戦災の子-09
そんな彼と雷神を見渡す事の出来る、四六の試作UIG執務室に設置されたソファに腰かけ、遠藤二佐の用意したカモミールティに口を付ける事無く、天城幸恵は頭を抱えていた。
彼女が聞いたのは、四六という組織の実態だ。
防衛省情報局第四班六課。世界中の新ソ連系テロ組織の情報を収集し、処理を行う組織であり、そしてまた、雷神プロジェクトという「夢物語」を推進する秘密部署。
そんな世迷い事の様な内容を聞き届けた彼女は、ようやくそこでカモミールティに口づけ。普段彼女が付き合いなどで飲む紅茶と違い、しっかりとした香りと、香り故に引き立つ味が鼻・舌で味わう事が出来、ふぅと息を付いた。
「そして、その四六は、またレイスと戦うと言うのね」
「その通り。いえ、正確に言うのならば、恐らくまたレイスは仕掛けてくる、という事です。そして可能性の一つとして、このAD学園がまた戦場になる可能性は、捨てきれない」
「神崎ちゃんは、今どういう立場なの? 雷神プロジェクトを推進する四六には属していないという立場と、話の中にあったけれど」
「そのままです。部兵隊の隊長としてレイスの行動は見過ごせない為、四六に協力をしていた関係とお思い下さい」
「私にもそうなれ、と?」
「いいえ。むしろ私も、雷神プロジェクトは理想を良しとしても、現実はそうではないと否定的ですし。天城先輩もご自身の性格上、雷神プロジェクトという計画に賛同はいただけないでしょう?」
「当たり前じゃない」
窓ガラス越しに見える、雷神を前に立ち尽くす、城坂織姫の姿を、彼女は見据えていた。
コックピットパーツとして生み出された、雷神プロジェクトのナンバーゼロツー。ADに乗るべく遺伝子を操作された子供。
彼は自分の存在意義を信じた。しかし、その甲斐もなく、自分を愛してくれている明宮哨という少女を、彼女を守ろうとした明宮梢という女性を守る事が出来なかったばかりか、同じ戦場で戦ってくれた神崎紗彩子という少女を、傷つけてしまった。
故に、彼は幼い頃から徹底していた「兵器」に、再びなろうとしている。
もう銃を握れず、満足に人を殺す事が出来ず、AD学園という同じ年頃の子供が集う場所で傷を癒し、ようやく普通の男の子として生きる事が出来るようになった彼が、大切な仲間をこれ以上傷つけないようにと、自分の意思を殺すのだ。
「雷神プロジェクトなんて夢物語があったせいで、彼がどれだけ苦しんでいるか、神崎ちゃんなら……いいえ、今なら楠ちゃんもわかるでしょう?」
幸恵の言い分は最もだった。
紗彩子も楠も、彼女の言葉に頷く事しか出来ない。
「確かに、志しは立派だよ。でもそんな志しは、最前線で戦う兵士に死ねって言ってるようなものよ。
――ああ、思い出した。私、前に理事長から聞かれたな。『武器を持たないADが存在するとしたらどう思う?』みたいな事。その時にも確かこう答えたよ。『パイロットに死ねと仰っております?』って」
だからこそ聖奈は、幸恵を雷神プロジェクトへ誘わなかったのだろう。
理念に同意できない以上、彼女に参加を強制すれば、彼女にも無意味な危険が及ぶ可能性があるから。
そして今まさに賛同を求められても、答えなど変わらない。
むしろ、嫌悪感が増すだけだ。
「約束だし、部兵隊の隊長は、やるよ」
「本当に、ありがとうございます」
「お礼なんていいよ。……見過ごす事、出来ないもの。あんな姿を見てたら」
幸恵の知る織姫という少年は、少し小生意気な所はあるが、優しくて可愛い少年だったはずだ。
勿論、外観は変わらない。話しかければもしかしたら、彼女とこれまで通りに接してくれるかもしれない。
――けれど、その目だけは、今のままだろう。
人を殺す事を厭わない兵器として、感情を持たずにシステムの一部に組み込まれる事を良しとしたその目だけは……幸恵にとって、見つめる事の出来ない、深遠。
「敵は、レイスは、その風神という機体を手に入れた。動かす事も出来るようになった。だから、同じ土俵で戦える姫ちゃんと楠ちゃんの雷神という機体が必要だって事は分かった」
「ご理解頂き、感謝します」
「でもね、楠ちゃん。私はそれでも、雷神プロジェクトなんて認めない。
あの機体が国を守る? 平和に戦える兵器? 戦争という概念を変える? バカも休み休み言いなさい。
一人の男の子も幸せに出来なくて、世界を平和に出来るなんて思わないで……ッ!!」
声を荒げ、彼女は試作UIGから去っていく。
彼女はこれから、部兵隊の会合へと向かい、紗彩子の代わりに隊長として現場指揮を担当する為の準備がある。引き留める事は出来ない。
それに――紗彩子は、それ以上に慰めなければならない少女がいるから。
ボロボロと涙を流す楠。
認めてもらえないと理解していた。
怒られるとも理解していた。
けれど楠とて、織姫を愛おしく思い、そして彼を想うが故に、雷神プロジェクトに賛同したのだ。
その理想を拒絶され、事実を以て「お前は間違ってる」と非難されれば、十五歳の少女にとって、痛みともなろう。
彼女の頭を撫でた紗彩子に、楠は唇を結びながら、彼女の手を払おうとするも、手に力が入らず、撫でられ続ける。
「バカ……ッ、アンタ、どうして、撫でてくんのよ……ッ」
「可愛い義妹が泣いているのだから、義姉としては当然でしょう?」
「アンタなんか絶対、ひぐっ、お兄ちゃんに選ばせないんだから……ッ!!」
「とにかく、今は泣きなさい。泣いて解決する問題ではないけれど、それでも、泣けないよりマシですから」
「泣いて、ばっかじゃ……いられないじゃん……っ」
「ええ。だから今は精いっぱい泣いて、お兄さんの前では、気丈に笑いなさい。そして、彼を笑顔に出来る方法を見つけなさい。
残念な事ですが、私は彼の隣に、ずっといる事が出来ないのです。
ならばこそ、彼を同じく想う女である貴女が、彼を支えなきゃ」
涙は、永遠ではない。
数分泣いて、もう水分が枯れたと認識した楠は、スゥ――と息を吸い込んで深く吐いた後、もう冷たくなっているカモミールティを一気に飲み干し、水分補給の後に、頭を撫でる紗彩子の手を、振り払った。
「私は、これからも雷神プロジェクトを推し進める」
「ええ」
「お兄ちゃんを幸せにするために、私に出来る事は何だってやる」
「ええ」
「これ以上、お兄ちゃんに誰も殺させない。ううん、雷神プロジェクトに賛同する人にも、今このAD学園にいる人にも、誰も殺さなくて済むようにしたい」
「立派な志しです」
「世界から争いを絶やす事なんかできない。それでも、平和を願う者と、幸せを噛みしめる為に、慈しみ合う事は出来るんだ。
――私は、どれだけ後ろ指を指されても、そんな世界を作る為に、お兄ちゃんの手を引いて、前へ進む」
「ならば、それを成す為に努力なさい」
「言われなくても」
笑みを浮かべよう。
不敵に口角を上げよう。
そして愛しい兄の所へ行き、言葉を交わそう。
「楠、目元、赤いぞ?」
「何でもないよ、お兄ちゃん」
ニッコリと笑おう。
彼へ笑顔を浮かべさせよう。
――そして誓うのだ。
「私は、もう二度と――お兄ちゃんに人を、殺させないよ」
彼の手を握り、困惑する彼の唇と、自分の唇を、重ねながら。




