第一章 城坂織姫-03
日本時間、2089年6月26日、0100時。
北緯32.39度、西経140.25度、伊豆諸島近海。巡洋艦【ひとひら】艦橋。
「城坂織姫くんは、無事に日本へ到着しましたか?」
イージス艦【ひとひら】の艦橋で、艦長である霜山睦が、副官の遠藤へと問いかけた。
「はい。AD学園へと編入の手続を終え、本日から学業に専念する予定となっております」
「米軍が誇るエースパイロットだった彼も、日本に来ては無名の可愛い子供です。当然と言えば当然なのかもしれませんね」
「彼をそのまま、我々が回収する手もあったのでは?」
「彼には傷を癒す時間が必要です。子供は子供と触れ合う事が、一番の教養なんですよ」
フフッ、と笑いながら言った霜山睦の姿は、遠藤から見れば彼女こそ【子供】にしか見えなかった。
銀色の髪の毛を後頭部で三つ編みにまとめ、幼げな顔立ちを微笑ましている。身長は百四十センチあるかないかと言わんばかりの低身長で、体の起伏も乏しい。
一瞥しただけで、彼女が齢三十を過ぎた女性であると認識できる者も少なかろう。
だが身にまとう軍服に備えられた階級章を見ると、彼女が一佐の階級を与えられた士官である事が分かる。遠藤が身に着ける階級章は二佐である。
「ではお次の懸案事項――【ミィリス】は今?」
「は。諜報部からの情報ですと、現在はGermany・UIGへの襲撃準備を行っている様子です。どうにも最近、行動が活発になって参りました」
「大方、次はTAKADA・UIG、と言う所でしょうか」
「でしょうな。何とも手広く動くテロ組織です」
「そしていずれ、我々の情報も仕入れてしまう」
「それまでに城坂織姫を」
「分かっていますよ。――でも、今日は疲れちゃいました」
「お休みになられますかな?」
「はい。進路をAD学園港に向けてください。総官をお任せしちゃって大丈夫ですか?」
「アイマム。総官を引き継ぎます」
遠藤がしっかりと返事を返し、睦もニッコリと笑みを浮かべたまま、艦橋を後にした。
「――進路、AD学園港!」
「進路、AD学園港、アイッ」
その様子を見届けた後に、遠藤が発音した言葉を、操舵士がしっかりと復唱した事を、遠藤は満足気に頷きながら確認した。
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現地時間、2089年6月26日、0730時。レティーナマンション505号室。
オレ――城坂織姫が目を醒ます。見慣れない天井に、不慣れなベッドの感触。それらに一瞬だけ驚きながらも、オレは自身が置かれた状況を思い出した。
「そうか。もうアーミー隊じゃないんだ」
小さく呟く。二日ほど前まで、オレが所属していた米軍部隊を思い出しながら起き上がり、その場で軽く伸びをした。
持ってきたカバンの中からAD学園指定の制服を取り出し、部屋のドアを開ける。
リビングへと向かうと、そこには誰も居ない。先日初めて会った、妹であるという城坂楠も居ない。まだ起きていないのだろうか、と思いながら椅子へ腰かけると、机の上に一枚の置手紙が置かれていた事に気付く。
『先に学校へ行ってきます。楠』
何とも味気ない内容ではあるが、その書体は可愛らしい女子の字だった。
バスタオルを拝借し、シャワーを軽く浴びてから、制服を身にまとう。
初めて着込んだAD学園の制服は、紺色のブレザー服だ。まだ衣替えの季節では無いのでブレザーもしっかりと着込むが、あと数日でブレザーは脱ぐはずだ。
その時、部屋中にチャイムの音が鳴り響いた。ドアまで向かうと、そこにはスーツを着込んだ姉ちゃん――城坂聖奈がニコニコと笑い顔を浮かべながら「おはよ、姫ちゃん」と挨拶をしてきたので、頷き、彼女を部屋の中へ招き入れた。
「楠はもう出てるよ」
「知ってるわ。楠ちゃんは高等部の生徒会も務めているから、忙しいのよ」
「優秀なんだな」
「すぐに姫ちゃんも追いつけるわ。私の弟で、楠ちゃんのお兄ちゃんだもの」
「あのさ、その『姫ちゃん』って、止めてくれないかな」
「なんで? 可愛いじゃない」
ダメだ。この人は人の言う事をちゃんと聞いてくれる人では無いのだろう。
そう決めて、オレは溜息と共に冷蔵庫の中を見た。簡単な朝食を作れないかと思っての行為だが、そこにはラップに包まれた卵焼きとサラダが入っていて、先ほどの書置きと同じの字で『ちゃんと朝ご飯食べてね』と書かれたメモが添付されていた。
「何時にここを出ればいい?」
「今日は下に車を用意してあるから、後一時間位余裕があるけど、歩きだと十五分くらい時間かかるわ。明日からは間に合うように出るのよ。道はちゃんと覚えてね」
確か始業の時間は朝九時と言う話であるからして、普段は八時半に家を出れば問題はないだろう。
姉ちゃんの眼前で朝食を頂く事にする。ふっくら柔らかい卵焼きと彩り豊かなサラダをゆっくり食し終え、オレは牛乳を一気飲みした。