第一章 城坂織姫-05
「前が見えねぇ……」
オレに顔面をぶん殴られて、その面に赤い痕を残す村上の隣を歩きながら、オレは高等部の校舎廊下を歩いている。
ちなみに前が見えねぇと言ったのは村上であるが、しっかりと目は見開いている。見えている筈だ。
本来今は一時限目の授業ではあるものの、このままではADの実技授業を受ける事が出来ないと言われてしまったのだ。その理由説明と現状改善を行う為、クラス委員である村上がオレに色々教えてくれる、と言う事らしい。
「えーっと、何で姫が授業受けれねぇのか説明すると……姫のADを整備するパートナーがいないからだな」
もう姫や姫ちゃんと呼ばれても無視する事にする。もうクラスだけでも総計五十カウント位呼ばれているので、その分だけ殴っていたらクラスメイト全員を撲殺してしまう。
「パートナー?」
「そ。国際免許持ってんなら分かると思うけど、ADは軍用兵器で、精密機器をその装甲内に多数施されてるお高い物なんだ。それらをキチンと整備出来る整備士とパートナー契約を結ばないと、授業を受ける事ができないんだよ」
「技師を買うのか?」
「つっても、そいつも学園生徒だけどな。姫はAD学園に、何の学科があるか知ってるか?」
それ位は知っている。
まずはオレが所属する事になったパイロット科。その名の通り、ADを操縦するパイロットとしての技術を学ぶ為の学科。
二つ目は整備科。ADを整備する為の資格及び技術を身に着ける為の学科。
三つはOMS科。OMSとは、ADの操縦システム【オペレーティング・マニピュレート・システム】と呼ばれるシステムプログラムの略称で、OMS科はそれの勉強をする科である。
「パイロット科の生徒は、整備科の生徒とパートナー契約を結んで、整備科の生徒に授業用ADを整備させる。で、整備科の生徒はパートナー契約を結んだパイロットの機体を整備する事によって、技師としての技術を学ぶ――ってカリキュラムが、ウチの学校じゃ採用されてんだ」
「つまり、パートナーとなる整備科の人間を、これから探しに行くと言う事だな」
「そーいう事。で、今手空きになってる整備科生徒の所に連れてこうって思ってんだけど……まぁ九割九分九厘拒否されるかねぇ」
「なんで」
「気難しい奴でなぁ。技能は高いんだけど、誰とも契約を結ぼうとしないんだよ。なまじ技能も高いし、学園在学中に取るべき資格も全部取得済みだし、学園としても何も言えねぇのよ」
高等部の校舎を抜けて、格納庫区画へと向かう村上に付いていく。そこから見えるグラウンドでは、多くのADが立ち並んでいるが――全て同じ機体だった。
「GIX-P4【秋風】か」
「だな。もう日本にゃ、あの機体しかねぇよ」
日本防衛省の制式採用AD兵器・GIX-P4【秋風】は、八頭身のスラリと細く長い四肢を持つ、全世界で一番注目されている汎用量産型ADである。
米軍で制式採用されているFH-26の開発後、日本企業である高田重工が独自に開発を行い、製造された純国産AD兵器だ。汎用性が高すぎると言っても過言では無い、世界中の現行機では最も高性能な機体だ。日本でしか採用されていない機体なので、オレも搭乗した事は無い。
「少し楽しみだ」
「そうかい――っとと、姫。あぶねぇぞ」
「え」
村上に肩を掴まれて、足を止めたオレの眼前に。
先ほど紹介した秋風の脚部が、着地した。
一瞬の沈黙。その後に流れる冷や汗が、とてつもなく不愉快だった。着地の衝撃によってオレの身体も村上の身体もグラグラと揺れるし、着地の風圧はオレの髪の毛をふわりと揺らした。
『あ、ごめーん』
「ごめんじゃないだろォ!?」
外部スピーカーから流れる女子の音声に、思わず叫び返してしまう。
秋風の――否、ADの基本的な重量は約二十数トンに及ぶ。そんなものに踏みつぶされでもしたら、血まみれどころか肉片をまき散らして死ぬに決まってる。実際、AD兵器が着地する事を想定していないコンクリートで整備された地面はひび割れ、内面を露出させていた。
「いやぁ、間に合ってよかったなー」
アハハー、と笑いながら再び歩き出した村上の後ろを、震える足で何とかついていくと。
「姫、危ない」
「は」
「車突っ込んでくる」
「うわぁっ!」
「姫、危ない」
「今度は何だ!?」
「標識落ちてくる」
「死ぬって!」
「姫、危ない」
「もうヤだ! 何なのさ!」
「相撲部の女子が突っ込んでくる」
「ひゃあああっ!?」
高スピードを出しながら暴走するエレキカーが通り過ぎ、道路標識が落ちてきて、そして相撲部に所属しているのであろう大柄な女子が全速力で走りながら、オレの眼前を通り過ぎた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「いやー。ここまで死にそうな目にあっても生きてるなんて、姫も幸運だなぁ」
「も、帰る……オレ、アメリカ、帰る……っ」
日本、こんなに怖い所、オレ、知らない……っ!
「安心しろ生きてるって。大丈夫大丈夫」
「ていうか何でお前そんなに冷静なんだよ! 少なくともお前も巻き込まれそうになってんだぞ!?」
「毎日こんだけ死にそうな場面に遭遇しても死なないって事は、オレも相当幸運だからな!」
「……もしかして、これお前の日常茶飯事なのか?」
「そうだぞ? オレは物凄い幸運なんだぜ!」
逆。物凄く悪運が強くて、コイツいつか死ぬんじゃないか?
そう思いつつも、グッと親指を立てて、アッハッハーと笑う村上に、オレはどこか関心していた。
「お前が、少し羨ましい」
「そう言う姫こそ、焦ってる姿は可愛かったぞ?」
「……村上。歯、食いしばれ」
「え」
俺は、本日二度目となる全力の一振りを、村上の顔面へ叩き込んだ。
もう分かっただろう。オレは、可愛いと言われる事が、何より嫌いなのだ。
**
それからは、そほど不運に見舞われる事も無く(五、六回死にかけたけど)、格納庫区画へと辿り付いた俺と村上が向かった先は、整備科生徒用の格納庫である。
普段は誰も使用していない格納庫なのか、乱雑にADの部品が点在し、埃も凄い事になっている。口元を抑えながら村上に付いていくと、彼が大きな声で、人の名を呼んだ。
「おーいっ、明宮!」
名を呼ばれた人物が、格納庫の奥から姿を現した。今まで機材の影に隠れていたものだから見えなかった。
「……なぁんだ、村上君か。どしたの?」
首を傾げ、溜息をつきながら訪ねてくる人物は、女性だった。茶髪の短髪を全て逆立て、額にはタオルを巻いている。一瞬男子に見えたのだが、整った顔立ちと小さな体が、彼女を女性であると訴えていた。
整備科用の制服を身にまとい、手に持ったタブレットをスリープモードにした後、彼女は歩をこちらへと向けた。
「コイツ、転入生の城坂織姫くん」
「あー、よろしく。ボク、明宮 哨」
「よろしく。えっと、女の子、でいいんだよな」
「どーせ女の子っぽくないよーだ」
顔立ちこそ女性とは思いつつも『ボク』という一人称や起伏の乏しい体つきを見て訊ねてしまったオレの言葉に、フンッと鼻を鳴らして顔を逸らした明宮は「で?」と要件を訊ねてくる。
「転入生くんとパートナー契約結べ、って所?」
「ああ、お願いしたい」
「ヤーダよ」
オレが頼むと、断りの言葉だけを述べて、再び元居た場所へと戻っていってしまう。オレはそんな彼女の手を掴んで、引き留めた。
「なんで嫌なんだよ」
「ボク、秋風ちゃんいじりだけやっていたいんだ。君が使うADの相手なんかしてらんない」
オレが掴んだ手を強引に離し、タブレットの電源を再び入れた明宮はタブレットと、おそらく整備途中なのであろうADとを、有線で繋いだ。
「これ――」
「秋風だよ。見て分かるでしょ?」
色んな機材に埋もれていて見えなかった全貌を、今見ることが出来た。
尻を床に預けてはいるが、しっかりと四肢が取り付けられ、そして綺麗に整備されたGIX-P4【秋風】が、有線で繋げられているタブレットから、内部システムを弄られている。
調整を行う指のスピードは――今までに見た事が無い程、素早い。迷いも不安も無いと言わんばかりの速度である。
「見せてくれ」
「あっ、ちょっと!」
彼女が持っているタブレットを貸して貰い(奪ったと言ってもいい)、データを参照する。
OMSの設定、反映度や反応度の設定も、しっかりと理に適った設定が成されているし、有線接続によって機体の整備状況も万全である事が、普段現場に出ていて整備を行わないオレにもよく分かった。
「今すぐにでも動かせるし汎用性もある素晴らしい整備状態だな」
軽く興奮しながらまくし立てていると、明宮は頬をポリポリかきながら少しだけ顔を赤らめた。
「あー、ありがと。でもおだてても無駄だよ。ボクは君の技師にはなんないから」
「なんでさ。お前程の技師なら、誰かの整備をしなきゃ、技術力が勿体ないだろ」
「しっつこいなぁ……」