつけられていた。
「ぐっ……!」
叩きつけられた衝撃で、一瞬にして肺の空気が全て吐き出されてしまう。
それを取り戻すために吸った息が再び、ボクの身体から力を奪う。
自分だけが酷い毒の中にいるかのようだ。
毎ターン体力が削られていくようなものだろうか。
「ここで大人しくしていてもらおうかな。
次第に【呪い】が身体を巡って、眠るように終われるから」
大人しくも何も、抵抗する力なんて無い。
そもそもこんな【呪い】をかけられなくても、こうして倒されれば無抵抗に倒されていただろう。
なんせボクは、頭の中に出てきた動きすら満足に取れないぐらい、運動神経が鈍いのだ。
それはさっき、後ろに跳んだだけで倒れてしまった時点で分かっている。
記憶に残っているアニメやゲームのキャラのような動きは、何の特訓もしていなければ、実はかなり難しい。
今になってそんなことが分かるなんて……。
……いや、違うか。
こうして生まれ変わったボクの人生が再び終わりそうになって、忘れていたと思っていた記憶の一部が、戻ってきているだけだ。
所謂、走馬灯。
だから今更になってそんなことを思い出している。
忘れていた記憶は大したこと無い……。
ああ、全くもってその通りだ。
覚えていることがこんな、前の世界でのアニメやゲームの知識だけだなんて……よほど、前の世界でのボクは、大したことのない人生を歩んできたのだろう。
だからこの世界に来たのだ。
今度こそ、特別な何かになれるように……。
「……っ!」
特別な、何か……。
走馬灯……。
……走馬灯とは死に瀕した際、その死を回避するための方法を、記憶が検索をかけているという。
これもまた、ついさっき思い出したことだ。
つまりこれらの思い出しは……これらの状況を抜け出すための手段となるが故のもの。
ハマっていたオタクめいたものばかりなのも。
ボクが特別になりたいと願っていた原点が、どういった理由なのかも。
「……眠るようには、無理ですね」
意識する。
集中する。
体内にある、入ってきた【呪い】とは違い、別の感覚を。
感覚――そう、感覚だ。
腕を動かすように。
足を使って歩くように。
ソレは最初から、ボクの中に当たり前にあって。
でもきっと、ずっと使い方を教えてもらえなかったから、使ってこなかった。
だって誰も、ソレを持っていないから。使ってこなかったから。
だから、教えてもらえなかった。
自分で気付いて、使わないといけなかったから。
……そりゃそうだ。
特別になりたいのなら、特別なことが出来なければいけない。
そして特別なのだから、周りから教わることなんて出来るはずもない。
だけどボクは昔から、自分で何かを作ることが苦手だった。
物として残る工作は元より、閃いて何かを発想することすらも。
だから、学ぶ必要はあった。
そのために、欲しがった能力。
アニメやゲームの主人公がよく持っていて、学ぶという意味では最強のソレ。
「だってもうボクは……自分の異能を、自覚したから」
体内に入ってきたものを自覚し、全身にあったものを認識する。
初めて、自覚して認識して、ソレを使う。
自分の中に元々あったソレを。
入っているものを、参照するように。
「っ!」
驚く先生を尻目に、中に入ってきた【呪い】を理解する。
理解するからこそ自分でも使えるし……使えるからこそ、自分の中からかき消すことも出来る。
――瞬間、息苦しさから解放された。
ラーニング能力。
それがボクが望み、ボクの中に長年備わっていて、使うことがなかったソレ。
……だけどこれだけでは、特別にならない。
周りの完璧な真似を沢山できるだけでは、特別面が出来ない。
その程度で、ボクは満足できない。
その得た真似事を、自分なりに使いこなせて初めてボクは、自分のことを特別だと思うことが出来る。
だから【呪い】を――教えてくれて、理解できた【呪い】を――強くしてくる【呪い】を、反転させる。
完全に理解できたものならば、それを自己流にアレンジできてこそ、だ。
他人を弱くするものを、自分を強くするものに。
デバフが出来るのなら、バフだって出来て当然だ。
それがボクにとっての、完全学習能力だ。