プロローグ(3)
中央の商店エリアで一度、高級住宅エリアへ向かう線路に乗り換える。
貴族エリア、とよく呼ばれたりもするが、ボク個人はこの呼び方があまり好きじゃない。
ピンと来ないからだ。
「貴族」という単語を聞くとどうにも、平民を従え命令ばかりしてきて、こちらの命なんて何の価値もないと考えている人という印象を受けてしまう。
ボクの中での「貴族」という単語はどうにも、前世の記憶として残っているファンタジー小説に出てくるものの印象が強すぎるのだ。
でもこれから向かうエリアに住んでいるのはあくまで、ただのお金持ち達が、住みやすい家に住んでいるだけのエリアに過ぎない。
そのため、この高級住宅エリアに入るために特別な審査があったりとか、通せんぼするための関所があったりとか、事前に住民票の確認をされて許可証を発行してもらっていなければいけないだとか、そうした差別めいたことはない。
……ただ、路面電車を降り、先生に続くように街を歩いていると、貧乏人が来やがった、みたいな、品定めするような視線は感じたが。
「で、どこに向かうんですか?」
高級住宅エリアに入ってすぐ手前の駅で降りた先生は、結局そのまま線路に沿うよう、降りた電車を追いかけるよう歩みを進めていた。
「もちろん、【呪い】がある少年の所だよ」
「それがどこかって話……いや、どれぐらい時間かかるんですか?」
「もうちょいってところかな」
とは言うものの、実を言うと駅を降りて既に五分近く歩き続けている。
そろそろ次の駅に辿り着きそうな気がする……というより、実は次の駅で降りてから戻ってくる方が早かったんじゃないかとさえ思えてくる。
「家にいると思ってたんだけど、どうやら今日は移動してるみたいでね」
「移動……ってことは、誰かの家?」
中央にある商店エリアの中には、電気を用いて遊べる遊技場や、アスレチックコーナーのようなものもあるのだが、ここは高級住宅エリアとして区切られているだけあって、軽く見渡したところで一軒家しか見当たらない。
ボクたちが住んでいる南の住宅地エリアでは一軒家なんて全く無く、ほとんどが住宅やマンション、残りは個人商店や公園や空き地等々といった感じなので、この辺は本当に静かすぎる印象を受ける程だ。
この静かな環境こそが、高級住宅エリアのウリなのかもしれない。
一家庭一家庭が、二階三階建てのこうした家に住んでいるのかと思うと、お金はある所にはあるんだなぁ、と思い知らされる。
「まさかこのエリアに公園とかあるように思えないし」
「さすがに高級住宅街のこの辺にも公園ぐらいあるよ。ま、ベンチとか樹がいっぱいで、子どもたちの遊び場って感じはしないけど」
ボクたちのところとは違い、地面がしっかりと整えられている。
商店エリアと同様で、馬が走ることを想定しているのだろうか。
「じゃあ、その公園にいるってこと?」
「いや……ここだね」
線路を背後に据えて見上げたその建物。
こうして立ち止まるまで意識してなかったが、ここだけは他の家とは少し違う。
入り口の近くには草が植えられ花が咲き、人を歓迎するような、入りやすい雰囲気を作っている。
ドアも一般的な家のものとは違って少し豪華そうに見えるし、中が覗けるようにガラス張りになっている部分がある。
その傍には看板の役目を担う、抱えられる程度の小さな黒板が立て掛けられている。
二階三階建ての家が続いていた中で、ここは平屋となっている代わりに少し広い。窓も多くあり、この建物の中に沢山の日光を取り入れられるよう、設計されていた。
……まあ、そりゃそうか。
ここは喫茶店だ。
雰囲気どころか、珈琲の匂いで分かる。
まさかこの世界でもあるとは。
まあ、匂いがして思い出しただけで、珈琲なんてものを今まで覚えてもいなかったんだけど。
商店エリアにある何かしらの店舗とは違って、多くの人を入れるようレイアウトを組んでいるのではなく……それでいて住宅エリアにあるような、人々が集まっているのを見せて、より人を集めようとしている感じもしない。
近くに住む人の、静かな憩いの場を提供するための場所、という感じがした。
窓から見えるその中には、テーブル席がいくつかとカウンター席があり、そのカウンターの内側にはマスターと思わしき初老の男性が後ろの棚をイジって、何やら作業をしている。
そのほんわりとした空気感が、別エリアから来たボクにしてみれば、身内や常連でなければ入ってはいけないような印象を受けてしまった。
「じゃ、行くよ」
でも先生はそんな空気を気にすることなく、黒板の前を通ってドアを開ける。
カランカランカラン……とボクがいた世界でも聞き覚えのあるドアベルの音がする中、ボクもその後に続いて店内へと入る。
木で囲まれたような店内には、小さな音量で音楽が聞こえてくる。
カウンターや椅子・ソファのその色合いと、照明と日光が程よくマッチしていて、穏やかな気持ちになる音楽と合わさり安心感を抱く。
家や店で囲まれた社会から一時的にでも隔絶できそうな、それでいて全くの別世界に行くわけでもない、癒やしに半身浴できそうな居心地の良さがあった。
そんな中に入ったボクたちを、カウンターにいるおじさんが気付いて「いらっしゃいませ」と出迎えの言葉をかけてくれる。
席を指定されないことから、好きなところに座っても良いのだろう。
格好的にこの高級住宅エリアの住人じゃないのはすぐに分かるだろうに嫌な顔ひとつしない。
やはりこういう所では店員もしっかりとしている。
「ども」
初対面のはずなのに、マスターの挨拶に馴れ馴れしく軽く頭を下げながら、先生はズンズンと進んでいく。
田舎者のように店内を見渡していたボクは、慌ててその後を追いかけ――る、という程でもない距離で、立ち止まった。
入り口から最も近い、四人がけのソファに座っている、若い男女三人グループ。
男子一人に女子二人のハーレム感があるそこはしかし、想像しているような桃色の空気感がなかった。
むしろ、ギスギスしているというか、不穏な感じがする。
「こんにちは」
そして再び、そんな雰囲気を物ともせず、隣に立った先生が空気も読まずに声をかけた。