ヒガンバナの森(三十と一夜の短篇第31回)
ヒガンバナが咲いていた。
一本径が、緩やかな曲線を描きながら細く長く伸びている。
そして一面に揺れる、紅い花。
深い緑と爽やかな香りに包まれて、森の中にわたしはいた。
――これは夢だ。
そう気付いたのは、亡くなった兄がわたしの手を引いていたから。
六つ年齢が離れていた兄は、わたしが十五歳の時に急逝した。
もういない人とヒガンバナ。考えようによっては怖ろしい取り合わせなのに、夢の中のわたしは暖かい気持ちを抱いていた。
久し振りに逢う兄の手はしっかりした大きな存在感があり、生きている時と同じように温かい。見上げた横顔は高校生くらいの年齢に見えた。
もっとも、わたしが記憶している兄の姿は、高校生の頃で止まっているのだから当然だろう。
――大きな手?
その手の存在感を改めて確認し、ようやく気付く。わたし自身の姿もまた、子どもの頃に戻っていた。
わたしは予感していた。
この径の果てに何かがあるだろう、と。
* * *
兄が亡くなった時の、母の取り乱しようは凄まじかった。子どものわたしが見ていても痛ましいほどだったのを憶えている。
もちろん、突然の訃報が信じられないのも当然だと思う。わたしも現実として受け入れがたかった。兄は持病もなく、大きな怪我や病気もしたこともなく、ずっと健康そのものだったから。
大学へ進んでから、兄は長期休暇だけしか帰省しなかった。
それもほんの数日間だけ。更にずっと母が兄を独占していて、わたしと兄の接点は自然と少なくなっていた。
もともとべったりした兄妹ではなかったが、少しだけ寂しく思うこともあった。
兄が亡くなってからそれだけは後悔している。
後に兄の友人たちから聞いた話では、兄は空き時間があればとにかくバイトを入れていたらしい。当時半月ほどは心身の疲労が溜まっている様子だったという。
いつだったか、「小遣いが足りないのならどうにか工面するから、なるべく休みには帰って来て」と言った母に対して兄は笑い、「少しでも大学の費用を親へ返したいんだ」とこたえていた。
大学の課題。徐々にシフトが増えるバイト。そして、趣味でもあったバスケットのサークル活動。
どれひとつとして手を抜かないことが兄らしくもあり、また、どんな時でも大変とは言えない兄の性格。
毎日付けていた日記は、二週間前からメモ書きのような短文になっていた。
その日の行動と収支をメモするだけの単調な日記。そんな形でも、何かを記録しなければと兄自身が自分に決めていたのだろう。
だけど、亡くなる数日前からその日記も白紙になっていた。
前日には、短時間だけサークルに顔を出したらしい。
「大変そうだな」と声を掛けたのは同じ寮の友人のひとりで、サークルをしばらく休むことも提案したという。
「俺にとって、バスケは息抜きでもあるんだ」
兄は笑顔でそう言って、3on3の試合を二回してから寮へ帰ったらしい。
その後は夕食を断り、レポートを仕上げると言っていたそうだ。
バスケサークルの友人と隣の部屋にいる友人が寮母に頼み、おにぎりとスープを用意してもらい、兄に差し入れしたのは午後十時半頃。
レポートはほぼ終了しており「今日はゆっくり眠れそうだ」と兄はスープを飲みながら笑っていたらしい。
普段は就寝前にシャワーを浴びていたらしいが、その日はレポートを終えてそのままベッドに潜り込んだのだろう、と友人は言っていた。
友人が兄を起こしに来た時、まだ兄の身体は温かかったらしい。
学生寮だったのがまだ幸いした。ひとり暮らしのアパートでは、発見が更に遅れたかも知れないのだから。
息をしていないことに気付いた時、その友人はどれだけ驚いただろう……彼はしばらくの間「俺がもっと早くに気付けば、助けられたかも知れない」と深く悔やんでいた。
でも兄が死んだのは彼のせいじゃない。きっと兄自身にもわからなかったことだと思う。
兄の死因はいわゆる心臓発作。
銀縁の眼鏡を掛けた、まだ若く見える医師が、遺族に淡々と説明した。健康な青年でも、疲労が蓄積すればこういうことも起こり得るのです、と。
何を言ってるんだろう、この人は。
兄が死ぬ前に教えてくれなければ意味がないのに、今更。
この人が兄の胸を割いたのだろうか。そう考えると不思議だった。
人の身体を割いておいて、なんの感情も湧かない人に見えたから。
「斎! 斎!」と泣きながら呼ぶ母の声も、どこか現実離れしていた。
だって母はいつも大袈裟なのだ。兄に関しては。
兄が転んで膝を打った時も、救急車を呼ぶと騒いでいた。風邪で熱を出した時は、夜中にも関わらず父を叩き起こして救急病院へ連れて行った。
わたしが体育で捻挫したと言っても、インフルエンザに罹った時も、兄の時の半分も関心を向けなかったというのに。
だからその時も、また母が大袈裟なことを、と思わずにはいられなかった。
本当にこれが兄なのか……人違いではないのだろうか。
両親が――特に母が――悲しみにくれている横で、わたしはそう考えながらぼんやりと兄を見つめていた。
真っ白な兄の顔は作り物めいて見えた。記憶の中の兄と容姿が変わっていたせいもあるのだろう。
大学三年生の兄は髪を伸ばし、髪色を変え、そして輪郭さえも変わっていた。
高校生の頃の、まだ幾分ふっくらとしていた頬の名残りはなく、大人の男性特有の骨ばった輪郭。それは兄によく似た別人のようにしか思えなかった。
泣き叫ぶ母に寄り添う父。
茫然としている――ように見えていたらしい――妹のわたしに声を掛けてそっと廊下に連れ出してくれたのは、兄と同じ寮の友人たち。
兄の友人がその場にいたのは何故なのか、わたしにはわからなかったが、家族以外の人も立ち会えるのだな、と考えていたのを憶えている。
* * *
夢の中の兄は、わたしを更に森の奥へ誘う。
足どりはしっかり自信に満ちて、道に迷っている様子はなかった。だからわたしも安心して兄と一緒に歩き続けた。
森の入り口では紅いヒガンバナが一面に咲いていたが、徐々に緑色の下草の勢いが増して、やがてヒガンバナは径の両脇に並ぶ程度の量になった。
* * *
葬式後も暫くの間、友人たちが時々うちに来ては、兄の思い出話をしてくれた。
友人たちの話は――わたしはもちろんだけど――母も知らないことが多かった。
その時の様子で、実は兄は母にさえあまり連絡をしていなかったのだと初めて知った。
はたから見れば、母の方が子離れできなかっただけなのだろう。でも、兄も母を大切にしていると思っていたので少し驚いた。
通おうと思えば自宅からも通える距離なのに寮へ入り、すべての時間を大学生活へつぎ込んでいた兄。
大人になった兄には恋人のひとりでもいるだろうと、わたしは勝手な想像をしていた。しかし実際はそんな暇もなく、勉学やバイト、そしてサークル活動にいそしんでいたという。
お酒も飲めなかったわけではないが、自分から飲みに行くことはなかったそうだ。また、コンパにも参加したがらなかったらしい。
当時のわたしは中学三年生。これから高校受験というタイミングだったが、母も父も兄の受験の時のようにうるさく言うことはなかった。
大学進学を考えていなかったからもあるのだろうか。塾もとりあえず希望の高校に合格するだろうというレベルの、言い換えればぬるく授業が進むようなところに通っていた。
友人たちは時折、うちで食事を共にすることがあった。
寮でも食事は出るので彼らにはそういうつもりはなかったと思う。でも母が彼らを引き留めた。
彼らは兄の代わりなのだろうと母以外の誰もが思っていたはずだが、誰も口には出さなかった。父が一度だけ、「よそのお子さんの勉学を邪魔するようなことは控えなさい」と言った程度。
彼らがうちで過ごす時間が長くなると、わたしが勉強している姿がやはり目に付くのだろう。受験生と知ってから、彼らは勉強の邪魔をしないようにと早めに帰ることが増えた。
するとある日、母は信じられないことを口にした。
「あなたは自分の部屋があるんだから、そこで勉強すればいいじゃないの。お母さんの邪魔をしないでちょうだい」と――しかも、彼らがいる前で。
わたしは驚きと羞恥で、その時には何も言えなかった。
父が帰宅した時に母の言葉を伝えた。「お母さんには言わないで」とも言い添えて。その時母は入浴中だった。
父は半信半疑だったが「自分の好きなところで勉強すればいい」と言ってくれたので安堵した。
そもそも、自室で勉強したら漫画やゲームに手が伸びるに違いない、という理由でリビングやダイニングキッチンで勉強をするよう言いつけたのは、母なのだ。
父もそう言った時の母の言葉を憶えていたらしい。
母の理不尽さをはっきり感じたのは、この時が初めてだったと思う。
* * *
紅い花の列にぽつりぽつりと黄色いヒガンバナが混じり始め、やがて紅い花が消え黄色ばかりの道を歩いていた。
しばらくそのまま進むと、今度は先ほどと同じように白いヒガンバナが混じり、増えて行く。
「きれいだね」と兄へ向けて言ったような気がする。
気がする、というのは、その時わたしには自分の声が聞こえなかったから。
いや、自分の声だけではなく、兄の声も聞こえなかったと思う。兄が笑顔でわたしを振り返り、何か言葉を発したのは感じたが、耳で聴き取ったという意識はなかったから。
そして自分が兄の声をすっかり忘れていることに気付く。兄と最後に会話したのはもう何年も前になるとはいえ、やはり申し訳なく思った。
* * *
友人たちのひとりが勉強を見てくれるようになったのは、何がきっかけだっただろうか。
あれは、やはり母が彼らを呼んで――いつの間にか、彼らが自主的に来るというよりは母が彼らに約束を取り付けるようになっていたらしい――とりとめもない会話をしていた時のことだと思う。
わたしは塾の宿題に取り組んでいた。
その日の課題はたまたま、学校の授業ではまだ手を付けられていない問題だった。講師から説明されたものの、中途半端な理解のまま解かなければいけない状況で、無意識に唸りながら勉強をしていたのだろう。
母がまた「うるさいわよ。邪魔しないで」というような言葉をわたしに向けたのはなんとなく憶えている。
すると友人のひとりが立ち上がり、ダイニングキッチンのテーブルにいたわたしの方へやって来たのだ。
「難しいの?」と訊かれて、わたしは驚きのあまり、顔も上げられずに固まった。
年上の男性――肉親や教師は別として――に、至近距離で急に話し掛けられるという経験がなかったのだ。
黙っていては失礼なので何かこたえなければ、という必死の思いが空回りした。問題集の一ヶ所を指し、「ここがわからなくて」と言いたかったのに、「こ、こ、こ……」と下手なニワトリの真似のような状態になってしまった。
リビングではもうひとりの友人が笑っている声が聞こえた。途端に「自分が笑われたのだ」と思い込んで更にパニックを起こす。
今すぐ魔法か何かで消えてしまいたいと思った。その半面、彼がわたしに話し掛けなければこんな思いもしなくて済んだし、きっと母の機嫌も損ねることはなかっただろうに……と、八つ当たりの感情も芽生えた。
しかし彼は「ここだね」と言って隣の席に座り、丁寧に解説してくれた。
ゆっくりと落ち着いた彼の話し方は、緊張していたわたしの心を少しずつほぐしていく。気付くと普通に――兄とのように――会話ができるようになっていて、その日の課題を無事に終えることができた。
もっとも、本当に無事だったかどうか、当時は判断できなかった。彼らが帰った後で、母から「大学生のかたたちの貴重な時間を使わせて……」と吐き捨てるように言われたからだ。
冷静に考えれば、母の言葉がおかしいとわかる。彼らの貴重な時間を使わせ、うちに呼んでいたのは他ならぬ母だったから。でも当時のわたしは子どもで、しかも他の人よりうぶだったのだろう。
ただその時、「将来自分に子どもが生まれたなら、母がしたようには育てないだろう」と考えたことは憶えている。同時に母に対して、裏切りのような後ろめたさを感じたことも。
* * *
径はいつの間にか、白いヒガンバナのみに囲まれていた。
「見てごらん」という兄の声を聴いたような気がする。兄が前方を指さしたのを見て、そんな気がしただけかも知れない。
兄がさし示したのは森の中にぽっかりと開いた空間で、一面に白いヒガンバナが咲き乱れており、花がまるで光を放っているように見えた。
実際光っていたのかも知れない。
森の奥に進むにつれ徐々に薄暗くなって行ったはずなのに、白い花が咲き乱れている場所に出た途端、周囲が光に包まれていたから。
夢の中でなら、花が光るのもおかしくはない。
小さなその空間の中心には、大きなたまごが鎮座していた。ニワトリの卵をもっと丸くしたようではあったが、白く、丸く、そして先端が少し尖っている形はたまご以外の何物でもなかった。
ただ、そのたまごは非常に大きかった。
高さは二メートル以上あるだろうか。兄が手を伸ばしてもてっぺんには届かなかった。たまごの周囲も丸く太く、兄が四人いても抱えられなかっただろう。
近くまで行くと、たまごが生きているのがわかった。何故わかったのかはわからない。きっと夢だったからだろう。
そっと表面に触れると、ニワトリの卵のように表面が少しざらついていた。これは新鮮な卵の証しだ、と母が昔教えてくれたことを思い出していた。
だからわたしは理解した。このたまごは新鮮で――これから生まれる新しいたまごなのだ、と。
嬉しくなって隣にいる兄を振り返ると、兄は消えていた。途端に心細くなり、兄を探すためにたまごの周囲を廻る。
小さい頃、同じようなことがあった。神社の社のそばで遊んでいた時、ふいに兄がわたしを置いて歩き始めたのだ。
壁に沿うようにスタスタと進む兄を急いで追い掛けると、兄は足を速め、次の角を曲がる。
不安な気持ちで追い掛けて角を曲がるともう兄の姿は見えなくなっていた。
兄が消えてしまったように思え、心細くてべそをかき掛けた時、背後から兄が「わっ」と驚かした。
その時は十センチくらい飛び上がったんじゃないか、と後に兄が何度も笑い話にして親戚に披露するから、わたしはそのたびに兄に文句を言ったものだ。
今もまた、やっと会えた兄が消えてしまった心細さと不安で、足を速める。
半周したところで兄の後ろ姿をとらえ、子どもの頃よりも足が速くなったのだと嬉しくなった。
――子どもの頃よりも?
気付くと、初めはたまごの半分ほどの高さしかなかったわたしの身長が、たまごの四分の三ほどまで伸びていた。
でも兄の歩みは止まらない。
わたしより少しだけ背が高い、高校生の頃の面影を持つ兄を追い掛け、一周する頃にようやく裾を掴んだ。
「おにいちゃん!」
初めて、はっきり声が出た。
驚いたように振り返る兄は、わたしとは逆に小さくなっていた。
この顔は小学生の頃の兄だ……身長が逆転したにも関わらず、それはまぎれもなく兄で、わたしが掴むシャツの裾をちらりと見てくすっと笑うその表情も、わたしにいたずらを仕掛けた時の兄の顔そのままだった。
「待っておにいちゃん」
もう一度呼び掛けた時、兄は――
兄は、たまごの中に溶けて行った。
わたしの手からするりと抜け落ちるシャツもたまごの中に消えた。わたしはそのざらついた殻に阻まれてしまう。
「おにいちゃん?」
呼び掛けて、たまごの表面に全身を押し付ける。耳を付けて、何か聴こえないかと息を止める。
ひそやかに、脈を打つ音が聞こえて来た。
心なしか、たまごの表面も先ほどより温かくなっている。
頬を触れて、この中に兄がいるのだとわかった。
兄が、わたしに知らせてくれたのだと。
* * *
「――大丈夫? 何か、寝言を言ってたけど」
やわらかい声で目を覚ました。夢うつつでぼやけた視界。わたしの顔を覗き込む顔……懐かしい、誰か。
「――おにいちゃん?」
「まだ寝ぼけているようだね、ふたば」
苦笑する声に赤面した。
「ごめんなさい……瑞樹さん」
「いいよ。実際お兄ちゃんの代わりだったこともあるし……俺が望んだことだったから」
夫の瑞樹は亡くなった兄の学友だ。
あの日、同じ寮に住んでいた彼は兄を起こしに行った。間に合わなかったという自責の念と遺族への同情で、兄の実家――つまりわたしの家に通い続けるうちに、わたしのことが気になったのだという。
わたしも兄と雰囲気が似ている彼のことを、いつの間にか兄の代わりに慕うようになった。
もちろん兄とは別人だという認識はあった。
何故ならわたしは、彼を想うほどには兄のことを慕っていなかったから。そして、わたしにとって『兄』は『母のもの』だったから。
当時、母はわたしたち――わたしと彼――の関係に嫉妬していたらしい。
後から思えば、まだ付き合ってもいないうちから、何かとわたしたちを離そうとしていた様子があったことを憶えている。母にしてみれば、わたしが彼に色目を使っているように思えたのかも知れない。
中学生に、しかも自分の娘だというのに、そんな風に考える母の気持ちは未だに理解できない。
母の様子がおかしいことにようやく気付いた父が、母を病院へ連れて行ってくれなかったら、どうなっていたのだろう。
母の心の中には兄以外の存在がきれいに消え去ってしまっていた。いつの間にか、彼と兄を混同し、父には「医師」と呼び掛け、そしてわたしのことは「あの女」と呼ぶようになっていた。
父は母の病状と態度に心を痛めていたようだ。
でもわたしはただ哀れな人と思うだけで、それ以上の感想はなかった。その頃にはもう、母がわたしに何を言っても気にならなかったから。
母は長く入院していたが、やがて徐々に弱って行き病院で亡くなった。
最期の数ヶ月は兄の思い出話ばかりしていたという。それならきっと、幸せな気持ちで逝ったのだろうと思う。
高校を卒業したわたしは、地元企業に就職した。
彼は大学を卒業して中学校の教師を数年勤め、その後塾の講師になった。
わたしたちは、わたしが高校を卒業してから正式に付き合い始める。そして彼の講師としての仕事も安定した去年プロポーズされ、数ヶ月後に入籍した。
華やかな結婚式などは望まなかったが、双方の親に懇願され家族写真を撮った。
母が亡くなってから三年が経っていた。
わたしの父が心配だと彼が気に掛けて、徒歩でも行き来できる距離に新居を構えたのが今年の春。半年経ち厳しい暑さの夏も過ぎて、新しい環境にもようやく慣れて来たと思っていた。
ところが今度はわたしが数日前から体調を崩し、一日の大半をベッドで過ごすことになってしまった。
夏バテだろう、と彼は言っていた。
昔も今も、彼は優しく包み込むようにわたしを見つめる。
「食欲ないのはわかるけど、何か食べられそう?」
「瑞樹さん、お仕事はいいの?」
時計を見て問うと、「今日は休みだよ」と彼が笑う。
「天気がいいから、体調がよくなったら散歩に行こうか。この近くの公園に、見事なヒガンバナの花壇があったよ」
「ヒガンバナ……」
口に出した途端、さっきまで見ていた夢が甦る。
森の中、ヒガンバナの径――そして兄との邂逅。
「いやだった?」と彼の表情が曇る。
「ううん? 何故?」
「斎のことを思い出したような表情だったから」
わたしは彼の言葉に驚いた。あの頃、兄を思うたびに息苦しい気持ちになっていたのを、彼は知っていたのだろうか。
「大丈夫よ――ね、瑞樹さん。今日ヒガンバナを観に行った帰り、一緒に寄りたいところがあるの」
そして、わたしは予感していた。
来年の春に家族が増えるだろう、と。