愛情-10
近付いていくと、やはり十メートル近い巨体が目を引いた。
秋風やポンプ付きで何時も目に焼き付けている筈なのに、何故かこの機体だけは、特別に思えてしまった。
初めて目の当たりにした雷神は、出撃準備が整われていない。未だに調整用ケーブルを身に着けて、整備と共にOMSの調整が成されているようだ。
目の前にいる、三人によって。
「――来たね、姫ちゃんっ!」
明宮哨。オレのパートナー技師であり、この学園で誰よりも高い整備の腕を持つ、最高の整備士。
「では、これで鍵は揃ったと言う事ですね。全く、なぜ私がこんな事を……」
明宮梢。哨の姉であり、この学園では滅多に存在しないOMS科生徒で、生徒会の副会長を務めている。
「ぼやくな明宮姉。大好きな妹の期待を裏切るのか?」
清水康彦。【天才】と呼ばれる、OMS開発史上最高のシステムエンジニアと名高い男で、生徒会の書記を務めている。
「哨達、何で……何でここに?」
「睦さんに頼まれたの。この機体を『織姫さんと楠さんが乗るに相応しい機体に仕上げてくれ』って」
「私は哨の付き添いです。可愛い妹がこんな危険な仕事に携わっているのですから、当然の事でしょう?」
「明宮姉。お前のデレはどれだけデレるんだ」
「哨の可愛さを前にすれば、当然の事です! 貴方には分からないのですか!? 朝まで語り明かしましょうか!?」
「あーもー、やめてよお姉ちゃん。すごい恥ずかしいじゃん」
顔を真っ赤にした哨が、機体整備用のエレベーターを用いて降りてくる。もう、整備は完了したのだろう。
「乗れるよ、姫ちゃん」
「えっと……助かる、哨」
「別にいいよ。その代わり後で、コーヒー奢ってね」
「……無糖な」
「分かってんじゃん。いひひっ」
雷神のコックピットに向けて、再び歩き出すオレと楠は、梢さんの隣を横切る際に、彼女の言葉を聞いた。
「城坂君。あなたのおかげで、哨と仲直りをする事が出来ました」
「よかったじゃないか」
「今度は、あなたの番です。――私に言った言葉を、どうかお忘れなきように」
「?」
言葉の真意はよく分からなかったが、彼女の隣を横切ると、今度は清水先輩の声が聞こえた。
「少しは楽しめた。礼を言うぞ、城坂織姫」
「この機体のOMSは、清水先輩が?」
「当たり前だ。秋風とは何もかも違う機体なんだ。一から十まで、完璧に仕上げてやった。お前こそ感謝するんだな」
「サンキュ。今度コーヒー奢るよ」
「あ、コーヒーは止めてくれ。苦いのは嫌いだ」
「え」
「オレは学食で売ってる二百円のバナナ・オレしか好まないんだ。それ以外は許さん」
「分かったよ、注文多いな……」
ようやく、コックピット下の、整備用エレベーターまで辿り付けた。
エレベーターに、足をかけようとした、オレと楠――しかし。再びオレ達に向けて高らかな声が、工廠内に鳴り響いた。
「ダメよ――姫ちゃんっ! 楠ちゃんっ!」
聞こえる声に、オレはすぐ、振り返る事は出来ない。未だに身体が、心が――拒否をしてしまう。
「お兄ちゃん」
だが、そんなオレの手を引いて、ダメだと訴える楠に支えられ、オレはその足を一歩だけ引いて――その人に、視線を向けた。
荒い息を整えながら、端麗な顔立ちに涙を浮かべ、何時もは小奇麗なスーツを、少しばかり乱しながら、彼女が――
オレ達の姉である、城坂聖奈が、叫ぶのだ。
「その機体には、私一人で乗る! あなた達が戦いに赴く必要なんかないっ!」
「姉ちゃん、どうしてだよ。どうしてオレが戦っちゃいけないんだよ。
姉ちゃんはオレの事を、コックピットパーツとしてしか見てなかったんだろ? だからオレの事を生徒会に招き入れたし、雷神プロジェクトの事も教えたんだろ?」
「そんなわけないでしょ!? 弟と妹が死ぬかもしれない、居なくなっちゃうかもしれないって思って、平気で居られる姉なんか、いやしないわよっ!!」
ボロボロと溢れ出る涙を堪える事無く、真っ直ぐオレ達を見つめて、想いをぶつける、姉ちゃん。
そんな彼女へ、楠は俯きながら、答えを述べたのだ。
「やっぱり、お姉ちゃんだったんだね。初期原案の雷神プロジェクトを、睦さんに語らせたのは」
楠がそう訊ねると、姉ちゃんは俯きながらも頷いた。
――全てはオレと楠が、戦いに赴く事を止める為。初期原案の雷神プロジェクトを伝え、オレの心を傷付けて――しかし、それでも。
「生徒会にお兄ちゃんを入れる様に指示をしたのも、雷神プロジェクトの人材をまとめておく事が目的じゃ無かった。ホントは、生徒会メンバー全員で、お兄ちゃんと私を、守らせる事が目的だった」
姉ちゃんは、オレや楠の事を、愛おしいと思ってくれていた。
だから、自分が例え嫌われても、オレが先ほどまで持っていた、拒否の心を抱かれようとも、オレ達の事を、守ろうとしてくれていたのだ。
――それはまるで、梢さんが哨を守る為に、嫌われてでも彼女を守ると決めた心と、何ら変わらない。
オレの心は、思いを聞いて、知る事が出来て――充実感を抱いていた。
「ありがとう、姉ちゃん。……あとごめん。オレ、姉ちゃんの事を恨んじまう所だった。姉ちゃんの事を、嫌いになるかもしれなかった」
「いいの……そんなのどうだっていいの。姫ちゃんと楠ちゃんが、幸せな世界で暮らしてくれるなら、私はどれだけだって、嫌われていい。
――だから、その機体に乗らないで。それには私が乗る」
「無理だよ。お姉ちゃんは、遺伝子操作を受けていない。AD兵器に乗れるだけの、普通の人間なんだから」
楠が否定すると、姉ちゃんはまるで、駄々をこねる子供の様に、首をブンブンと横に振った。
「そんなのどうにだってする! 何だったら私が死んだって構わない! だから――」
彼女の言葉を遮った、一つの手。それは、オレ達をここまで連れてきてくれた、神崎の平手だ。
「これは、先ほど貴方の妹君に叩かれた分です。お返しします」
彼女の平手は、姉ちゃんの頬を綺麗に叩いた。彼女の小さな手に叩かれたので、それ程痛くはないだろう。
だが頬を抑え、神崎と視線を合わせて――その上で、姉ちゃんは神崎に問いかけた。
「どうして……? 紗彩子だって、姫ちゃんが好きなんでしょう?
楠ちゃんは恋敵かもしれないけれど、姫ちゃんが死んでしまうかもしれない、貴女の目の前から、居なくなっちゃうかもしれないのに――!」
強まる声。視線と怒号は、今度は哨へと向いた。
「哨ちゃんだってそうっ! 姫ちゃんの事が好きなら、どうして止めないの!? どうして、どうして――!」
ガクリと膝を折り、ただ泣き散らす姉ちゃんに、神崎が答えていく。
「止めたに、決まっているでしょう。戦いに赴く事は良しとしないと、雷神プロジェクトとやらから、手を引かせろと。私だって彼に、楠さんに言いました。恐らく、哨さんだってそうです。
――でも、彼はその言葉に、ちゃんと応えてくれた。『大切な人を守りたいという気持ちを抱いたから、戦うんだ』と。
彼が言う『大切な人』の中には……貴女も含まれている筈です。
彼は、自分が生まれた意味だけでは無く、しっかりと自身に芽生えた想いを知り、戦うと決めたのです。
その想いを――誰であろうと、否定をしては、ならないのです」
彼女の言葉を最後に。姉ちゃんは、ただ涙を流しながら――だが、もうオレ達を止める事は、無かった。
神崎は、オレと楠に向けて笑顔を見せながら、だが力強い言葉を放つ。
「これほどあなた方を想う人たちがいるのです。負けたらただじゃおきませんよ」
「分かってる。オレ達は、勝つ」
「うん。お兄ちゃんや皆と、私たちはまだまだ――『青春』し足りないんだから」
再び、エレベーターへと足を付け、オレと楠は、ようやく雷神のコックピットへ、辿り付いた。




