【最終列車が出る前に】 べいっち
著者:N高等学校『文芸とライトノベル作家の会』所属 べいっち
慣れ親しんだこの街ともしばらくお別れか⋯⋯まったく、憂鬱だな。
――俺の部所にコイツが入ってきてからもう三年が経つ。その前もそのあとも、色々なことがあったが全部乗り越えてきたつもりだ。俺はもう迷わないし間違わない。
「部長、ホントに行くんですか?」
こんなとこまで見送りに来てくれて、まだそんなことを言うか? ハハッ、昨日散々説得したのに、懲りない部下だな。
「転勤は会社人の務めだからね」
若いころは転勤なんてしてやるもんかって思ってたんだけどな。今じゃすんなり受け入れて、「会社人の務めだから」なんて。よく言えるようになったものだ。⋯⋯それだけ歳をとったってことか。
「でも私は知ってます! 本当は部長じゃなくてあのバカ息子の責任なのに」
昨日からずっと言ってるよな。⋯⋯本当に、俺は幸せ者だ。
「まあ、会社としてはこんな五十路手前のバツイチのおじさんよりも将来性がある会社の御曹司を守りたいんだろう。仕方ないことだよ」
そう、仕方ないことだ。俺にはもう将来なんてなくて、時間が経てば定年で辞めるだけだからな。
「でも、だからといって青森は遠すぎます! 明らかに左遷じゃないですか!」
⋯⋯⋯⋯まあ確かに、青森は遠いよな。
会社は⋯⋯アイツは、おじさんいじめが好きなのかしらないが、一番遠い部所に転勤だなんて笑えてくる。離婚十年の節目にとんだサプライズだ、――クソくらえ。
「⋯⋯いいんだよ。それに実は僕は林檎が大好物でね。それに、今の時代は新幹線で一本だろ?」
「まあ、そうですが⋯⋯」
新幹線で青森まですぐだ。逆をいえば青森から東京まですぐ着ける。会おうと思えばすぐ会えるんだよ。
「お、雪だ。⋯⋯まさに名残雪だね。まあ、汽車じゃなくて新幹線だけどさ」
「なんですか、それ」
「イルカの歌だよ。汽車を待つ君の横で僕は~時計を~気にしてる~ってやつ。今の若い子には難しかったかな」
「知らないです」
ジェネレーションギャップってやつか。これを感じるのも今日で最後かもしれない。あっちの部所で若いヤツと仕事をするとは思えないからな。
「すごく流行ったんだ。まあ、時代かな。それより君はいいの? 僕みたいなおじさんといたら嫌な思いしない?」
⋯⋯この上辺の喋り方も、辞めることになるんだよな。
適度に距離を保って自分のことを気の弱そうなおじさんだと設定付けて。俺って喋ってたのも僕って言うようにして。アイツから私情しかない命令を受けないように、女性社員とは極力関わらないようにして。
なのに結局このザマだよ。
⋯⋯俺はコイツと距離をとることを迷い、近くにおいて世話をするという間違いをした。
全部、乗り越えてないじゃないか。俺の私情でコイツはおじさんの近くにいることになったんだ。嫌な思いをしててもおかしくないし、本当は同期の男と一緒に働きたかったと言われてもしょうがない。
「そんなこと、ありませんよ。それより、⋯⋯今の子が何を歌うか知ってますか?」
「いや、しらないなあ」
早く新幹線に乗ってさよならしよう。
「こういうシチュだと、⋯⋯初めての恋が終わる時ですね。あ~りがっと、さ~よ~な~ら~って、やつ。です」
僕が、俺が、変な勘違いをしないように。
「そうなのか。知らなかった」
もうこれ以上、コイツの涙腺を緩ませないように。
「初めての、恋。ですよ。恋⋯⋯」
「バツイチのおじさんにそんなこと言うもんじゃないよ。あ、もう新幹線が出るみたいだ」
早く到着してくれ。もう俺にはなにもできない。
「ええ~、そんな~⋯⋯」
涙を拭くためのハンカチだって差し出せないような俺に、コイツを幸せにするなんてできないだろう。
「⋯⋯名残惜しいけどここまでだよ。それに、二度と会えなくなるとも限らないんだからさ」
そう、会おうと思えばすぐ会える。⋯⋯俺は会おうと思うが、会いに行かないかもしれないけれど。
「まあ、そうです、けど。⋯⋯⋯⋯わかりました。また、会えるように。願掛けします」
「そうか。それじゃあ、またな。東京で元気にやれよ」
これでお別れだ。本当にいい部下だった。お前なら立派にやっていける。
俺が育てた部下だから、自信もっていいんだぞ。アイツからもう目をつけられることもなくなるだろうし、のびのびと好きに仕事をするんだ。
「はい。それと、部長。私⋯⋯」
それだけは言わないでくれ。扉が早く閉まって聞こえないようにしてくれないか。吹雪にでもなれば聞かなくて済むかもしれない。変な勘違いで済ませてくれれば、俺だってこんな思いにならなくて済むんだ――。
『好きでした』
最終列車が出る前に、俺も好きだと言えたなら――。
原文はシリーズ説明の部分に記載しています。