8 シャロン
アイテムの剣が喋るなどという事態は、当然初心者のリベネにとって初めてかつ不可解な出来事だった。このゲームが発売される前のプロモーションムービーや事前情報などはきちんと読んで予習してきたのだが、喋るアイテムがあるという情報はどこにも書いてなかった。人工知能を搭載して喋るのはNPCとレベルの高いアポクリファくらいだったはずだ。
そこまで考えて、リベネはぴんときた。
分かった。こいつは剣の姿に擬態したアポクリファだ。
しかもこんな隠れた場所にあったということは、ただのアポクリファではなく、上級者向けの隠しボスになのかもしれない。きっとベータテストが終わって正式にゲームが始まれば、数多のプレイヤー達をその毒牙にかけて殺すのだろう。
これは恐ろしい相手に会ってしまった。
さっとリベネは後ろを見た。自分が落ちてきた穴がぽっかり後方の壁に空いている。あそこをどうにか這い上ってカーラ達の元に戻れないだろうか。
すると、まるでリベネの気持ちを読みとったかのように剣の形をした何かが飄々と言った。
「いや、それ多分お前だけであがるのは無理だぜ」
なんだと。手のひらにじっとりといやな汗がにじむ。
どうすべきか頭をフル回転させて必死に考えるリベネの前で、意外と饒舌な剣がぺらぺらと声をだした。
「お前さっきから黙り込んでるが、喋れないのか?それとも、脳味噌が弱すぎて俺の言葉が理解できないのか?念のため、もう一度だけ言ってやる。まずはだな、俺に触る前に、礼儀を持った人間として――」
だらだらと続く説教臭い言葉をもはやリベネは一文字たりとも聞いていなかった。恐ろしい隠しボス――普通なら急いで逃げ出すべき相手を前にして、華奢な少女の中に隠された意外なほどの豪胆さが、自身の身体に向かって命令していた。
さあ動け、動くのだ、先手必勝で勝ちのこれ。
「拘束!」
虚を突く叫び声と共にリベネはランク2の剣を掲げ持つ。剣からエメラルド色の光があふれ、円状に広がり、瞬時に空間を駆け抜ける。
リベネは覚悟を決めて目の前に刺さった喋る金属の塊に狙いを定める。グリップをぎゅっと握って、思い切り剣をふりかぶった。
「はぁっ!!」
力をこめた吐息と共に、渾身の力をこめて剣をふるった。
ガキイィィィィン!と金属と金属がぶつかりあう巨大な音。その余韻が消えないうちにリベネは後方へ飛びのいた。
(だめか……)
視線の先にある銀色のロングソードは傷一つつかずに、その場所に刺さったままだった。ただ剣撃の余韻でかすかにビイィィンと揺れているだけだ。自身のレベルが低すぎて、攻撃力が足りなかったのかもしれない。
「い……」
ぽつっと相対する剣がつぶやく。ただならぬ雰囲気を感じてリベネが固まったその瞬間――
特大級の怒鳴り声が剣から爆発した。
「いきなりなにしやがんだてめえええええ!傷がついたらどうすんだ!」
身体が吹き飛びそうなほどの怒声。しかしリベネはその場に踏ん張り、剣を構えたまま、威嚇する野良猫の顔つきで答えた。
「私には分かってる。あんたはアポクリファのボスだ」
「おまッ……!よりによってアポクリファだと…?信じられん、あんなクリーチャーどもと俺を同じに扱うなんて…」
ものすごくショックをうけて立ち直れませんという感じの声が響く。剣がふるふると震えたような気さえした。
「あ、あのなぁ……俺がアポクリファなら“のーないおんせー”とかいうので案内されるはずだろ」
言われてみればたしかに。通常であれば、『キゼブブ ランク1の剣推奨』などと流れるはずだ。思わず納得しかけたが、リベネは自らの剣をぎゅっと握った。まだ油断できない。剣をかまえ、睨みつけたままリベネは口を開いた。
「じゃあ一体、あんたは何者だっていうの。アイテムが喋るなんて、聞いたことない」
「……」
その場に静寂が満ちた後に「ハァ~」とわざとらしく大げさなため息をつく声がした。低い声が、不機嫌さを完全に露わにした様子でぶつぶつと言う。
「嘆かわしい。非情に嘆かわしい。どん底にがっかりだ。天界の剣士どもは自分から名乗る礼儀すら忘れちまったのか?まったく、随分と落ちぶれたもんだな……」
なんと返すべきかわからずに黙りこくるリベネ。その前で、銀色の剣が赤みを帯びた光を鈍く放った。
「仕方ない。俺の方から名乗ってやろう。いいか、俺の名前はシャロンだ。そんじょそこらのアイテムと同じように扱うな。俺は特別だ。最強に特別なランク3の剣だ」
「ランク3の剣!?」
予想だにしない単語を言われて、リベネの目玉がとびでそうになった。もしこの剣の言っていることが本当なら、自分はものすごい物に出会ってしまったことになる。
「まだ驚くのは早いぜ。この剣の中にいる俺の本体を見せてやる」
リベネの反応に満足したのか、シャロンという名の剣が少し機嫌よく言う。リベネは思わず聞き返した。
「本体?」
ああ、そうだ――そう返事が聞こえたかと思うと、また剣が揺れたように見えた。否、今度こそ本当に鋼の表面が波打ち、揺らぎ、何かの到来を待つように震え出していた。
まず最初に波打つ表面からにゅっと腕が飛び出した。人間の形をしているが、ひどく小さな腕だ。もう片方の腕も出すと、その何者かは両手のひらで剣身をつかみ、力をこめて己の“本体”をぐいっと剣から引き出した。
ヤギの頭に人間の上半身、そして巨大な鳥の足を持った異形の姿。
それがシャロンの“本体”だった。
(こ、この姿はまるで……)
にぃっと悪魔じみた笑みを浮かべながら、シャロンという名の怪物が笑う。そして手をあげて「よぉ」と言いかけたところで、
「バ……拘束!」
リベネの叫び声にかき消された。駆け抜けるエメラルド色の輝きの中で、シャロンの顔が怒りにゆがんだ。
「バインドバインドうるせえッ!俺はアポクリファじゃねえって言っただろうが!」
剣を掲げたまま、リベネは真顔で応答する。
「どこからどう見ても、その意味の分からない造形はアポクリファ――」
「さっきから思ってたが、お前、大人しそうな見た目に反して結構失礼だよな!?」
苛烈な叫び声をあげるシャロンという名の怪物をリベネはじっと見つめた。小さなヤギ頭はコロコロと表情が変わり、くっきりとそこに感情を表していた。人間のように表情豊かだ。そして今、彼の顔に浮かんでいるのは激しい苛立ちだった。
「とりあえずお前のことは無性にぶん殴りたいが(ここでリベネはぎくりと肩をふるわせた)……あー、安心しろ。残念ながら俺一人じゃお前に危害は与えられない。俺は剣だからな。使い手がいないと何もできはしない。……だからさ」
ここでシャロンは一息ついてから、表情に浮かんだ苛立ちを飲み込み、まじめな顔になった。
「そろそろ名乗ってもいいんじゃねーの?」
リベネはなおもじーっとシャロンのことを凝視した。普通だったら流れる案内音声は、いくら待っても何も聞こえてくることはなかった。
彼の言うとおり、本当にアイテムなのかもしれない。それかイベント用のNPCかも。拾えばメニューで確認できるのだが「さわるなら、名乗った後にしろ」と最初に言われたことをリベネは思い出した。
構えていた剣をそっと下ろし、リベネは慎重に口を開いた。
「私の名前はリベネ。プレイヤーレベル4の剣士……です」
「ほう、レベル4か」
言いながらシャロンは剣身をのぼり、柄の部分にあぐらをかいて座った。
「なるほどな。なあ、リベネとやら。お前はランク2の剣を持ってるが、それはもしかして最初に神官の力で強化されたやつか?」
猫が驚いたようにリベネは目をみはった。どうしてそんなことまで知っているのだろう。こくりとうなずくと「そうか」とシャロンが苦々しくつぶやいた。
「そんなら、前言撤回する。せっかく名乗ってもらったが、命が惜しいなら俺にさわらない方がいい。死ぬぞ」
「死ぬってどういうこと?」
「共鳴力が足りなくて、俺の力で燃やされてしまんだとよ。本当だぜ?実際に俺に不用心に触って死んだ奴は何人かいるんだ」
燃える?急に言われたおっかない内容に驚いたが、それ以上にリベネにはひっかかる点があった。眉をひそめながら尋ねる。
「死んだ奴はいる、って他の戦士にあったことがあるの?もしかして四日間の間に、他の誰かもここに迷い込んできたの?」
「四日?」
質問に対して、シャロンが額にしわを寄せて尋ね返してきた。リベネは言葉を慎重に選びながら言った。
「四日だよ。始まってから――あー…ううん、ええと、天界の戦士達がこの世界に来てから、って言ったら分かるかな」
シャロンはますます顔をしかめ、頭のおかしい相手を見るような疑り深い顔で目の前の少女を見つめた。だが、ふと彼の中でなにか合点が行ったようだった。ああ、と恐ろしいほど平坦な声でぼそっとつぶやいてから、シャロンは言った。
「なんだ、お前、まだ何も知らないんだな」