2 試し切り
この世界の敵は基本的に地下からやってくる。アポクリファの見た目は動物に近いものから半分金属のような身体をしたものまで様々にいるが、そのどれもがこのゲームにいくつも存在する地下洞窟を基本的な生息地とし、暗闇を好むとのことだった。地上にもまばらに生息しているが、森の奥や霧の深い場所など光の届かない場所にいるのが基本だ。
「あっは!見つけた!」
森の入り口あたりで、『ラガエル』というアポクリファを見つけたカーラが飛び出した。ラガエルは、だいたい30センチくらいの茶色い怪物で、つぶれたヒキガエルのような見た目をしているアポクリファだ。動きはのろく、攻撃も弱い。耐久力はそこそこあり、時々毒を吐くが、軽く手足が痺れる程度のものなので、初心者プレイヤーが狩るのに最適なアポクリファだった。
「形状変化!」
カーラが声をあげてランク2の剣を振りかざすと、にわかに剣が空中で膨らんだ。ラガエルが逃げようと身じろぎしたが、わずか一秒にも満たない時間で、ただのロングソードが巨大なバスターソードへ変化し、地面に向かってふり降ろされた。ドガンッと特大級の音がして、ラガエルは真っ二つに両断される。
「うわぁ、なにあれ怖っ…」「お、重そう…」
後ろの方で控えるネズミとリベネがひそひそとささやく。
カーラがバスターソードを持ち直すと、剣がかすかなうなり声をあげながら元の姿へと戻り、目の前で切断されたラガエルは光の破片となって霧散した。ぽんっと出現した『ラガエルの皮』というアイテムをカーラが触ると、神殿にあるアイテムボックスへ転送された。
カーラは脳内通信――パーティーを組んでる者だけが使える無線通信で、直接耳に声が響く――でリベネ達に向かって言った。
「うーん、タイミングがまだちょっと難しいけど、すごいねえ。ランク2の力は。ラガエルを一発で倒しちゃったよ」
カーラが楽しげに笑いながら、こちらに戻ってくる。脳内通信をオフにし、地声でネズミが言った。
「前は僕たち3人で叩いても、それなりに時間がかかったのにね。攻撃力がケタ違いだ。ところで、その剣が大きくなった時って重く感じたりするの?」
「いや、重くないね。むしろ勝手に剣が動くから軽くなる気がする」
「元の剣にはどうやって戻すの?」
「気合い」
なるほど全然分からない、と言いながらネズミがノートにメモをとる。
その隣でリベネが「クエスト」とつぶやきながら、右手を地面と水平にさっと動かした。空中に紫色に光るモニターが出現する。
その上部『現在進行中のクエスト』と書かれたものの下にある『チュートリアルクエスト:アルターヌベア討伐』という文字をタップして詳細を開いた。
「このクエストの間だけ、一時的にランク2が使えるって。アルターヌベアを討伐したら、またランク1に戻るみたい」
「なんかこれ使ってると、もうランク1の剣には戻れない気がする。この武器、優秀すぎるよ。きっとアルターヌベアだって余裕で倒せちゃうね、これなら」
三人は今、クエスト攻略のため、ランク2の剣の使い方を練習しているところだった。ゲーム開始前に公開されていた情報によると、ランク2の特殊効果は、進化時にランダムに決定されるらしい。剣の特殊効果には膨大な種類があるらしく、なにか一つの効果をねらってランク2へ進化させるのは難しい、と公式サイトに説明が載っていた。
メニュー画面からそれぞれ武器の詳細を確認すると、カーラの剣は形状変化、ネズミの剣はトラップ設置、リベネの剣は拘束付与という効果を持っていた。もちろん、攻撃力もランク1と比べると大幅に上昇しているし、攻撃補助として剣が勝手に動く時も、より正確かつ素早いものになっている。
「あっ、待って!クエスト進行中はこの力を授かったままなんだろ?じゃあ、あえてずっとクエスト攻略せずにいた方がいいんじゃないか?」
カーラが名案を思いついた!とばかりに顔を輝かせたが、容赦なくネズミが口を挟んだ。
「いや、このクエストを攻略しないとチュートリアルが終わらない。チュートリアルが終わらなければ、他の武器、他の装備をつけることができないし、買い物も制限されてしまう。しかも限られたフィールドにしかいけない。素直に討伐して、あとは自力で剣を鍛えるしかないよ」
「うえぇー、めんどくさぁい」
「でも、こつこつと剣を育てるの、私は好きだな」
リベネが小声で言うと、ネズミが腕を組んでうんうんとうなずいた。
「自分で育てた方が剣に愛着もわくし。ランク3にするのは恐ろしく時間がかかるみたいだけど、ランク1からランク2はそんなに大変じゃないらしいし」
「この形状変化、ってのがあたしは結構気に入ったんだけどなぁ……また使えなくなるのかぁ」
「この剣をランク2にしたら、またその能力がでるのかなぁ」
「どうなんだろうね、後で聞いてみよっか。僕のもなかなかいい感じなんだけど扱いが難しいから、慣れるためにもうちょっと試し切りしたいな。あっちの方に行っていい?」
「ああ、行こう行こう!」
カーラが森の奥の方へ歩き出す。その後ろをネズミがついていく。いつもこのパーティーは、カーラが先頭でその後ろにリベネとネズミという並びをしていた。
彼らの後ろ姿をリベネはしばらく立ち止まって見つめた。とっくに見慣れた女剣士の赤髪のポニーテールと、猫背な少年の灰色の髪。まるで本当にそこに彼らがいるような感覚を味わう。その一方で、これはすべて夢の中の世界、ゲームの中の世界なのだと頭の片隅では理解していた。目の前にいる二人が今、現実世界のどこかで――ゲームへの接続機“シンクロニシティ・ボックス”の中で――眠っていると考えるのはなんだか不思議な気分がするものだった。
リベネがこの二人と出会ったのは、この『ビューグルズ・ワールド・オンライン』を始めてからすぐのことだった。序盤のクエスト『なにかアイテムを買ってみよう!』でネズミに声をかけられ、話している二人をパーティーに誘ったのがカーラだった。
彼らと出会ってからゲーム内の時間は三日経った。つまり現実では、だいたい3時間が経過したということになる。
人間は、短い夢の中で何日間も過ごす経験をするように、夢に接続するゲームでは時間を引き延ばすことができる。もちろん技術的な限界はあるし、脳への負荷かかかることから、時間を引き延ばす上限は24倍まで、と法律で定められていた。ようは現実で一時間消費する間に、ゲーム世界に一日いられるのである。今回のベータテストは現実では5時間分の睡眠、すなわちゲーム内では五日間で終了する、と決まっていた。
豪快で大柄な女と、データ収集に勤しむ理知的な少年、口数は少ないがお喋りな二人の話をよく聞く少女、一見ちぐはぐな三人組はどういうわけか出会って一日で意気投合し、このベータテストが終わるまで一緒にプレイしよう、ということになり、ここまで一緒に行動してきた。実際、それはとても素敵な時間だった。三人でプレイしていると、自分の足りない部分を他の二人がおぎない、自分のいい点が他の二人を助けるような、心地よい調和の感覚があった。
(ほんとに、ベータテストに当たってよかった。あんまりゲームってしないけど、あの時ベータテストに応募した自分を誉めたい)
この2人とこの先も――このチュートリアルが終わった後も、一緒にプレイできたらいいんだけど、とリベネは考える。でも二人を拘束したくなかった。だから思いは口には出さず、別のことを言った。
「そういえば、アルターヌベアって他のビギナープレイヤー達が討伐に殺到してるんじゃないかな?プレイヤーって5000人もいるんだよね」
「そのことで、ひとつ僕が思ってたことがあるんだけど」
神妙な顔でネズミが言う。
「僕たちのはじめの町『チャパタ』にビギナーのプレイヤーが少なすぎるって君達も思わなかった?たしかに僕たちはわりとのんびりクエストを進めてる方だとは思うんだけど、どう見たって最初の一日目からビギナーっぽい格好の人間が少なかったような気がする」
言われてみればそうだ、とリベネは思った。考えてみれば、すれ違うプレイヤー達は明らかにレベルの高そうな重装備が多かった。
みんな同時に始めたはずなのに、変なの。課金とか、ベータテストでできるんだっけ?と考えてみたがいまいち思い出せない。チュートリアルが終われば、情報収集のできる酒場にも入れるようになるので、その時いろいろ分かるのだろうか。
前方から飛び出してきた鳥型のアポクリファを切り伏せながら、ネズミが言った。
「僕の見立てでは、なんかこの町のプレイヤー、100人より少ない気がするんだよなぁ」
大ざっぱなカーラが、そんなことどうでもいいと言いたげに口を開く。
「始まりの町が他にもたくさんあるってことだろう。このゲームの舞台って相当広いし、町の数もたくさんあるみたいだし」
「でも数十個も初期都市を作るかな…しかもベータテストで」
「別に作ったっていいじゃないか。っていうか、あたしは、そもそも町にはちゃんとたくさんのプレイヤーがいたように思えたけど。リベネもそうだろ?」
確信がもてないので、うなずくことも否定することもできなかったが、カーラとネズミはリベネの反応を肯定ととらえたようだった。少し腑に落ちない顔で、ネズミがぼそっとつぶやく。
「でもなんか気になるんだよなぁ」
「ま、いずれわかるさ。このチュートリアルが終われば、他の町に行けるんだし――」
言葉の途中で、にわかにカーラが顔を強ばらせ、口をつぐんだ。いつもは豪快な笑顔が浮かんでいるその顔に、緊張と恐怖が走る。
「ネズミ、リベネ」
地声ではなく、脳内通信でカーラがささやいた。
「ちょっと、場所を変えていいかい?またアイツだ。右側の後ろの方でアイツの鎧が反射した」
リベネとネズミははっと息を呑み、互いに目配せした。カーラが恐れながら『アイツ』と呼ぶ存在はただ一人しかいなかった。