愛情-08
明宮哨は、城坂織姫のいなくなったCランク格納庫の中で、ただ立ち尽くす事しか出来なかった。
――彼の手を、握り続ける事は、出来なかった。
ただそれだけを想い続け、ずっとずっと、考えていた事に思考を巡らせていると、彼女はやがて、決意したようにグッと手を握りしめ、口の中に溜まった唾を飲み込む。
哨は近くにあった整備士用カバンへ整備用コンピュータや整備用品を大量に入れていく。そして、重たいカバンを肩にかけ、格納庫を出ようとした、その時。
格納庫出入口に、一人の女性が、彼女の行く手を阻むように、立ち塞がっていた。
――明宮梢である。彼女は、キッと強い視線を哨へと向けながら、哨へ問う。
「哨。あなたは、どこへ行こうと言うの?」
「お姉ちゃんには、関係ない」
「今回ばかりは、あなたのワガママを尊重するわけにはいきません。言いなさい」
「別にいいじゃん。ボクの事は放っておいてよ。……どうせ、お姉ちゃんに言ったって、馬鹿にするだけなんだから」
「哨……!」
哨の腕を強く握りしめた梢へ、しかし哨は、いつも彼女が自身へと向ける視線を投げ返した。
「離して」
「離さないわ」
「――離してって、言ってんじゃん!」
乱暴に、梢が握りしめた腕を振ると。
梢の握力は思ったよりも弱く、勢いあまって彼女の顔面を、殴りつけてしまっていた。
「っ、!」
「あ……、っ」
ゴメンね、と言いそうになった自分の口を、結ぶ。
――これで、いいのだ。どうせこの人には、何を言ったって、無駄なのだから。
無視して歩き出そうと、哨が一歩足を進めた。……だが。
「待って、待って哨!」
「しつこい――っ!?」
梢は、すがる様に彼女の腕へしがみ付き、動きを止めようとする。振り返って、今一度ぶん殴ってやろうかと、拳を振り上げたが――
梢は、殴られたことなど、何ともなさそうに。しかし、瞳から大量の涙を流しつつ、哨の身体を、ギュッと。強く強く、抱きしめたのだ。
「行かないで。お願いだから、行かないで、哨」
「え、え……?」
困惑しかない。今この姉は、涙を流している。痛みで泣いているわけでは、無いと思う。だが彼女は確かに、頬に涙を伝わせている。
グリグリと押し付けられ、彼女の頬から感じる涙の軌跡が、哨の心にすら届くようだった。
「……何なのさ。っ、何なのさ、一体っ!!」
ただ哨には、叫ぶ事しか出来なかった。
何時もこの姉は、自分の事をバカにして。
何時もこの姉は、誰よりも自分に辛く当たって。
追いつきたい、追いつきたいと、背中を追いかけた妹の手を、姉は常に、振り解いてきた筈なのに。
――弱々しい、エンジニアとしての小さい身体で、自分の身体を精一杯、抱きしめているのだ。
「本当は……誰より貴女が大好きよ」
「え」
「貴女は私の、たった一人の妹。ううん、例え妹が百人いたとしても、私にとって、大切な妹に変わりはない」
「嘘……嘘だよ、そんなの」
「嘘じゃないわ……今まで、辛く当たって、ごめんなさい。恨んでくれてもいい、憎んでくれたっていい……でも、でもっ」
哨の身体を解き放ち。けれど、両肩だけはしっかりと掴んだ上で、梢は涙を浮かべる自身の表情に、精一杯の笑顔に浮かべながら、彼女へと言うのだ。
「――私は、貴女が大好き。貴女には、平和な世界で生きていて欲しい。
貴女が傷付くかもしれないのなら、私は鬼にも悪魔にもなってやるって、決めていたの。
だから、お願い。危険な所に行かないで。
私の……いいえ。私の隣じゃなくたっていい……平和な世界に、居てほしいの……っ」
初めて、姉の本心を聞いた哨は、今まで彼女へ向けていた敵意の感情が――どこか遠い彼方へ、飛んでいったような感覚を覚えた。
今、この姉は、本気で自分の事を思って、想いを告白してくれているのだ。
そんな姉の手を、振り解けと言うのだろうか?
――そんな事、出来るわけが無かった。
哨は、自身の両肩に触れる姉の手に、自らの手を、重ねた。
「……ありがとう、お姉ちゃん」
「哨……?」
「今まで、ボクの事を、思ってくれてたんだね」
「ええ……ごめんなさい、傷付けて。許される事じゃないって分かってる。罪だって償う。だから」
「でもボクは、姫ちゃんの所に、行かなきゃ」
――ならば、振り解かない。自分の気持ちと、真っ直ぐに向き合ってやるしかない。
「姫ちゃん……? 城坂、織姫君の所に……?」
「うん。お姉ちゃん、あのね。言ってなかったことがあるの」
「なに、かしら」
「ボク、姫ちゃんに……ううん。城坂織姫君に、恋しちゃったんだ」
「……そう」
「もし彼が、ボクの全てを欲してくれるなら、心も、体も、処女も、全部を捧げても良い。――それ位、彼を愛しちゃったの」
「大人に、なったのね。哨ってば」
「大人なんかじゃないよ。子供の恋、子供の愛……でもね」
「ええ、ええ……っ」
「お姉ちゃんが、嘘を付かないでくれるって決めたのと同じで、ボクも嘘はつかない。
――危険だっていい。辛くってもいい。ボクは誰よりも、城坂織姫君の隣に、居続けたいんだ」
真っ直ぐ、目を合わせながら、明宮哨は、たった一人しかいない姉に――明宮梢に、自身の想いを、告白した。
「……分かった」
梢は、ゆっくりと彼女の肩から、自身の手を解いて。
「なら、お姉ちゃんも連れて行きなさい。その場所に」
「え」
「城坂君が、貴女に不埒な事をしないか、貴女を危険に晒さないか、イジワル姑の如く監視してやるわ!」
「あの、お姉ちゃん?」
「もう我慢なんかしない。――たった一人の姉なのよ? それ位のワガママ、許してよ、哨」
涙を拭って、言い放った梢は、先ほどまで強く、哨の肩を掴んでいた右手を、哨へと伸ばした。
「行くわよ、哨」
伸ばされた手に、哨も手を重ねる。
「……うんっ」
――姉と手を重ねた事は、何時ぶりだったろうか。
そう考えた時に、頭に過る思い出が一つ。
小さい頃、母親と喧嘩をすると、必ず物置へ逃げていた哨を、必ず見つけ出してくれる、優しい姉の姿。
彼女は哨を見つけると、必ず手を伸ばして、こう言ってくれたのだ。
『なかなおり、いくわよ。みはりっ』
『……うん、っ』
――涙を拭って、歩き出そう。
――あの時と何ら変わらない、姉の温もりと共に。
――愛する彼が、待つ場所へ。




