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エルサリオン物語  作者: 明星ユウ
第一章 彼は訪問せし古の賢者
2/4

2 喧騒と導き

 



 シルベリア王国。

 豊かな自然と、他種族にも比較的寛大なことで知られるその人族の国は、大国とまではいかずとも、質の高い資源と他種族交流の地として、中堅の座には居座っている。


 そんな王国の王都。白壁が目立ち、夜であるにも関わらず活気が消えないその街並みの中、光の魔法を宿した魔法具の暖かな明かりがこぼれる家々の一つに、明るい黄緑の長髪を揺らして入る者がいた。

 深い緑の視線が注がれるそこは、夜には酒場とかす、この王都では極々ありふれた小奇麗な宿屋で、昨日のちょうど今頃に彼が泊まり、しばらくとどまることを決めた場所である。

 簡素だが質のよい木で作られている扉をぬけると、まっすぐ先には受付をする机が、右には泊まる部屋へと続く階段が、そして左には、今まさに一日の疲れを流すべく、酒を酌み交わし、料理を口にし、眼前にいる者たちと言葉を交わし合う酒場が、盛り上がりを見せていた。

 と、それらを柔らかに辿っていた視線が、偶然にも別の視線とかち合う。

 瞬間にその濃い茶色の瞳を輝かせたのは、彼ではなく、彼とは別の視線の持ち主。にぎやかな酒場で配膳をしていた、この宿屋の看板娘の少女であった。


「あ! エルフの!」


 言うが早いか、ゆるいウェーブがかかった赤い髪をはねさせて近寄ってきた、可愛らしい、という表現がよく合うその少女は、ええっと、と続かせた言葉の次に、力ある名前を一つ、紡いだ。


「イズ……レン、ディア、さん!」


 かるく詰まりながら紡がれたその名前は、確かに人間――人族の者である彼女には、いささか難しい発音だったに違いない。小難しい顔をしながらも嬉しそうに頬を染めて己が名前を呼んだ少女に対し、エルフの彼、Izlendia(イズレンディア)は、優しげな微笑みを少し深めてうなずいた。


「はい。ただいま戻りました」


 それに、ぱっと顔を輝かせた少女は、年相応の好奇心と共に楽しそうに話を始めた。


「お帰りなさい! 図書館には行けましたか?」

「えぇ、教えて下さってありがとうございました。とても素晴らしいところで、一日中居座ってしまいましたよ」


 にこにこと、少女に負けず劣らずの楽しそうな笑顔を浮かべて答えるイズレンディアの言葉に、やはり頬を染めながらも、少女は素直に、わぁ! と驚きを現す。


「一日中本を読んでいたんですか? 読書家なんですね!」


 あはは、と自らの内にある気恥ずかしさを紛らわすように軽快な笑い声をたてる少女に対し、どこまでもおっとりとした態度を崩さないイズレンディアは、この言葉に対して、えぇ、とにっこり笑顔を浮かべる。途端に頬を赤らめる少女の反応は、美貌の青年に対する年頃の少女として、至極真っ当なものであった。

 と、そこへ、よく通る怒声を響かせてやってくる者が一人。


「こら! いつまでそこで話してんの!?」

「あ! ごめんなさーい!」


 すみません、と一言謝ってから、慌てて配膳に戻ってゆく少女と入れ替わるようにイズレンディアの前に立ったのは、少女の母親である、この宿の若女将であった。


「悪いね、娘の話につき合わせちゃって」


 実の娘とそっくりな赤い髪をゆらし、娘よりは薄い茶色の瞳に申し訳なさそうな色を宿しながら、彼女は小さく頭を下げた。上げた顔には、やはり申し訳なさそうな感情が浮かんでいる。

 それに対して、優しげな微笑みをたたえたままのイズレンディアは、本当に全く気にしていないと分かるほどあっけなく、首を横にふった。


「いいえ、お話しすることは好きな方ですから」


 こともなげにそう答えるイズレンディアに、一瞬ぱちくりとその茶色の瞳をまたたかせた若女将は、しかし次の瞬間には豪快に笑い声を立てた。


「あっはははは! そうかいそうかい、そりゃ良かった! あの子の話し好きもたまには役に立つもんだね!」


 こちらのことなどお構いなしに騒ぐ酒場の面々の声をふりきって、母さんのばかー! と叫ぶ声が聞こえたが、どちらからともなく微笑み合って流すところはさすが、実の母親と長寿のエルフ、といったところか。


「まぁ、少しでも気に入ってくれたんなら、まだまだお飾りの看板娘も役に立ったってことかな。――どうだい? もうしばらくこの宿に泊まってくれたりしないかい? 王都にはうちみたいな宿屋なんていくらでもあるから、一人でも多く客を捕まえとかなきゃいけなくてね」


 気を取り直して、といった風に、そう商人顔で提案してくる若女将に、イズレンディアは迷うことなくうなずいた。


「そうさせてもらいます。貴女も娘さんもお優しいですし、何より……」


 と、依然としてその勢いを衰えさせることなく騒ぐ酒場の面々に視線を移し、


「にぎやかなのも、結構好きな方なので」


 と笑う彼に、若女将は、それこそ娘と寸分違わない好奇心を顔に浮かべ、へぇ、と呟いた。


「話すこととにぎやかなことが好きなエルフってのも、滅多にいないんじゃない?」


 ――実際、エルフという種族は、基本的に静かな場所を好むことで有名である。

 なにか粗相をしていやしないかと聞き耳を立てていた娘との話では、確かにエルフらしく、大きな物音を立てることを禁じられている書館で一日を過ごしようであったのに、と若女将は顔に浮かぶ好奇心を消さないまま首をかしげた。

 そんな若女将に対し、イズレンディアはそっと瞼を伏せながらも、柔らかな笑みを浮かべて答える。


「そうですね。――ですが、楽しいことを素直に楽しむ心は、他の同族たちにもあると思いますよ」

「……なるほどね」


 さもありなん、と若女将はうなずく。


 エルフは、プライドが高いことでも有名な種族である。特に他種族にたいしては非友好的な者も多い。だが、そんな彼らも、同族である目の前の客が言うとおり、楽しむ心は持っているはずだ。

 ……否、あれほどまでに自然を愛し、精霊たちに心を寄せる存在が、楽しむ心を持っていないわけがない。

 結論、


「つまり、お客さんが特別ってわけじゃなくて、他のエルフの人たちってのはプライドだとか立場だとか気恥ずかしいだとかで、そういう所をあたしたちに見せないだけってことなのね! で、お客さんは旅をしてて場慣れしてるから、素直に楽しむ姿をみせられるってことかぁ」


 ということで、若女将は納得したのであった。

 おまけに、その結論はあながち間違いでもない。

 彼女の眼前でふわりと微笑んだイズレンディアもまた、やたらと気位が高く、素直に感情を表に出さない幾人かの同族の顔を思い浮かべ、小さな苦笑を零した。


 時刻は、そろそろ夕食時が終わる頃。

 かーあーさーんー!? と恨めしげな声が今一度届いたところで、さすがに長居をしすぎたかと若女将が顔を歪めた、その時だった。


 キィ、と高い音を立てた扉が、新たな来訪者の訪れを告げる。


 いまだ扉の三歩ほど手前で立ち尽くしていたイズレンディアが、これでは通る邪魔になる、と身体を右にずらした直後、ガシャリ、と金属がこすれる硬い音が宿屋に響いた。


「!」


 若女将の茶色の瞳が驚愕に見開かれるのと、その音をいぶかしんだイズレンディアが後方をふり返ったのは、ほぼ同時。

 英知を宿した深い緑の瞳が彼らをその中に映した時には、あれほどにぎわっていた酒場内が、不気味なほどの静けさで包まれていた。

 と、その静寂を打ち払うように発せられる、硬い声。


「エルフの御方、急なことで申し訳ありませんが、我々と共に王城へ来て頂けませんか?」


 それは、声をかけられた本人のみならず、今やこの部屋内にいる全ての者の視線を一身に受ける、白銀の鎧に身を包んだ三人の騎士の内、唯一白いマントを背でなびかせる、先頭の人物が発したものであった。


 このシルベリア王国には、いくつかの騎士団が存在する。

 だが、おこなう行為は違えども全てが白銀の鎧を纏い、王と国に忠誠を尽くす者たちのその中で、最も名誉ある存在として国民に知られている騎士がよもや目の前にいようなどと、一体誰が信じられようか。

 それは、最も王に近く、絶対の信頼を他ならぬ王からいただいている、王族の守護者。白銀の鎧に、唯一〝白〟のマントを身に着けることを許された、王国最強の剣使い。

 今、イズレンディアに声をかけたその騎士、それは、本来はどの騎士よりも王族の傍に身を置くべき存在。国王直下の親衛隊――近衛騎士であった。

 近衛騎士は続ける。


「勿論、こちらの勝手な都合である以上、この宿にはそれ相応の対価を払うことをお約束します。――よろしいでしょうか?」


 その言葉は、宿屋にはともかく、間違いなく今回彼らが任された仕事における重要人物であろうイズレンディアには、拒否権などないと思われても、文句の言えないような言い方であった。

 いくら王城への召喚であったとしても、元々この国の住民ではないエルフ族の者に対しては、いささか強引すぎる物言いである。


 なによりも、どれほど他種族との交流豊かな国とはいえ、治める王は人族の者。太古の昔より、己が種族に女王を持つエルフに対する行為としては、到底正しいとは言えない。場合によってはその無礼な対応に、激昂してもおかしくはない状況である。


 最もこれには、いざその場面にかち合ったエルフ族の者が、〝他種族の無礼に寛大でない〟場合、と言う注釈がつく。


 事実、初めの声同様に硬い声音で紡がれたその言葉に対し、イズレンディアはその穏やかな微笑みを少しも崩してはいなかった。

 それどころか、つとその澄んだ深い色の瞳を細め、ゆるりとうなずきさえしてみせた。


 それは、多くの人が同じ空間に存在し、されども気付けなかったとある一点に、彼だけは気付いた、その証。――先と一切変わらずに硬質なものであったはずの最後の言葉が、押し付けではなく、確かな〝確認〟であったことを、見抜いたがゆえのものであった。

 言葉を発した近衛騎士の実際の真意に、強要の意はなかったのである。ただ、若干意図して紡いだ物言いであったこともまた、イズレンディアは気付いた。つまるところ、イズレンディアを見極める為という、真意が含まれていたのだ。

 見極めようとした相手に見極められているとは知るよしもない当の近衛騎士は、一方で先の言葉以外では終始礼儀正しく、誠実な振る舞いをしている様に、イズレンディアには見えた。

 イズレンディアの答えに対し、ゆったりとうなずく様には、一種の気品が宿っている。その放たれる雰囲気に、イズレンディアはこの近衛騎士の男が、本来はより高貴な立ち位置にいる存在であることを半ば確信し、一人納得した笑みを微笑みの上に重ねた。

 同時に、近衛騎士が指示を告げる。


「では、こちらへ」


 と、やはり丁寧に示される出口。

 当然として、すぐにでも従うであろうと、この場において普通に思考できている者が皆思っていたその指示に対し、イズレンディアはしかし、すぐには動かなかった。


 彼は、そっと若女将へと顔を向け、次いで今の今まで崩れることのなかった微笑みを、申し訳なさそうに変化させたそのうえで、彼女に向かって小さく頭を下げて謝罪を示した。

 これには、先の動向について確かに彼と共に尋ねられていたのにもかかわらず、結局二の句が告げられないままでいた若女将も、騎士たちへと固定されていた視線をハッと外して彼を見やった。が、しかし、一方はその思いを伝え、もう一方はそれを理解するために思考するその時間は、一方にとっては、すぐに終わりを迎えてしまった。


「――失礼した」


 十分な間を空け、変わらない硬い声で告げられた退出の意に、こちらも変わらぬ、ゆったりとした動作で騎士たちの方へと振り返るイズレンディア。

 いまだに事のてん末についていけていない若女将が、ようやく、兎にも角にも大変なことになったと顔を歪めるのに伴い、近衛騎士の指示に従ったイズレンディアは、三人の騎士たちの間におさまり、金属の音を響かせる彼らとは正反対の静けさでもって、宿屋を後にしたのだった。




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