愛情-05
オレ――城坂織姫は、敵襲警報が鳴ると同時に起き上がり、神崎の家を走り去っていた。
向かった場所は、格納庫区画。それも自身の秋風がある筈の、Cランク格納庫だ。
格納庫を開け放ち、自身に与えられた授業用秋風の眼前に立ったオレは――迷いの表情を浮かべながらも、機体の装甲に触れ、よじ登ろうとした。
「止まって、姫ちゃん」
「哨、か」
力ない声で、彼女の名を呼ぶ。
明宮哨は、最初こそ悩むような顔で格納庫の入り口前で数秒立ち尽くしていたが、
表情を引き締めて歩き出し、オレの手を掴んだ。
「どこに行こうって言うのさ」
「どこ……だろうな。多分、戦おうとしてるんだ」
「姫ちゃん、良く考えて。君は引き金を引く事が出来ないんだよ。
そんな状態で、テロリストの所なんて行っても、やられるだけ。分かるでしょ?」
「だけどオレには――ADに乗る以外、出来る事なんて、無い」
「関係無い。姫ちゃんが出来る事とか、姫ちゃんの出生とか、そんな事はどうだっていい。どうだっていいんだよ」
「でも、敵はきっとミィリスだ。となれば――アイツがいる」
リントヴルム。今まで戦った敵の中で、最強最悪のテロリスト。
恐怖心も無く、信念も無く、ただ強い者と戦う事を……ただ殺し合う事を目的とし、敵を蹂躙する事しか考えぬ男。
この学園の生徒が奴と戦っても、ただ死ぬだけだ。
「もし敵が、そのミィリスってテロ組織だったとしても、もう姫ちゃんはアーミー隊って所に居た姫ちゃんじゃない。その人と戦ったって、無駄死にするだけだよ」
「でも、放っておくことなんてできないだろうがっ!!」
論理的に言い返す言葉が思い浮かばず、ただ叫び散らしてしまった。
哨はオレの叫びに、ビクリと身体を震わせて、俯き――静かに涙を流した。
「……ボク、嫌だよ。今までは姫ちゃんが引き金を引けなかったのは、優しい子だからって思ってた。
……でも、違った。姫ちゃんが引き金を引けないのは、姫ちゃん自身が傷付いているからなんだ。
姫ちゃんのお父さんが何を思って、姫ちゃんが生まれる前から遺伝子を弄繰り回したかなんて。
何て想いを込めて作り上げたかなんて、ボクみたいな落ちこぼれにはわかんない。
わかんないけど……だけど、死んじゃったら、嫌だもん……」
ボロボロ零れる涙と、何時もの面影を無くし、小さく消えるような声を出す哨に、オレはただ、自分の仕出かした事に、後悔していた。
ああ、ごめんよ。オレはお前に、笑っていてほしいんだよ。
いつも笑顔の、お前が好きだよ。
いつも楽しげなお前の事が、オレは大好きだよ。
だから笑ってほしかった。笑ってほしいのに。
――オレは傷つけた。一人の女の子を。オレがADに乗ろうとする事で、この純粋無垢な女の子を。
いいのか? この機体に乗る事で、また誰かを傷つける事になるんじゃないのか?
その可能性を鑑みて、オレ自身が取らなければならない選択肢はどれだ?
自問自答してみる。
だが、答えなんか見つかるはずない。オレはただ押し黙り、哨から目を逸らしながら立ち尽くしていた。
そんな時間が、どれだけ経過したのだろうか。
哨はやがて、流していた涙を拭い、オレに向けて言い放つ。
「姫ちゃん、緊急用シェルターに行こう」
哨の声は、まだ少し弱弱しかったが、それでもハッキリ言った声は、覚悟をまとっている。
「もう姫ちゃんに辛い思いはさせたくない。姫ちゃんが傷付かないためなら、ボクが睦さんやお姉さんに直談判する。
『姫ちゃんを巻き込まないでください』って。その後は整備科に来て、ボクと一緒に学ぼうよ。
姫ちゃん、整備の事よく分かってるし、資格なんて簡単に取れちゃうよ」
「哨」
「そうだ。姫ちゃんがよかったらさ、ボクたち付き合おうよ。
そうすれば青春エンジョイできるし、姫ちゃんが資格をすぐに取得してくれれば、平日でもデートが出来るよ」
「哨、聞いてくれ」
「嫌なんだ。姫ちゃんが目の前から居なくなるみたいで、嫌なんだよ。
姫ちゃんがどこかのパイロットになったら、それに付いていくつもりだったんだ。
……だって、ボクの整備を見て、初めて認めてくれた男の子なんだもん。居なくなったら、嫌なんだ。
……大好き。大好きだもん……」
沈黙。哨は、言いたい事を全て言い切ったのだろう。短くとも、心に響く言葉に違いはなかった。
だったらオレも――たった今芽生えた、自分の思いを、気持ちを、全てぶつけるしかないのだ。
ここに嘘は、絶対に許されない。
「オレはずっと、自分がしたいって思った事を、見つける事が出来なかった。
軍に居た事だって、それしかする事がなかったからで……正直、バカみたいな理由だって思う」
「だったら」
「だけどオレは――今ハッキリと、理解した。
オレは、オレに与えられたこの力で、誰かを守りたい。
ちっぽけな人間で、武器もろくに持てなくて、何が出来るんだって、後ろ指を指されてもいい。
この、ちっぽけなオレの力で、少しでも誰かが笑顔になるなら……オレはこの力を信じたい」
目を見て、哨に思いの丈をぶつける。
もうオレには、こうするしかない。何を考え込んでいたんだ、馬鹿の癖に。
オレはそこまで頭が良くない。
自身の事を良く知る事も無く、ただAD兵器に乗り続けて、いざその道が閉ざされそうになっても、
それ以外する事がないからって、この機械に乗り続けようとしたバカが、じっと考え込んだ所で、
本当に自分が認める無難な答えなんかに、辿り着けるもんか。
だから、オレは哨の体を、ギュッと抱きしめた。
「オレも、哨が好きだよ。でも、オレは行かなきゃ」
「……バカだよ、姫ちゃん。やっぱバカだ」
「バカでいい――それで哨や、誰かを守れるんだったら」
名残惜しさを残しながら、哨の体を離す。
哨は「あ――」と声を漏らしながらオレに手を伸ばすが、彼女の手をすり抜け、秋風のコックピットから飛び出ていた、ラダーを掴んだ。
オレと哨は、もう視線を交わらせる事は、なかった。




